第8-4話月夜の思考

 お風呂から出ると、子犬のように秋が待っているので、自分に入れるついでに、秋の分もオレンジジュースを入れてあげます。


 安いその辺のスーパーで買うものなので、果汁四十パーセントは割といい方ではないでしょうか。


「ありがとう。月夜、お風呂上がりだと一段と綺麗だね、可愛いし。地味目なパジャマも月夜らしいって言うか」


 それにはわたしは返事をせず、座りながら扇風機に当たってジュースを飲みます。下手に何か言えば、もっと無邪気な攻撃が待っているに違いありません。


 一つ気をつけなければいけない事は、上の方のボタンが取れやすくなっているので、それで体を見られてしまう危険性があるくらいでしょうか。


 はて、何故わたしはこのパジャマにしてしまったのか。しかし秋はその事には頓着せず、パジャマの話題はこれ以上いけないと判断したのか、秋は違う話題に転換します。


「そう言えばさ、何で前衛文学なの。普通に書いた方が書きやすいと思うけど」


「そうね、まだ書き方はよくわかってないけれど、前衛小説のテーマの仮託方法が好きだからかしら。別に読む分には、どんな形式の物でもいいし、前衛の作品ばかり好む訳でもないけれど。

そうね、例えるならよ、最初に印象派の絵画を好きになったとして、ポスト印象派を見るともっと好きになるのよね、そこに来てフォーヴィズムとかドイツ表現主義とかキュビズムだとか、色々な実験的な絵画を見ると、もう興奮して来るくらい感動するのよ。

そんな風な感覚は、小説だと言葉の理解で成り立つ世界だから難しいけど、知らない世界を見た事のない見せ方で表現されてるのは、やっぱり知的好奇心が刺激される訳。だから色々な書き方の小説を読むと、凄く面白いって言うのは、幾つか秋も読んでわかってくれないかな」


 ばーっとわたしは言ってしまいます。


 こう言う所が、多分コミュニケーションをする上では良くない部分であろうと思いますが、この癖は直す事が出来ません。


 しかし、それを気にした風もない秋は、うーんと真剣に応えてくれます。


「そうだね、確かに普通に起承転結で面白いお話を見せてくれるより、何かしら変な感覚にはなるのかも。

それがあまり本を読まなかったら、ちゃんと理解する所までいかない気がするけど、それは月夜の言ったように絵画も一緒かもね。

普通には書けない類のテーマで、現実の問題を書く時に、手法を拘ってみるって言うのは、必要な事なのかな。

非現実的な展開で、実際の問題を浮かび上がらせて来るって言うのが、読んでいく内に多少は見えて来た様な気がするし」


 そう言ってくれたので、もう少しわたしも突っ込んで言ってみたくなります。


「それとね、これは持論なんだけど、自分自身も常に疑いながら信念を持って、色々な物事を批判的に検討する、それを誰かの受け売りだけじゃなくて、その誰かの言葉自体も自分の頭でじっくり考えてみるって言うのが、稀薄になってしまった社会だからこそ、より必要じゃないかって思うから、そう言う風に何かしら考えて貰える作品を読みたいし書きたいのよね。

それでちゃんと事実とか解明された原理とかは、重んじるようにして、変な民間療法だとかカルト宗教に嵌まらないように、都合のいい世界だけに安住しないでいないとって。

それは難しいから、秋にも甘えちゃうんだけど、これはね秋の事もわたしが心配だからなんだよ?」


「私が心配? どんな風に」


「親の抑圧的な教育のせいで、変な人に騙されたりだとか、抑圧がおかしな方向に進んだりなんかしないかとか。

これはね、秋を悪く言う訳じゃないけど、極度に親に抑圧されて辛い思いをした人は、まあ虐待に近いんだけど、子供を持った場合は自分も虐待する親になってしまったり、認知の歪みから不特定多数の他者への羨みとか嫉みとかで、自分自身の欲求不満をぶつけてしまって凶行に走るケースも昔から数多くあるからなの。

わたしの言う事にもすんなり聞いてしまう所とかも、ある意味で危うい部分だし、秋にはもっと自分の意見でわたしにも批判的な事を言って欲しい。

直せる所は直すようにしたいし、わたしは頭が空回ってばっかりだし、肉体的に貢献出来る様な健康は持ってないけど、秋の助けになりたい。

守られてるだけじゃなくて、わたしも秋を守りたいのよ」


 わたしの言葉にもしかして怒りをぶつけられるかと思いましたが、やはり秋はそんな事をせずに、熱っぽい目でわたしを見つめ、手をぎゅっと強く握って来ます。


 これ、本当に無意識でやってるんですよね、そうだからこちらは堪ったもんじゃないんですが、これはある意味でいい目を見ていると思う事にした方がいいんでしょうか。


「ありがとう。私、だから最初に言ったように、月夜ってクールだなって思うんだ。考え方が自立的って言うか、大勢の意見に同調しないって感じかなぁ。

あ、でもそれで月夜はいじめられたりとか、辛い思いもして来たんだよね。孤立するのは辛いから、仲間は欲しいけど、中々単純にはいかないよね。

だったら、ますます私も月夜と意見交換出来るように頑張るね。学校の勉強は結構出来るから、基礎的な文章の読み方なんかは、そんなに苦にしないし、科学的な知識もそれなりの高校生としてはあるつもりだしね」


 褒められて嬉しい気持ちはあるのですが、やはり気恥ずかしさの方が先に立ちますね、これ。


 褒められ慣れてない人が、自分の人格を認められるのは、結構無常のものがあります。


 そう言う時に、何故かわたしには青森若葉の『神の不在』に出て来る、無条件に全てを承認してくれる神なんて概念を思い出してしまい、やはり誰かに認められるのは、自分の存在の尊さを価値一辺倒ではなくて、人格の尊重と言う意味で、わたしみたいに捻くれて優しくもなければ、他者に配慮出来る様な所謂空気が読める、なんて事が全く出来ないでコミュニケーションに不安を抱えている人間でも、大切にしてくれる相手がいるのはとてもありがたい事だなと思った次第です。


 どこまでいっても、人は孤独でしかない状況は苦しいものだと思いますし、それが出来ない間は、エミリーとずっと話していたので、ある意味では自己充足もしようと思えば出来るのかもしれませんし、わたしとは境遇が違う人は、また様々な方法で充足を得る過程を考えてみてはいかがでしょう。


 今なら、SNSで繋がるのが尤も手っ取り早いかもしれませんし、そこからリアルでの出会いに発展する場合もあるようです。


 まあそれにはまた別の犯罪に繋がる危険性も考慮しなければいけない、そんな問題点が浮かんで来るので、何でも物事は裏腹ではあるのですが。


 そうしてわたしは、デイヴィッド・ボウイの遺作「ブラックスター」を掛けたりして、また秋はカルチャーショックを受けていたりしながら、本棚や端末にある小説や評論に思想書など色々な本を見ていって、秋にこんな本もあるあんな本もある、あれも面白いこれも面白いなんて言っている内に、寝る時間になってしまいました。明日も学校はあるのです。


 秋がわたしの寝る部屋で、わたしの布団の横に布団を敷くものだから、秋は健康的な証拠に、すぐにすうすうと寝息を立てて寝てしまったのですが、わたしはその寝息が気になって仕方がないし、横を向けば秋の整った寝顔があるし、何かしてしまいそうになる不届きな気持ちを抑えながら、悶々として中々寝付く事が出来なかったのは――どれだけキスするくらいならいいかもなんて思った事か――、ある意味で今まで一番寝るのに苦労したかもしれませんが、睡眠導入剤も飲んでいたので、秋の方を見ないようにして、ぼんやりしていると、いつの間にか眠りに入っていく事が出来ました。


 その証拠に、翌朝はいつも通りしんどい気持ちにはなりながらも、何とか通常通り起きられたので、一先ず良しとしましょう。




 次の日に学校に行って、秋は帰りに会えば悶着が起きるだろうから、しばらくわたしの部屋にいるつもりだと言うので、それで親は何も言って来ないのか、そんな親なら管理しようとするんじゃないかとわたしも言えば、相当怒るだろうが父親の所にしばらく行くとメールしておいて、母親が仕事の合間に荷物を取りに帰るのだそうです。


 それでわたしは、夏場は休み中も日中ダウンして、夕食後に気分が悪くなり吐いたりした事も幾らかあって、まだ残暑が厳しいのでその事態になるのではと心配していると、心配していたのが余計に悪かったらしく、しばらく何ともなく過ごしていたのに、久しぶりに秋がいる間にトイレに駆け込んでしまいました。


 楓ちゃんの手伝いで食事を自分でも作るようにしてからは、わたしの分は出来るだけ脂っこくない物だとか、胃に優しい物をと思っているのですが、簡単な食事にもなりがちなこの季節、それでもやはりわたしの体は悲鳴をあげるのです。


 そうすると、秋は途端に心配になって、氷を入れたミネラルウォーターを入れてくれたりだとか、ゼリーやプリンにアイスなどの常備する物を買いに行ってくれたりして、大変助かったと言う側面はあるのですが、昨日わたしが秋の助けにもなりたいと言ったばかりなのに、早速面倒になってばかりなのは、どこか歯がゆい気持ちです。


 そこで落ち着いて来た時に、わたしが本を読んでいると、秋はまたもわたしの側にやって来て尋ねます。


「ねえ、どうして虚無的な作品ばかりになるのかな。月夜の書く物は、結構辛いラストが多いよね。と言っても短いのが幾つかしかないんだけど」


 ああ、とわたしは頷きます。こんな話をしている方が、気分もわたし的には楽かもしれませんしね。


「それは、わたしは世間に流布する様な、その人の存在を価値化する救済の仕方では限界があると思っている上に、そうしない方法論は実際問題では無理なんじゃないかって思うからよ」


「価値化する救済って?」


「つまりあなたは何々だから尊い存在だとか言うじゃない。そうじゃなくて、わたしとしては何の価値もない人間でも、この世界に存在すると言うだけで尊厳を守られなければいけないと思う訳よ。

でも、そこで承認欲求を満たしたいと苦しんでいる人間が思っていても、他者はどうでもいい人間には関心もないし、何かメリットがない人を好きになったりもしないでしょう。

恋に落ちれば別だろうけど、恋愛対象になれずに苦しんで、性欲の高まりだけ悶々としている人も多いと聞くわ。だから一時期、わたし自身もそうだったから、自己充足的に自分の価値は自分だけで定義すればいいと思っていたけど、それは非常に虚しく感じる虚無感との戦いなのよ。

もしそう言う事が出来て、孤独でも一人だけで充足するのなら、ある意味ではニーチェの超人のように、救済を必要としないでしょうし、他人との関わりに渇望したりしないしね。他者と上手く関われない人でさえも、孤独は辛いものだし、だから創作物に無条件に愛してくれるヒロインと、冴えない主人公なんてものが溢れるんだし。

それを批判して来た過去の論客は、どれだけ無力感に苛まれている人が、そう言った逃避的にも見える作品に救われて来たのか根本的に理解しないし、何なら彼らは差別的だとか言って攻撃したりもしている。

人権を尊重する側の人間が、マイナーな趣味だったり、世間の理解が得られにくい趣味の人を迫害したり、多くの一般的な作品が彼らを救わなかったのは、価値ある人間だけが尊重されるってテーゼを、多くの人達が共有しているからって所を理解していない。ここまではいいかしら」


 秋は、うーんと難しい顔をする。


「それって何かの記事で見たよ。女性性を搾取しているだとか、差別を助長する表現だとか。でも創作物が犯罪に繋がるエビデンスもないらしいし、それなら前に知識として月夜が教えてくれたように、女性向けのコミックにもその手の表現は沢山あるんだよね。

それに月夜みたいに女性も楽しんでいる場合もある。だから、そもそも人権意識って言うのは、教育とかの側でするものであって、娯楽物である作品がそれを負担する責任はないって事だよね。それにやっぱり誰にも相手にされないのは悲しいよ。

恋愛を必要としない人が増えている世の中になったとは言え、性欲だって誰にでも内包されているものなんだしさ」


 はあ、とわたしも合わせて溜め息を一つこぼします。


「でもねえ、わたし達みたいなのは、わたしも経験があるけど、皆キモいって言って攻撃してくるのよ。

そっとしておいてくれたらいいけど、こちら側の人もあちら側と関わりたがっている人がいる以上は、それだけでは解決しないし、それでは表現規制の問題から逃れられないしね。

だから今わたしは、もっとパーソナル性を重視した教育を施したUSAIが発展すれば、そのUSAIと恋人関係の様な擬似関係を築いてもいい気がするんだけど。セックスの面は、VRとかの発達を期待するとして、さ」


「USAIって何だっけ、確かなんか助けてくれるやつだっけ」


 わたしはその発言に驚愕します。USAIって今の社会では当たり前に活用されている物じゃなかったんでしょうか。安価になって、普及もかなり進んでいるから、あるのが普通と思っていましたが。


「ああ、私の家はそう言うの禁止されてたからね」


 なるほど、そう考えれば納得出来ます。秋の家は、今時珍しい原理主義的家庭なのでしたね。


「じゃあ言うけどUSAIって言うのは、User Support Artificial Intelligenceの事よ。そのままに購入したユーザーの目的に応じて、教育されていくAIが、どんどんその情報や知見に特価した知性に育っていくのよ。

これによって、わたしは語学の勉強とか、文学に音楽のジャンルや年代別だとか、様々な立ち位置からの情報をエミリーから教えられたし、エミリーは読解力だとか作文力の訓練も大いに助けてくれたわ。

小説を書くって事は、まだまだ情報の蓄積が必要だし、創作能力だともっと特化したAIなんかもあるんだけど、そこまでしようとは思ってないし、それだとAIが書く事になっちゃうしね」


「ふーん、なるほど。それって、購入して登録するだけでいいのかな」


 この子、本当に何にも知らないんですね。ちょっと今の時代、それじゃ危ないんじゃないですか。


「特別なサービスとしては、インプラントをする事で、体さえあれば個別に会話する機能だとか、共有した端末同士ならデータを転送出来たり、USAIが提供してくれる情報を表示したりも出来るわね」


 ますます感心しているようですが、この様子では欲しくなっているんではないでしょうか。しかし、秋の家庭では許してくれそうにないですし。


「いいなぁ、便利なんだね。それなら私は、独立して自分自身の力で生きていけるまでお預けかぁ。あ、これからはちょっとなら月夜のエミリーさん?だっけ、と話したりしてもいいかな」


 わたしもちょっと複雑ですけど、嬉しくなって笑いながら頷きます。


「ええ、もちろん。秋の興味のある作品とかジャンルなんかで、パブリック・ドメインの作品を抽出してくれたりもするし、色々な作品発掘にいいわよ。そうでもしないと情報の溢れている現代では、作品数も膨大だし、過去の作品まで探すと、ガイド本を手にしてても、もう何がなんだかって所まで来てるしね」


「そっかそっか。ああ、月夜こんなに話しちゃって大丈夫だった? でもちょっと顔色は良くなってるね。お風呂は入れそう?」


「え、ええ。ちょっと冷やしたりなんかしてたら、楽になって来たわ。そろそろお湯もいい頃だし、入って来るわね。それとも先に秋が入る」


「ううん、先にどうぞ。私は別に一緒でもいいけどね」


 それは今のわたしにはあまりにも危険すぎる気がします。裸を見られるのは慣れてないのに加えて、相手の裸も見てしまうのは、目に毒です。


 と言う訳で、わたし達は順番に入るようにしているのです。現在では、偶に一緒に入ったりもするのですけれど。


 と言うか、最初に話してた内容から、大分離れた気もしますが良かったのですかね。



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