第13ー4話月夜と神無1

 しばらくしてから、大学に行く予定はなかったのですが、神無先生達に会いたくなって、メールで色々進捗状況なども話してから、いついつにそちらに行ってもいいですかと断りを入れると、先生から講義のない時間で且つ何かしらしてるだろうけれど、研究室じゃなくこの間の精神現象研究会の拠点に陣取っている時間を指定して来てくれたので、その日に合わせて準備をしてから、行く事にしましたが、返す本を幾つか鞄に詰めて、その辺りの本もやはり買って置いた方がいいと思って、一つずつチェックしてネット書店で検索をかけたりして、結構新しめの本もあったので、新刊書店で買う事にして、注文をしてから、またもぺらぺら捲ったりしていました。


 電車に乗るのは結構しんどいものがあるのですが、神無先生と菊花さんに会うのが、何故だかとても楽しみで、前の晩寝るのに苦労したくらいで、当日はちょっと気が逸ってそわそわして仕方がなかったのです。


 しばらく掛けて大学近くの駅まで行って、ちょっと迷いそうになりながら、前の家にたどり着いてチャイムを押すと、「おう、月夜だな。今行く」と先生が応答してくれて、ちっこい体で飄々とわたしを迎えてくれまして、その先にある居間について行くと、今日は菊花さんがいません。少し残念な気持ち。


「ああ、今日は私一人だ。ちょっとあいつがいたらスピーカーで流しながら、作業したり読書したり出来ないからな」


 そう言われて気がついたのですが、確かに音楽を神無先生は掛けています。おや?と思ったのは、何でか知らないのですが聞き分けられはしないのですが、何やらどこかで馴染みのある音楽だったからなのです。


「・・・・・・あの、もしかしてドイツのプログレですか、これ」


 パッと輝く神無先生。こんな表情してたら、本当に子供みたい。可愛いです。ちなみにわたしは秋の様な大人びた女性が好きなので、可愛いと思ったからと言ってロリコンではないと思います。念の為。


「おお、お前これがわかるか。菊のやつ、わたしが聴く音楽を悉くこんなのスピーカーで流すなとか私の家なのに滅茶苦茶言いやがるんだ。だから今日は心置きなくイヤホンではない音楽体験をしていると言う訳なんだよ。ハルモニアのファーストはいいよなぁ」


「はぁ、確かにこんなの好きな女性ってあまりいないですよね。わたしも中々洋楽でもクラシックロックとか、妙ちきりんなバンドとかは好きな人も見当たらないし、一人で勝手に楽しむしかなかったですけど」


 うーん、それはそうだ、と神無先生は神妙な顔。


「ああ、どうも世の女と私らの嗜好は全く違うみたいだな。大体、私はセクシャリティのせいでラブソングが基本的に受け付けないんだ。音楽性の素晴らしさであれこれ聴くか、社会的なテーマで選ぶ方が、どれだけ気疲れがないか・・・・・・」


 そう言われて、ああそっかとちょっと難儀なものだなとも思うのですが、それにはあまり触れないようにして、わたしの事も語ろうとします。


「わたしはロマンチックなラブソングも好きですけど、流行歌にはわたしの求めるロマンはないんですよね。それにむしゃくしゃした時は、過激な歌詞の音楽とか色々聴いて発散したりするんで、あんまり共感される事もないって言うのは同意ですよ。後、わたしはファウストのクラウトロックなんか反復でどよんとしてもいるし、アルバム自体も気に入ってますかね」


 そう言って、机を見てみると、飲み物と飴の入った容れ物が置いてあって、傍にはサヴァン症候群の事例なる本が置かれてもいました。


「なるほど、あれは確かにジャケットの五線譜と言い、2曲目以降のどこかフォークを思わせる作風と言い、初っ端の酩酊する様なサウンドから一転する所も面白いな。うん? ああ、これか。ちょっと調べ物しててな、先天的と後天的のこの症状の事を参照してた」


 なるほど。ちょっと突っ込んで話を掘り下げた方がいいのかしら。


「これで理性の限界と、理性とは何かと考えていてな。サヴァン症候群は、自閉症などの知的障害に併存する事もある特殊な症例だ。あるタイプだと創造的な能力に繋がらないのが痛いのだが、その分記憶力を駆使する事なら驚異的な才能を発揮する。

芸術分野で活躍出来るケースも存在するし、それだと楽器の演奏能力や音感、それにこれまた記憶力だ。計算能力とか時間・空間認識能力が高いケースもあるな。

しかしいずれもそれは脳の右半球に関連していて、左半球に問題を抱えていて言語認識能力に障害を持っている。

これは先天的な症例に限らず、後天的に左半球を損壊してしまえば、そうなる場合もあるようだ。これに対する仮説は、総合的な情報処理能力の低下の代償に、局所的なそれが亢進するとされる、中枢コヒーレンス低下仮説だとか、脳内の機能の変化に伴って、局所的な能力が総合的なそれを上回る、機能的結合性低下仮説なんかがある」


「ええ、それは映画なんかでもそう言うテーマの作品なんかがあるらしいですね。小説の方が今は多いのかもしれませんが」


 そこでだ、と前置きして神無先生は溜め息を吐きます。


「で、な。自閉症やアスペルガー症候群なんかで、このサヴァン症候群を伴わない症例も多い訳だ。そして健常者は、サヴァン症候群の様な能力は絶対に持てない。

そして、そう言う脳の機能に寄るしかない知能なる物は、そんなケースだけに限らず人間全般的に、一体どれだけ信頼に足るものなのかと言う事なんだ。

この間も言ったように、ネット上で議論が噛み合わなかったり理解しない相手に、その障害の差別語を使って罵倒するケースが昔から頻出しているのだが、じゃあそれがその通りだとして、そのコミュニケーションには何が問題とされるのかって点だ。

正常な言語による議論や会話が成り立つと言う前提を共有しているからこそ、真剣に意見を戦わせるのだろう。

そして意図的に質問を回避したり、論理学的なやり方で議論にだけ勝つやり方なんかもあるんだな。まぁ、弁論術なんだが。

そうした時に、その様な障害を持った相手が参画して来た場合、どう対応する必要があるのか、そしてその時に如何に差別的にならないように議論が出来るか、また出来ないのにその相手とやり取りするべきなのか。難しい問題だよな。

で、わたしがちょっと興味があるのは、そう言った時に自分の論理の正当性を担保する時に、数学と同じで自己の無矛盾性はどうやっても証明出来ないんじゃないかって事なんだ」


 うん? 言語を用いる以上、そこには納得出来る論理があるのじゃないのかと思いますが、大昔にもそれをテーマにした哲学書があったとふと思い至りました。


「お、わかるか。カントの純粋理性の二律背反みたいな場合だな。しかし問題にしたいのは、その論理の誤謬じゃなくて、脳の器質に立脚した問題点なんだよ。例えば、誰だったかの作品に『神の弁明、哲学者の理性の限界』って小説があったんだが」


「ああ、それは暁紀美枝ですね。結構カルト的な人気ありますし、わたしも読みましたよ」


 話が早くて助かると言う顔をするので、ぎこちなくですけど、わたしはニコリとしてみせます。秋みたいに自然にやるのは、どうも難しいようです。


「それそれ。で、だ。

こんな事宗教を信じてるやつは議論もしようとしない事が多いだろうし、神学も結構無茶苦茶な理屈をつけるんだが、一体神の全知全能であるとか絶対性や善性と言うのは、どうやって証明されるんだ? 神が間違う訳がないって言うのは、初歩的な判断停止だよな。

で、それは客観的に論理で理解出来る内容で開示されなくてはわからないし、理解出来る存在がいなければそれは無に等しいと私は思うんだ。しかし、それを神はどんな風に説明出来るのかな。

どうやってその能力の正当性を説明するんだろう。神ですら言葉を使う以上は、誤謬に陥るんじゃないか。

だから、聖書でも誤解される啓示しか出来なかった。それしか方法がなかったのなら、神の不完全性を語るのに充分じゃないのか」


 うーん、そりゃあ神学の中では、神の不完全性を語る人も存在したみたいですし、神の善性や完全性を説明するのに、却って聖書の方に間違いがあるなんて事も言えてしまう訳で。


「それって出エジプト記で、神はユダヤ人を罰する為にわざとあんな酷い事態を生じさせて、しかも神が強制的に仕向けてエジプト人を悪として操作したのに、そのエジプト人にも災いを与えたって所でも、神がどう解釈しても全人類にとっての善なる存在じゃないのは明らかだとか、そんな話でしょうか。でしたら、神は誰に対しても弁明も証明もしないし、勝手にやるだけだし、それだからこそグノーシス主義とか無神論なんかも出て来るんじゃないですかね」


 こくんと頷く神無先生。



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