第11ー7話月夜のストレス発散法

 それからしばらくわたしは暗い雰囲気で暮らしていて、秋にも皆にも迷惑掛けたと思います。


 家でも「ノー・ファン」とか「黒い安息日」とか「ダム・ダム・ボーイズ」に「マス・プロダクション」だとか、他にも色々と暗い雰囲気だとか危険な曲ばかり聴いていて、秋が本気で心配したものです。


 極めつけは前にわたし自身が流していて、引かれないか不安になった「アイアン・マン」やメガデスの「グッド・モーニング/ブラック・フライデー」なんて聴いていたものですから、ちょっと本気でそんなチョイスばかりで、日々鬱々と過ごすわたしが怖くなったようです。

 そりゃあ、復讐する歌とか切り刻む予告をする歌とか、普通の平穏に暮らしている女子高生は聴かないでしょうしね。


 と言うか、わたしも普段はそんなパンクとかメタルとか、その手の音楽が好きなタイプではないのですが、あれこれ探っていたらこんなのにも行き着いたりする時があるので、心のメモリーに留めて置いて時々鬱憤が溜まった時にヤバい曲集みたいな感じで聴くのです。

 そう言う意味では、多少わたしの体調には不似合いですが、スレイヤーなんかを聴くのもいいのです。「ネクロフォビック」なんて自殺未遂した姉がいるわたしが聴いたら不謹慎でしょうか、別にトラウマとは別にそんな音楽を聴きたくなってもいいですよね。

 と言うか、死への恐怖と自殺願望が混じっている側の人間が聴いて、大丈夫な曲じゃないと言われるかもしれませんが。


 勘違いしないで貰いたいのが、この手の曲を聴くのは、ある意味で浄化なのだと言う事を徹底して言っておきたいからです。

 よくメタルを聴くから犯罪に走るとか、過激な音楽は悪影響があるとか、変に良識ぶった教育者が語りますし、昔の事件でも某アーティストの影響で事件を起こしたなんてデマが拡がりましたが、何て言いますか、表現の中の暴力は時には必要な事もあると思うのです。

 それを全部規制してしまえば、抑圧されたルサンチマンはどこに向かえばいいのでしょうか。

 最近ではアイドルで癒やされるのが主流ですが、それだけではやはりガス抜きにならないと思うのです。

 だから、危険な同人誌を読んだりする人は、そちらで暴力に触れているのだし、そうじゃない人も何かしら人間に潜む攻撃衝動を発散させる場が不可欠ではないですか。


 思うに規制推進をする人は、何らかの日常生活の不満をそちらに向けているパターンもあると思います。自分の抑圧に耐えられないから、あれこれとこの表現が暴力だと言って文句だけではいざ知らず規制の圧力をかけるのですね。


 それか日常が満足いくものであるから、より外のグロテスクな物に蓋をしようとしているのかもしれません。

 それが以前に起こった事では、対岸の火事的に男性向けの表現を攻撃していたら、女性向けの表現も規制されて後の祭りとなった事実もあったと思います。今はもう少し表現の自由が認められるようになって、再びその辺りの闘争も次のステージに入っていますが、かつては全ての表現がと言ってもいいくらい、何らかの規制的圧力で焚書が行われていたのです。


 過去の芸術作品は大丈夫などと規制派は嘯くのですが、これは実際に過去の名画が児童ポルノだと槍玉に挙げられて、美術館から撤去されたと言う事件も記憶されているのです。

 表現を巡る話で、明確な差別する意図があって具体的に被害を被る人間がいる実写の児童ポルノなんかは別ですが、創作物にその様な厳密な適用をしていけば、どんな物も何れ誰かを傷つけて、規制する側の人が楽しんでいる物にすら、差別や暴力のレッテルが貼られて、あらゆる本が焼かれる事にもなりかねないのです。


 運用を誰がするのか、それは恣意的に操作されて運用されないか、そんな議論はほとんどされないままではないですか。


 そんな訳で多少脱線しましたが、わたしのモヤモヤを晴らすのに、可愛いアイドルが落ち着かせてくれる時もありますが、どうしようもなくなった時は、いつも暗黒のロックやメタルの危険な歌詞の作品を聴かなきゃ堪らないのです。

 秋には説明しましたが、何だか可哀想な者を見る眼差しが感じられましたし、この件については別に禁止される訳ではないので、根本的なわたしのストレス発散法や、ルサンチマンの辛さは伝わらないと思っているので、これまで通りその部分では孤独に慰めるだけなのでいいのです。


 そんな風にモヤモヤを晴らしながら、「華氏451度」だとか「1984年」などのディストピア物を読んだりして、何故こんなに精神構造はままならないのか、そして真にトラウマを持った人の気持ちは、陽の世界にいる人間には底の部分では理解されないのだと言うのが、今回ばかりではなく昔からわかっていた事ですが、やはり孤独な悲しみと言うものは、どこか解放されるのを望んでいて、その先に訪れた世界が幸せであればあるほど、暗い世界も強く主張して来て、それが今回の一件で露呈してしまう、なんて事態になってしまうようです。


 ああだからわたしにも理解出来ない事と言ったら、現実の人間を滅茶苦茶にしてやりたいとか、誰かを支配して自分の力を誇示したいとか、そんな欲望に転化して歪んでしまう事です。

 だって、わたしには秋を無理矢理どうにかしてやりたいとか、いじめて来た人達に対する恨みはあっても、八つ裂きにしたいとか殺してやりたいとか、そんな欲望は全くないのですから。


 わたしみたいな人間の持つ危険性は、内に向かう事でしょうか。言うなれば、いつ死ぬかわからない危うさと言い換えればいいかもしれません。

 そう言う精神性を有しているからなのか、過度に内省的な苦しみを歌う曲なんかの方が、わたしはやり切れない気持ちになって、そのアーティストが若くして死んでしまったり自殺していたりすると、余計にそこに気持ちが乗っかって感情移入してしまうのか、重苦しくて一度聴くだけで胸一杯になるどころか、よりその後の時間も沈鬱な気分で過ごさなければならなくなってしまいます。


 だから落ち着いている時は、もうちょっと秋にも合わせた様な、それでいて音楽的にも面白い物や、ロック的にもガツンと来る作品など、多少考えて選曲選盤する必要があるかもしれません。

 イヤホンで聴いていると、寧ろ秋が月夜がまた精神的に不安定になってるんじゃと不安がるので、それを多用する訳にもいきませんしね。



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