第12ー2話苦しむ人間の気持ちと表現について
勉強のストレスだけが影響していた訳ではないですが、どれだけ癒やしの材料が与えられても、時々闇に染まりそうになります。最近はあまり回数としての頻度は減りましたが、寝る前に不安が高じて、過去にあった他人の攻撃がフラッシュバック的に想起されて、パニックの発作が起こる事もあります。
そう言う時は、中々治まらないで苦しんでいる時間が長い時でも、秋は傍で見守ってくれましたし、それで眠りにつくのもまだ以前よりは楽になってものです。
やはりエミリーとは愛し合う関係ではないですし、サポートしてくれるAIでは、わたしは本当に回復する素地にはならなかったのは、エミリーには少し悪い気もしますが、仕方がなかったと思います。
そう考えると、つくづく自分の力のなさと言うか、秋に頼ってばかりで、自分で暗闇を切り開いていく能力がないのだなと実感します。
今、自分が幸せに暮らせているのは、環境のお陰もありますが、攻撃的な人もなりを潜めたのも秋のカリスマ性の為せる技ですし、どこまでいっても、わたしは守って貰うか弱いお姫様でしかないのかもしれないと、随分自分の魅力の少なさ、いえなさに幻滅してしまいます。
秋はそんな事はないと言ってくれますし、実際秋から見たら凄く良く見えているのでしょうが、わたしが秋を助けたいと思っていても、何も具体的に出来た事などないし、秋の身の上の話だって救済したのは母の手柄みたいなものです。
そうすると秋の母親の狭量さに思考が及びます。
宗教がこれほどまで保守的に、誰かの自由な世界を侵害したり攻撃したりするのを見るのは、マイノリティが否定的に語られる事が宗教者からは多い事実もあって、もう嫌だと思うほど辛いのです。
姉が死ぬ気になった件だって、いつだったかキリスト教徒の勧誘者に、罪深い事で地獄に行っているんだから、そんな間違いの二の舞にならないように、清く正しく人間のあるべき姿として生きなければいけないなんて言われて、即お帰り願った事を思い出しますね。
一体、信仰の自由が認められていると言っても、その宗教上の信念を担保にして、どんな差別をしていても許されるのでしょうか。
法律がそんな判例を出した過去があるのが、歴史を勉強していて驚愕してしまうのですが、それの厳密な議論で様々なパターンに当て嵌めて同じ事を言えるかも検証しないで、マイノリティが口うるさいなんて言う人が多くいた、今も多くいる現実に絶望的な気分になります。
一体、宗教上の信念なんてものは、何をしてもエクスキューズになるのですか、と過去の歴史に照らして、そんな事がよく差別する側が言えたものだと泣きたい気分です。
そう言う意味で、わたしと秋の行く末は、間違った行いなんてしているつもりはないですが、まだまだこの世の中では茨の道のようです。
アイコノクラズムを批判しながら、アイコノクラズムを行う人がいる世界で、どんな厳密な論理の適用がなされると言うのでしょうか。
焼いていい表現があると思う人は、必ず差別していい属性がいると思い込んでいるのです。そして、差別される人間はそちらに問題があって、彼らこそ差別主義者だと逆張りのレッテルを張って、とことんマジョリティの力で逆境に追い込むのです。
わたしだって、何度キモいとか迷惑だと口汚く罵られて来たでしょう。
どうやら人権を尊重すると口幅ったく語る人も、障害者ではないのに人間として社会生活を送るのに支障があるほどの能力不足の人間に対しては、昔いたグループの名前みたいに、パブリックエネミーだと言って、どれだけその相手の人格を毀損しても問題はないと考えている節なのですから、本当の意味で全ての人の幸せを願っている人なんて、宮沢賢治じゃないんですからほぼ存在しないでしょう。
宗教一つ取っても、不信心者やアンチキリスト的に見える人を排除した、もっと言えば異教徒も含めて、自分達の側に立たない人を排除して攻撃していく、そんな中での多様性や救済を掲げているのではないかと、強く疑いの念が擡げて来てしまうではないですか。
そして、弱者は強者に抗えずにその言論をコントロールされて、弱者同士で相手を攻撃するのに終始させられ消耗するのではないですか。
退廃芸術排斥運動なんてものがナチスで推進された時代に逆戻りしたくないと、わたし達は皆が思っているのではないようです。
禁止されるべき欲望、つまりは汝姦淫するなかれ、これをもっと拡大させた主張をどんどんと、良識を標榜する人から積極的に推進の言葉が語られるのですから、堪ったもんじゃありません。
もしかしたら、どの時点で同性愛の表現がそれに該当すると言われる日が再び巡って来ないと、絶対的には言えないではないですか。確か以前外国ではフェミニストに同性愛表現の雑誌がポルノグラフィとして焼かれたなんていう、本末転倒な事件だってあるのですから。
何かを焼く者は、何かに焼かれるのだ、なんて文言が頭に浮かびますが、焼かれてもわたしは誰かを焼きたくはないですし、誰も不当に攻撃されないで欲しいし、何も焚書の憂き目に遭わないで欲しいのです。それはわたしが嫌いな物でも同じ事です。
誰かの嫌悪を催す物が誰かの救いかもしれないし、自分の癒やしが誰かの吐き気を催す代物である事だって、往々にしてあるでしょうと、皆想像出来ないからこそ、理解出来ない相手をキモいとか言って、いじめたりあたかも相手に非があるように見せかけるのです。それだけではなく、その先には隠蔽して不可視化しようとさえする動きもありましょう。
そうやって滅茶苦茶に言う人が未だに多くいるのなら、わたしは敢えて異端の側に立っていたいと言いたいです。自分自身もそう扱われても来ましたし、負の感情を持つ人の激情も理解していたいと願っていますし、トラウマに苦しんでいない人間には、どうしても完全に我々の側に立てないと思っているからです。
だからこそ、わたしには悲しい事ですが、秋との感情の差異に断絶を感ぜずにはいられません。勿論、秋は最大限に寄り添ってくれて支えてくれているのですが、わたしがどんな暗黒の気分で呪いを抱えているかは、真に体得は出来ないでしょう。
でも、それでもわたし達は愛を育む事は出来ると思うのです。だって相手を完全に理解するなんて、わたしも不可能ですし、そんな事になればもしかしたら離反の危険だってあるかもしれないですし、批判的になって攻撃してしまうかもとも考えられるのです。
こんな呪詛の塊みたいな文章を、どうしても合間にわたしの人生の言葉として、挟まずにはいられませんので、温かい目で受け入れてくれる事を期待しますが、わたしの書いて来た物を読んでくれている人になら、わたしの一連の心情がどう言う事に立脚するのかは、多少はわかって貰えるのでないかなと勝手に想像しています。
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