第10ー2話月夜達の帰省

 次の日、わたしはブライアン・イーノとか聴きながら、うんうんと考えていました。秋はショックでどんよりしていましたし、何とかしてあげたいので、これは上手く行くか保障はなくても一肌脱いでみなくてはいけないと思い立ちました。


 それでわたしは秋に、唐突にこう切り出しました。


「ねえ、秋。今度、一緒にわたしと来てくれる?」


 不審な秋は、どう言う事だろうと伺って来ます。


「どこに?」


「わたしの実家。紹介したいから。ちょうど、二年生になるし、思う所もあるから」


「え、でも一緒に学校に行けるかもわからないよ? それにいきなり押しかけても迷惑じゃないかな。月夜の両親って忙しいんでしょ」


「大丈夫。考えがあるし、今度帰るのは祖先の命日の法事だから」


 そっか、と一息吐いて、秋はふとまた疑問を差し挟みます。


「なら尚更だよ。そんな大事な時に、部外者が行っていい訳ないでしょう」


 ちょっとこの時のわたしは、何としても秋を連れて行かないといけないと思っていたので、ぶっきらぼうになっていたかもしれません。


「だから、秋は部外者じゃないし。どうしても嫌じゃなければ、来てくれない?」


 いえ、やはりわたしは不完全なツンデレと言わざるを得ません。すぐに秋に甘える様な格好になっているではありませんか。

 しかし、それは効いたようで、秋は諦めたのか、ふうと言って承諾しました。


「わかったよ、そんな顔されたら、仕方がないよね。でも、何か企んでるんだよね。何を考えてるの、月夜。私に何かしてくれようとしてるんだよね」


「いいから。どうなるかもわからないから、今は言えないの」


 そうして、一切を隠しているのに、何をしようとしているかバレバレではないかとも思うのですが、秋は全然詮索もしないし気づいてもいないみたいでした。


 当日になって、楓ちゃんと一緒に秋も連れて行く事を宣言してから、車で帰る事になりましたので、淡雪さんに留守を任せると楓ちゃんが言うので、わたしもエミリーのロボットは置いていく事にしました。


 道中、カーステで掛けて貰う訳にもいかないので、わたしは黙ってイヤホンで音楽を聴いていました。何故かクイーンの「ノー・ワン・バット・ユー」を聴いたりもしていたのですが、すぐに再びブライアン・イーノの「アナザー・グリーン・ワールド」とか「ビフォア・アンド・アフター・サイエンス」なんかを聴いたり、ピンク・フロイドの「マネー」を聴く為に「狂気」を聴いたりしていました。


 実家に帰って来て、改めて自分のホームにたどり着いた気分でしたが、ここにはもう姉はいないのだと思い知らされるようで、少しいつもの法事の迎え方と違う事に戸惑いもあり、家の鍵を開けて中に入ってから、母と父に迎えられてようやくホッとしたのを覚えています。


「・・・・・・ただいま、天女てんにょさん、お父さん」


「おかえり。もう名前で呼ばないでって言ってるのに。でも何とか元気そうで良かった。楓ちゃんも元気そうね。そちらの方が言ってた子かしら」


 そう母が言うと、秋が少し強ばって返事をします。


 ちなみに天女さんと言うのは、母の本名なのです。恥ずかしいと本人は言うのですが、わたしは気に入っているので、時々名前で呼びたくなります。


「は、はい。月夜さんには良くして頂いています。どうぞよろしくお願いします。出来るだけ邪魔にならないようにしてますから」


「おばさま、後で月夜ちゃんが話もあるそうですから、しっかり聞いてあげて下さいね。ちょっと困った事になったみたいだから」


「? ふうん、何かしら。込み入った話なのよね。エミリーに問題でもあった?」


 不意にその話を楓ちゃんにされて、わたしは隠すのにいっぱいいっぱいになります。ああ、前もって楓ちゃんには言っておいたのが、裏目に出てしまいました。


「う、ううん。別にエミリーに不満はないよ。秋にも面倒掛けちゃってるけど、何とか学校も家でも誤魔化しながらでもやってるから。楓ちゃんの手伝いもちゃんとしてるし」


「そう。なら、まぁとにかくお寺さんが来るまで涼んでなさい。後で冷麺でも作ってあげるわよ」


 そう言われて、しばらくゆっくりしていたら、すぐに法事の予定の時間になったので、仏壇のある部屋に集合しました。

 秋はまだ居心地悪そうにしていますが、異空間にいる気を紛らわそうとしているようです。


 わたしはと言えば、これほど退屈な時間もないと感じている所です。

 年に一度ならずともわたしはいつでも姉を追悼する気持ちでいますが、こうも来世信仰を儀式的に押しつけられるのは苦痛に感じて仕方がないのですね。

 流石に足も正座で痺れますので、途中で崩したりしながら、焼香をしたりお経の書いてある本を眺めたりするのをやっと乗り切って、ようやく終了です。


 そうしてご飯を食べる時間になったので、母が冷麺を作ってくれている間、その間に父がお寺さんとのやり取りをこなしていたり、皆にお茶を入れてくれたりして、まぁこの時期は両親は家にいるのに結構忙しいので手伝いたいのですが、今年は何故かお客さん扱いされているので、借りて来た子猫のように座っている事しか出来ません。

 楓ちゃんだけは何だか慣れたもので、ちゃっかり母の手伝いを自然にしているのですが、これだけの空気の読み方はどうやって身につければいいのですかね。

 わたしも楓ちゃんの手伝いは、素直にスパッと出来るくらいにはなって来たつもりですけども。


 お寺さんは出されたお茶を飲んでから、すぐに次の予約もあるとかで車で帰って行ったので、いつも相当忙しいんでしょう。家族と楓ちゃんに秋で食事をする事になりました。


 わたしは冷麺には辛子を掛ける派なので、多少辛くして食べているのですが、この家では少数派のようで皆そのまま食べています。

 秋はへえと言って少量試してみてくれていたので、少し秋の気遣いが嬉しかったのですが、その後秋が辛子派になったのかは、どうっだったかなとちょっと思い出せません。あまり普段、冷麺を食べないからですね。

 それにこの時期はまだ適切な季節ではないと思うのですが、最近の暑さから今頃でも食べてもおかしくない風潮になっているのか、お店でも早い内から素麺つゆとか、その手のものも置かれるようになっている気がします。


 最近、暑くなりすぎで、食生活もどんどんおかしくなっている気がしますし、この調子でいくとわたしみたいな人間は、体が持ちそうにありません。

 まぁ、冷麺は具を入れるので、多少は栄養も取れるのかなと思う事にしましょう。


 食べ終わってから、女性陣の多いのに当てられたのか、父は奥に引っ込んでしまいました。

 実は父にも聞いて貰いたかったのですが、とりあえず母に話しておくのが先決だと思ったので、今は頓着しない事にしておきます。


「それで、話って何なの。学校は大丈夫なのよね。色々配慮も行き届いてるから、あそこにしたんでしょう」


「う、うん。それは何とかなってる。そうじゃなくて、今日はちょっと報告とお願いがあって」


 ふうん、と相変わらず読めない視線で母は聞いています。この人はあまり思考が読めないので、わたしは少しばかり大事な話をするのに躊躇してしまいます。


「えっと、あの、実はわたし達付き合い始めたの!」


 そう言って、わたしは秋の手を握りしめます。秋も驚いているようです。それを報告する為に連れて来たの、と言う顔です。


「へー、ようやく月夜に彼女が出来たのね。高校生らしい付き合いをするんならいいんじゃないかしら。近頃は、まだまだ未成年が性病に掛かってクリニックに来るって事もあるらしいし」


 しかしわたしは変な茶化しにもめげず、続きを言う事にします。と言うか、今回は土下座を伴ってお願いをするのです。


「お願いします! 困った事になっちゃって、秋を助けて欲しいの。秋には頼れる先は、お母さん達くらいしかないと思うし。離婚したお父さんもそんなにお金持ってないらしいし、養育費はどうなるかわからないみたいだけど・・・・・・」


 そこで怪訝そうな顔をする母。とにかく説明する事に。秋にも手伝って貰おうとするのですが、秋は困惑しています。


「いくら何でも、そこまで迷惑な事は出来ないよ。私の問題だし、そんなのとてもじゃないけど、お願いしたらおかしいって」


 秋は当てにならないので、わたしが出来る限り秋から聞いた話も総合して、あれこれと母に説明をします。それで一段落してから、母にお伺いを立てます。


「それで、どう・・・・・・なのかな」


「うーん、なるほどね。月夜からしたら、もうパートナーみたいな秋ちゃんを放って置けない訳か。そのお母さんをどうにかしたくても、最悪福祉施設とかで面倒見て貰うか、そのお父さんの所に行くしかないわよね。そうしたら、結構きついか・・・・・・。ふむ」


 一泊置いて母はこう聞いて来ます。


「月夜は秋ちゃんと一緒に学校に通いたいのよね?」


「う、うん!」


 間髪入れずわたしは頷きます。


「でも秋が幾ら電話連絡入れても、全然出てくれないみたいだし、痺れ切らして家まで行っても一向に反応なくて出てくれないから、鍵開けようとしたらもう鍵変えられてたりして、とにかく酷いんだから」


 そうやってそのままわたしは勢いに任せて言葉を紡ぎます。


「それにしても、そんなに宗教的信念って大事な物かなぁ。娘の事よりも大事になるって、ちょっとおかしすぎない? お母さんだって、仕事は忙しいけど、わたしが体調悪い時は気にしてくれたり、いつでも最大限にわたしにもお姉ちゃんにも力になってくれようとしてたのに」


 はあ、と溜め息一つ、母は語ります。


「でもね月夜、医療現場でも最近多様化した社会構造で、子供の輸血を宗教的理由で拒否して、それは人権上出来ないから強行して手術なんかするでしょ、そしたら後々訴えられたりして面倒な事になる場合だってあるし、宗教心とは違う場合もあるのは、ワクチンに対する誤解だったり、民間療法への盲信に加えて、現代の医学への無知から来る的外れな批判や猜疑心だったり、その手の本なんかも溢れてるし、ちょっと医療従事者としては怒っても怒り足りないくらいの事実もあるのは確かなのよ。

だからその延長でもある同性愛者とか無神論とかって、記憶する限りではローマ法王が同性愛者を認めた件なんかもあったり、突き詰めて考えた神学ほど、偏見による神への盲信を戒めているどころかラディカルな解釈をしたりもするのだけど、宗教保守の人ってその辺りの議論なんかには興味もないのか、馬鹿の一つ覚えみたいに創造論に基づく神への盲信や、神の名を語れば全ては許されると思って自分の信念で犯罪に手を染めたり、間違った信念による正義の暴走がしばしば起こるもので、それが前世紀にようやく根付いて来た人権意識が、今現在宗教に回帰する人が増えたりする事で、後退していって差別的な犯罪なんかも多くなっているし、多様性の担保の為に多様性を認めない人が横行する現状にもなっているのよ。

それにその多様性って言うのも難しいでしょう。リベラル側の人は、移民や難民の宗教で差別してはいけないって言うけど、その人達の宗教に根付く差別心は変えなければいけないって言葉は語らないしね。

だから男女平等意識や様々なマイノリティ達を包括した人権って言うのは、宗教保守とは両立し得ないものなのは自明だけど、それは信教の自由もあるから弾圧する訳にもいかないってジレンマにもなっているしね」


 あまりにも滔々と語る母に、流石普段から患者さんに様々な説明をしている医者は違うなと思っていると、秋がちょいちょいと袖を引っ張って来ます。


「もういいよ、月夜。何とか奨学金の申請とか出来ないか、色々やってみるから。月夜の家族に迷惑掛けてまで、どうこうして自分の我が儘は言えないよ」


 その言葉がわたしを少し辛い気持ちにさせます。どうして秋はわたしの言っている事がわかってくれないのでしょうか。


「そうじゃなくて、わたしが秋と一緒にいたいって言ってるの。だから頼みに来たんだし、秋みたいな優秀な人をむざむざ方法があるのに苦労させて不遇に甘んじて欲しくないの。ねえお母さん、秋に援助してあげられるだけのお金はあるでしょ。後で返せたらわたしも返すの手伝うから、どうにかしてあげてよ」


 そう言うわたしに母は肩に手を置いて、落ち着くように促しますが、わたしは冷静になる事が出来ません。


「いい、月夜にそんなに大金を返せるだけの事が出来るかしら。在宅の仕事をすればいいかもって思ってるだろうけど、月夜の体の調子じゃ、そのノルマをこなすだけの仕事は出来ないと思うわよ。それにね、助けてあげないなんてお母さんは一言も言ってない。秋ちゃんもちょっと聞いて?」


 母の言に秋も強ばりながら、静聴する構え。


「例え話みたいだけど、昔に片親で苦学した子が、知り合いの普段から良くして貰ってた人に援助してあげるから、大学には行った方がいいって言って頂いたんだけど、でもその子は恩を受けて重荷を背負うのが嫌だったから、援助を断って奨学金も返済に追われるのが嫌で、高卒で就職したのね。

でもやっぱり給料は大卒よりも少ないし、努力しても大卒の人と仕事してたら、難しい仕事は必死で勉強しなきゃいけない上に、その同僚よりも給料は少ない。

同一労働同一賃金なんて言われた事もあったけど、あれだって実態はより低い給料に抑える為の方法論だったし、やっぱり相当仕事一つするだけでも苦労したそうよ。

でも、それでもそれほど稼げない訳で、仕事に疲れて結婚も出来なければ、中々辛い人生になってしまったのよ。

その子の個人的な話だけど、キャリアがいい感じになって来た頃に、遺伝性の病気で治療にもお金は掛かるし、働く時間も減らさなきゃいけなくなるし、とことん追い詰められて、段々生活するのも苦しくなるようになったのは、その病気のせいで会社をクビになって、次の就職先も全然見つからないし、底辺労働をするしかなかったからなのよね。

だから、秋ちゃん。良く考えて、自分がどう言う選択をした方がいいのか、プライドだけでそんな事を本当に決めていいのかって、ちょっと悩んでみた方がいいよ。私は援助してあげる気には大分なってる。

だって、実は楓ちゃんから相当月夜との関係の深さを報告して貰ってるし、月夜の思い入れが強いのもわかってるから。

だから、一つお願いさえ聞いてくれたら、その上で返済する段取りにしてもいいし、どう言う進路に進んでもいい。これは守れるかしら」


 お願いと言われて、どんなものだろうってわたしは訝しみましたが、秋も内心そう思っているでしょう。


「これだけの事よ。これからも本当に月夜をずっと好きでいてくれるのなら、裏切る事なく信頼している月夜に優しくして、面倒も多少は見て欲しいの。

月夜の体の事を知ってて付き合うなら、それを一緒に背負う覚悟を持ってって事ね。それが守れるなら、どんな形であれ、私達の出来る事なら月夜にだって何だってしてあげる。自分でやらなきゃいけない事は、ちゃんと自分でやるのは、しっかり取り決めにしているしね。その証拠に、月夜もそれほど甘えた事は言わないでしょ」


 そう言ってくれた事に、わたしは救われたようにホッとして、秋を見ます。

 秋はわなわなしているので、どう思っているのかなと恐る恐る覗き見ると、ふうと少しスッキリして母に返事をしていました。


「わかりました。少し時間を下さい。もうちょっと母と連絡が取れないかも試してみたいですし、お世話になっていいのか、考える時間が欲しいんです。月夜の事は、ちゃんと守れるようにしたいです。でもそれには私もまだ未熟だし、努力しなきゃって思ってます。でも月夜は何より大事だから、何だってしてあげたいんです。だから、その約束はしっかり結べますよ」


 ふふと母は笑って、


「そう、それなら良かったわ。そうね、確かに私も唐突で驚いたけど、あなたも吃驚したんでしょう? 駄目よ、月夜。ちゃんと事前に教えてあげないと。じゃあ、連絡出来るように番号かアドレス教えてね。ああ、そう言えばもうそろそろ新年度が始まるんだし、あまり時間はないんじゃなかったかな。ちょっとは急いで結論出してね、秋ちゃん」


 それで話は終わったようで、母は父に今の話をしに別室に行って、後にはわたしと秋が残されました。楓ちゃんも一緒にずっと聞いていてくれたようですが。


「・・・・・・ちゃんと一緒に学校行けるようにしてよ。わたしの部屋にはいつまででもいていいから。わたし達、パートナーでしょ」


 秋はどうも戸惑いが未だに強いようで、あたふたしてあわあわしていて、わたしにどう言えばいいのかわからない様子でした。


「う、うん。ありがとう、だよね。私自分の事ばかり考えてたのかな。月夜の贈り物を受け取れるように、もうちょっと考えてみるね」


 そう言って、秋はもう一度、この為に来たんだからと言わんばかりに、仏壇の方に行って、自分の事よりも優先するべきは彼女の方だと言う気持ちを見せて、手を合わせるのでした。



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