第13ー5話月夜と神無2

「そう、そうやって神を弾劾も出来ると言うのが、理性ある現代人の姿でもあるな。それなら例えば、啓示を受けた預言者なんかは、ここで脳の問題に近づくんだが、その神の言葉を聞いたって事実が、どうやって本当に神が語りかけて来たか証明出来るんだろうな。

それがてんかん器質によるものだったり統合失調症の症状としての場合、つまり幻覚や幻聴だと断定出来ない何かだと言えるのは、どこに根拠があるのか。

てんかんの場合だと、強い信仰心も付加される訳で、神が説得したからではない。奇蹟が起こればそうなのか。しかし、現代では客観的に証明された奇蹟なんて、誰も見た事も聞いた事もないよな。バチカンの認定は眉唾なものばかりだ。

大体、科学で解明出来ない現象が、未だに未解明の科学的法則によって成り立っている類だとかじゃなくて、超常現象と言ってもいい奇蹟や呪いの類だと、どこの時点で証明がされるんだ。ましてや啓示なんて、今だったら精神病を疑われて終わりだ。

科学では再現性のない物は、理論として大事にされない。キリストの奇蹟で、ラザロの復活とかにあるように、病気や盲人を癒やすなんてのがあるが、それが他の人間でもきちんと再現出来て初めてそれを普遍的な現象と認める事が出来る。

しかし、普遍性のあるものだと奇蹟とは言わない。じゃあ、結局は語り得ぬものには沈黙しなければならない、と言う言葉を恣意的に引用するしかないのか。じゃあ、過去のそんな預言者はどう説明する?」


 ああ、待って下さい。ややこしくなって来ました。と言うか、それは理性で判断出来ない形而上学の範疇なんではないでしょうか。


「そう言えば、何で時代が下ってアップデートしないといけないだろう教えとか、現代に発生するだろう倫理的問題とか、諸々の事象に接しているだろうに、神は新しい預言者を遣わさないのかとか、もっと何か直接的に皆が理解出来るように、SFとかである発現の仕方で干渉なり大まかな啓示をしないんでしょうか」


 ニヤリとする先生。うーん、こっちの悪そうな顔も魅力的に見えてしまう不思議です。


「そう、それが故に無神論者はそんな追及をするよな。そして信徒は決まって、キリストが悪魔に返した答えと同じように、神を試みてはならない、なんて言って思考停止する。

理性的判断で、自分で神について世界について啓示について、それから病質と真の啓示の違いがどこにあるのか、そんなややこしい問題を理解しないか思考しようとしないのだよな。

過激な信者こそこれだし、結構外国にいたら怖いものもあるぞ。いや、しかし熱心な信者がどれだけ科学について知っているかも怪しいんだが」


 それが脳の器質性の障害に繋がるんですかね。


「そう言う問題が発達障害なんかだと、どうしてそんな風に神は生きづらい形を作るのか。アダムとイヴの罪は、現代人には最早関係ないんじゃないか、って言いたいんですか?」


「それもある。パティ・スミスみたいに、キリストに対しての罪は私のではない、とかな。

しかしそうではなくて、そう言う脳障害や遺伝に基づく問題なんかは、解決するのが難しいし、それの対応を適切にする必要があるって事だ。

私だと恋愛したり結婚して、子供を作れみたいに言われるのは不当な圧力だし、それが出来ない本質的な問題を抱えている訳でな。お前らレズビアンだって、男とセックスして子供を作れん事はないのは私と同じだが、それでも自分の発露として嫌悪を感じるだろうし、それを強制させる事は出来ないはずだよな。ここが大事な所だ。

同性愛や性同一性障害、私の様な無性愛者とか、まだまだXジェンダーだとか複雑多岐にジェンダーの概念は広がっているが、これら色々な説があるのも当然で解明もされないでも、基本的に胎児の間にそれらが器質的に決まってしまう性質の物だと言うのを、もっと周知させる必要があるって言うのが重要だと言いたいんだ。

だから性的嗜好では絶対になくて、性的指向であるし、変更は利かないんだって事だよ。まぁ研究の中には、女性にはストレートはいないなんて、とんでもない説を出した学者もいたくらいだから、どこまで言っても完全解明には至らんのだろうが」


 それは本当にそうで、その器質は脳が決めるって事なんですね。


「だからな。サヴァン症候群と言うのは、能力が突出する例だが、そうではない重度の知的障害者だっているだろうし、ダウン症などのケースもある。

そこで問題となるのが、ダウン症だと受精卵を弄れば、それを治療する事が出来るようになったって事だな。

それがその病気としての尊厳を侵すものだなんて、昔の記事を見てたらダウン症協会の人間が言っていたりするんだが、こう言うケースだったら私は治療するのも構わないんじゃないか思うんだ。だって、それで長く生きられるようになるし、知能だって問題なく生まれて来られる訳じゃないか。

まぁ、だからそれを後天的にしようとして、自閉症の治療と称して電気刺激などをどこまで問題ない範囲でなら許容していいか、とかもっと厄介な問題もあるんだが。

事実そういう路線での改善の研究が海外で進められていたりする。そもそもそのような現代ではどうすることも出来ない障害を原理的に治療出来るようになるとして、それをする必要があるんだろうかね。

これは下手したらロボトミーの時代に逆戻りしてしまう危険すらあるし、この脳への電気刺激を認めると、ならその症例だとか同性愛者なんかも、適切な処置で変更が出来るなら、治療するのがいいとする世論に傾く危険性も生じるだろうし。脳や遺伝子によって決まる生物と言う形を、なら設計していいのか、適切な形に変えてしまうのは倫理的に許されるかなんかが問題として出ない訳がないんだ。

そうなると悪い優生思想に近づいてしまうし、そこからは健康優良を目指すナチズムの足音が聞こえて来る。これは何も科学だけで言うんじゃないぞ」


「と言うと?」


 何だか神無先生は、わたしと話すのが楽しくて仕方がないと言わんばかりに、生き生きしています。普段、菊花さんにも他の人にも相手にされないのか、と疑ってしまいます。


「うん、これは道徳的な問題と結びついて、社会的な道徳や公益性を守る為と称して、何でも表現を弾圧しようとする話が延々とされている事だ。

ミルの『自由論』を繙けばわかるように、人権が制限されるのは、例外的に実際の物理的な暴力やそれに繋がる行為だけだ。出版や思想表明の自由は、最大限に認められねばならんとミルは言っている。

これは娯楽でも同じだとも語っているが、間違った意見にも、反対される事で、見ている側の人間にとって、正しいと思われる意見を尊重出来る萌芽になる為にこそ、必要だって言う点は重要なんだよ。

キリスト教の教義を例に出してどんな真っ当な意見も、それが反対されたりして議論が交わされない事には、必ず形骸化すると。まぁ、基本的人権の概念が全然現代では認識されなくもなって来ているように、それは実際にそうだろうと思う。

そして、だからこそ社会の健全化を叫ぶ規制運動には、注意深く反論していかなくてはいかんのだよ。それは先程まで見て来た障害者を差別するなって話と同じで、不健全なものを排除しようと言うのは、簡単に障害者の排除に結びつくし、それ以前にピューリタン的な道徳を現代でも適用しようとしている強迫神経性に呆れてしまう訳だな。

嫌なら見ない、そしてきちんと道徳は別項で教育する。これを徹底すれば、表現弾圧など必要ない事がわかるだろうにな」


 うーん、嫌悪感で焚書していいのなら、誰かにとって何かがそれに当たるのは当然ですし、社会的影響なんて言うのも、大昔の大統領に黙殺された報告書で否定されているらしいですしねぇ。


「大体がだな、書物なる物は、解釈してそして意識に上った時に再解釈するものなんだ。これの意味がわかるか?」


 えーと、何回も読み直すって事でしょうか。


「そうじゃない。読んでる最中にこう言う論旨なんだなって考えたりしながら、目は追っていくな。それで読み終わった時に、あれこれ考えてみる事も必要だ。

読書感想文と言うのは、一つその再解釈をやってみせようと言う試みなのだが、近頃は読書体験記だとか、変な方向に行ってしまいがちで、この自分なりの咀嚼した再解釈をやってみるとする視点を失いつつあるのが難点だな。

これは必ずしもその一冊に完結しないでいいんだ。複数の書物の同一性に注目して再構成するも良し、類似点ではなく相違点に着目して対比していきながら、自分の中に一つの論を立ててもいい。

勿論、全く違う分野の物を、繋げてみたりするのも一興だ。ともかく一度認識した概念を、もう一度再考する事で、様々な視野が開けて来るし。読んでる間には感じなかった事が頭の中に纏まって来たりするから面白い。

ポルノだって解釈の仕方で如何様にも変わるし、単なる道具としてしか見做さないのは勿体ないじゃないか。

だってそうだろう、変態的フェチズムにしろ、表現形態や語彙の選択にしろ、作家によって幾通りもあって、それを害悪な表現の一言で切って捨ててしまうには、あまりにも惜しい人間の欲望としての見本市が開かれているんだ。

嫌いな吐き気のする表現もそりゃああるさ。しかし自分の欲望だって、誰かにしてみれば同じように見えるかもしれんぞ。まぁ、私はそんな感情にならないから、随分冷静に歴史的な営みの多様さを、興味本位で学問的とは言えないまでも、文化や人類学として見ているんだがな」


 はー、再解釈ですか。確かに読んだ時に感動した内容があっても、それの感想を自分なりに綴っている内に、別の物に変わってしまうなんて言うのは、高校の時に始めてから幾度も経験したと思います。


 それを書く時に、適宜読了した本を参照して、その気になる箇所をピンポイントで閲覧すると、ずっと夢中で追いかけていた読書時間とは違った感覚が呼び覚まされるのですよね。


 尤も、これは書いているから気づいた事で、神無先生の言うように頭の中でああだったなこうだったな、と色々回想していてもそうなんでしょうが、結構忘れる事も多い為か、アウトプットしておくと、後でその忘れた本の内容が思い出されたりもしますし、そしてそれは読んだ時のあの感じとはまた違ってしまうのは、一旦自分で再解釈した文章を読んでまた再解釈するのですから、コピーのように変遷を遂げる事でもありましょう。


「あ、そうだ。読んだ本、返しますね。どれも良かったです。良ければ、ネットに防備録的に書いているページとか見て貰ってもいいですか。私がどう読んでいて、どこが読めてないか、またどこに着目していたのかも、知って頂いて何かアドヴァイスがあれば欲しいですし」


 鞄から出した本を受け取りながら、神無先生はうんそうだなといいながら、何か面白そうです。


「なら、帰ったらページのアドレスを送ってくれ。月夜の他に読んでる本も知れるし、どんな思考過程を経ているのかも興味があるから、出来るだけ時間を作って見てみる事にするよ。せっかく我が会に来てくれた精鋭だからな。ああ、そう言ってたら菊が入って来た時を思い出すよ。あいつも入りたての時は、随分熱心に吸収してたもんだ。今は色ボケみたいなやつだが、基本的には真面目なやつなんでな。菊とも仲良くしてやってくれ」


 それでしばらく、神無先生とプログレの談義なんかもしてから、わたしはあまり遅くならないようにお暇しました。帰りは少し爽やかになっていた気がしますが、これは神無先生にいいお話をして貰えたからでしょうか。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る