第8ー3話秋の受け止め
その後どうも変に読書する時も、表現だとか文体だとか、はたまた構造的な着眼による見方とかで、盗める所はないかとかどう言う部分を意識して書かれた作品なのかとか、もう他の連想が浮かびすぎていけないっくらいでした。
秋はと言うと、ちょっと前に二学期始まってすぐくらいにあった体育祭の選手としても忙しかったでしょうに、驚くほどのペースで幾つも読んでくれていて、感想なんかも沢山語ってくれましたので、わたしもその本について話をしたりもしました。
それとは別に楓ちゃんは、言ってなかったと思いますけれど、絵を描く事を生業にしているので、しょっちゅう別の部屋で絵を昼間は描いている事が多いのです。
それでかなのか部屋を少なく利用する為に、楓ちゃんと淡雪さんは同じ部屋で暮らしているのかもしれません。
まあ一番の理由は、同棲生活がしたいからなのでしょうが。
その事に関連して、わたしも一時期から楓ちゃんの持っている画集なんかを借りたりして、幾つか絵画を見るようにもなって、何だか楓ちゃんとは気が合うのですけど、淡雪さんや周りの大人とは全然絵の趣味が噛み合わない事が妙に多いのですけど、それはわたしが変に前衛的な絵画ばかり好きになるからでしょうか。
マティスだとかデュフィだとかを見ても、誰もいいねとは言ってくれないのですよ。
まあそれはいいです。
そうして画集を夜に眺めていて、解説なんかも読んだりしながら、こう言う絵画の思想的な部分から、何か小説に活かせないかと考えて、それから結びつくかはわからないまでも、数日前から読み返していたドストエフスキーの「悪霊」を読んでいると、チャイムがなったので受話器に出てみると秋でした。
こんな時間にどうしたのかと思いながら、掛かっているペンタングルの「バスケット・オブ・ライト」をそのままにして、玄関の鍵を開けます。
ちょっと緊迫もありながら、リラックス出来る音楽を聴いていた所だったので、途端に秋の顔を見る事によって緊張感がより高まって来ます。
「ああ、ごめん。ちょっと事情は中で話すからさ、入れてくれないかな」
秋の言葉に押し切られながら、すんなり中に入れると、秋は鞄を背中にも背負っているし、学校の鞄も持っています。どうしたのでしょうか。
とりあえず、わたしはいつか買ったコップで秋用の物にお茶を入れて、落ち着くように勧めます。
そうすると、秋はぐいっと飲み干して、ばばっと言葉を一度飲み込んでから捲し立てます。
「あの、最初に言っておくけど、ごめん。家で読んでたら、夢中になりすぎたから怪しまれて、チェックされてしまったんだよね。それで没収って言うから、借り物だからって言ったら、じゃあ今すぐにでも返して来いって言うから、来たんだよ・・・・・・。どうにかして反抗する事は出来ないかって思って、こっそり着替えも持って来ちゃったんだけど、もし良かったら今晩泊めてくれないかな」
「ええ! 今晩ってそんな急な。大体、準備も出来てないし、布団はわたしの分があるだけだし。そう言う事なら、楓ちゃんに布団借りに行かなきゃ。でもこっちの心の準備は、もっと出来てないんだけどなぁ」
「本当にごめん。迷惑だったら、このまま話してから帰るから」
項垂れる秋に対して、わたしは無碍にする事なんて到底出来ません。秋は、わたしの為に親と衝突しているんですから。
「いいわよ、別に。秋は手伝ってくれてるんだし、それよりどう言う事なの。聞かせてくれるのよね」
はあ、と秋は溜め息を一つ吐いてから、静かに語り始めました。
「あのさ、わたしの家は、親の家計が厳格な福音主義の家で、それが原因で父親とも揉めて離婚したから、母さん一人で私を育てるんだ。だからダブルって事にしてるけど、本当はクオーターよりもっと薄まってると思う。で、母さんが言うには、文学作品はある意味風紀紊乱みたいな碌な人間じゃないのが書いている物だから、堕落しないで真面目に生きる為にも読んじゃいけないって言うんだ。多分、漫画も読ませてくれなかったし、月夜に借りて学校で読んでたのもバレたら、こっぴどく怒られると思う。それで、これまではそれに従うしかないと思って言う事聞いて来たけど、今回は月夜の為でもあるし、何より自分がそうしたいから出来るだけ抵抗したいんだ。だから今日は色々話がしたいな」
そう言っては、いきなり着替え始める秋さん。ちょっと待って下さい、わたし見てるんですが、それはいいんでしょうか、ああ女同士だから気にしてないのは、運動をやってれば嫌でも周りがいる状況で着替えますもんね、って事を理解したんですけど、初めて下着姿を見たわたしは戸惑いしかありませんし、その上パジャマになったのを見られる喜びと恥ずかしさを同時に味わっているこの環境はどう言った展開でしょうか。
「ねえ、月夜はどうしてそんなに本が好きなの? 後、変わった外国の音楽もよく聴いてるんだよね」
聞かれたわたしはどう言えばいいか困りました。
わたしの趣味の事を言うとすると、姉のあれこれを話さなくてはならないし、それに触れるのは少し躊躇いがあります。
でも秋にも色々な事を話して欲しいとわたしが思うなら、わたしも彼女にさらけ出す方がいいかもしれないとも思うのです。
「その、わたしは引っ込み思案で、人と上手く付き合えないのは元からだったし、姉が内向的なわたしに本を薦めてくれたのが最初のきっかけだったの。
あ、あのね、姉って言っても、元は男の人だったんだけど、所謂トランスジェンダーで、こう呼んであげた方がいいと思ってるから、姉って呼んでるんだけど、その姉は一度自殺しようとしてしまったから、それもあってわたしは本を通して沢山の人が生きる力を取り戻せる様な、そんな内容のある本が書きたいし、そんな深い本が好きなの。
例え、軽く触れるだけなら絶望的になりそうな作品でもね。それで音楽も姉が聴いてたのを、わたしも一緒に聴いてたのがきっかけかなぁ。
だから、秋の言うように格好いいものじゃないし、むしろ流行りの音楽とか全然知らないし、若者らしくはないわよ」
「えと、お姉さんの事とか聞いちゃってごめん。そう言うの、本当は触れられたくないよね。でも、私と違って開かれた家なのは羨ましいな」
「わたしは病気で家にいる事も多かったし、両親が本は漫画も小説も問わずにいっぱい買ってくれたりしてたからね。
母が医者だって言うのもあって、変な迷信とかも信じないし、父も学者だから尚更そうかも。
宗教も文献的にとか学術的に資料として、文化考察とか思想の分野の一つとして見ているだけだから、信仰心が深い人とは違うわよね。
信仰だって、様々な形があって、決められた形が正しい訳じゃないって知ってるしね」
わたしの言葉に尚も感心して、秋はキラキラした目を向けて来ます。ああ、パジャマ着てたら、こんなに可愛くなるんですね、いいものを見せて貰えてちょっと嬉しい気持ちです。
「そうなんだ、確か神学とかも本当に広い学問みたいだよね。私の母は、日本語とドイツ語で聖書読んで、それに沿うように指導する人の言う事を聞いてるみたいだから、全然広い視野を持とうとしないし、私もそう言うものかなって思ってたけど、これが諺で言えば、井の中の蛙大海を知らずって事だね。それで? 月夜の事ももっと聞かせてよ、私の話も逐一するからさ」
グイグイ来る秋に、ちょっとたじろぐわたし。その姿でそんな事言いますかね。花のリボンとかついてるし、フリルにもなってるしで、秋って案外そんな趣味なんですね。ピンクだし。
「そうね、わたし一時期いじめられてたから、学校は保健室登校にしたりした事もあったし、姉とばかり過ごしていたわね。ああ、それとこれはまあ別に言わなくてもいいか。ちょっと言いにくい事だし、何だか恥ずかしいし」
「ええー、なになに。聞かせてよ、月夜の秘密なら何でも知りたいな。あ、でもいじめられてたのって本当なんだ。何だか可哀想に思えてくるし、そんな事を月夜にした人が許せないな」
反則技は秋には普通の振る舞いなんでしょう、わたしはこうなったら全て聞かれた事は洗いざらい吐き出すしかないじゃないですか。
「ううーん、これどう思われるかな。その、保健室登校にしてた時ね、保健の先生が好きだったの。結婚しちゃったから、失恋なんだけど」
キョトンと不思議そうにする秋、ああだからそんな目で見ないで。
「うん、だから、その、その先生は女の人だったの。そう、わたしはレズビアンだから、今でもそんなに多くいないし、結構偏見持ってる人もいるだろうし、姉妹揃ってちょっと変でしょう」
あ、と秋は聞いてはいけない事を聞いてしまったと言う顔をしました。
「ごめん、カミングアウトを強制しちゃったようなもんだよね。隠しておきたい人もいるのに。でも、私はその事については変じゃないと思う。確かそれって脳の器質的な問題だって言ってる学者もいるって話でしょ。母さんは、全然そんなの認めないけど。・・・・・・あ!」
どうしたのでしょう、秋は途端にあたふたした様な態度を取っています。今の話にそんなにおかしな所があったでしょうか。
って、そうか、今までの言動でその事実に思い至ったのですね。
ああ! そこからわたしの気持ちが筒抜けになるとは、しかし鈍感な秋にはもしかしてそうでもしないと伝わらなかったのか、これで気づくくらいだから意外と敏感なのか。
「あ、あああのね、そ、そうなの。秋、よく聞いて。わたし、恋愛対象としてあなたの事が好きなのよ。嫌でしょ、秋はそんなつもり全くないのにね。別に今からでも嫌なら、帰ってもいいのよ」
また慌てた顔をする秋。誤解だ、と言うように。
「いやいや、そうじゃないんだ。私はそう言う恋愛感情がどこから来るのか、あんなに厳格な姿勢の母に育てられたから、全然わかってないんだ。だから出来るなら、私も月夜の事もっとそう言う意味でも好きになりたい。だって、そう言われても全く嫌な気持ちなんて起こらないんだもの。これって私もそっちの気があるって事なのかな?」
驚きました。秋は無自覚にあんな事をやっていたのはわかっていましたが、そう言う境遇だからその手の事に全く無知だったのですね。
それもわたしの告白を聞いても、受け入れようとしてくれている。その事実に感動して、ボロボロと泣いてしまいました。
「あ、ありがとう。そう言ってくれたら、どれだけ救われるか。じゃあ、その手の本も読んだりして、人間の精神構造についても共に学んでいきましょう。ある意味、精神分析の本よりも心理的な描写が細かい小説の方が、頼りになるかも。でも、本当に今までと関係は壊れないまま続けていけるの?」
少し照れたように、秋は笑います。わたしはそれにつられてぎこちなく笑おうとして、涙も拭います。
「うん、それはもちろんだよ。月夜が好きなのは変わらないんだから。それに私の事をずっと考えてくれているのは、月夜の方だよね。知らなかった世界を教えてくれて、それで籠の中から出してくれようとしている」
「障害は多いと思うけどね。親と決別するか、説得をバッチリ出来る自信がつかないと」
「そうだね、でも私、月夜と生きたいって今では急速に思い始めてる。だから、これからの事は真剣に考えるよ」
まだまだ話は尽きないでしょうが、わたしはそろそろお風呂に入りたいと思って、ちょっと前にお湯を溜めて置いたのを思い出して――もう九月ですがまだ暑いので、出してからしばらくしてから入るようにしているのです。
最低温度にしてもまだまだ熱いお湯ですから――秋の言葉じゃないですけど、急速に恥ずかしさが心の中を占めだしてモジモジしてしまいます。
「どうしたの?」
秋は不思議そうに顔を傾けます。
この無邪気なのが秋の良さですが、デリカシーを期待して、わたしの気持ちを推し量って貰おうと言うのは、無理な相談ですよね。
「そのお風呂に入りたいから、脱衣所には来ないでね。体も小さいし、見られたら恥ずかしいから」
「あ、ああ。そっか、そうだよね、この時間だもんね。ごめん、何でも気持ち考えずに。私、今の内に事情説明して、楓さんに布団貸して貰って来るね」
そそくさと玄関に向かう秋。それくらいの配慮は出来るようですね。
とにかく、わたしもお風呂に何とか入れるってものですが、この後わたしもパジャマを見せなければいけないのですよね、それがまた恥ずかしいのですが、どうやら秋にはその感情はなかったようなので、わたしだけがマッチポンプの如く一人で吹き上がっている哀れな光景に皆さんには映るでしょうか。
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