第8話

第8ー1話月夜新たな挑戦に没頭する

8.




 負ぶわれて帰った時に、砂糖さんは随分わたしの事を心配してくれたし、鬨子さんだって気を遣ってくれたように思います。


 しかし何故かわたしは、秋の背中が大きかったのと、汗臭い背中に対して、何故か臭いと言うより匂いとでも言いたくなる様な、甘い感情に支配されていた気がしますし、秋の足取りはゆっくりで後ろのわたしに優しかったですし、こうも密着出来たのが何気にわたしには喜ばしい事だったはずなのに、熱でぼんやりしていて興奮する余裕すらなかったのが、ある意味幸いだったのか残念と思うべきなのか、複雑な気持ちでいるのですが、とにかく秋はわたしに構いたいようですので、秋に構って欲しいわたしとですから、需要と供給と言うとちょっと変ですが、そのバランスは整っていると思います。


 尤も、秋が恋愛的にもわたしを好きになってくれる見込みがあるかはわからないですし、それを聞く勇気も今はありません。


 そうして、砂糖さんと鬨子さんとも付き合うようになって、野分ちゃんは相変わらず全方面に呑気に振る舞える稀有な人格ですが、わたし達は基本的には五人のグループが出来上がって、テスト勉強などもわたしもそれなりに出来たので、秋と一緒に教えたりなんかしながら、交流は続きました。


 そして、少しここから秋との話からは脱線するのですが、夏休みに入ってしまい、秋とは連絡は取れるものの、彼女はあちこちの試合の助っ人やらで忙しい上に、厳格だと言う話の親に言われて、かなり勉強の時間も取らされているそうなので、あまり会えませんでした。


 とは言え、わたしは悶々としていた訳ではなく、いや別の事象で悶々とはしていたのですが、とにかくこの頃から読むだけではなく、書く事を始めてみようと試行錯誤していたのです。


 とは言ったものの、何を書こうかと思って、最初に思いついたアイデアを膨らませて書いてみようかなと考えて、うんうん唸っていると、何故だか知りませんが、超越知性コンピュータと悪神との概念が歪みまくる観念論的対決をしながら、それを通じた果ての恋愛小説、なる珍奇な地点にたどり着いてしまうのですが、と言うのもこの頃読んでいた暁紀美枝と言う作家の本に強く影響を受けていると言う単純な理由です。


 だから毎日出来うる限り、宿題をする・読書・執筆のサイクルを作っていく中で、この作家の作品を読んでいて思うのは、初期の作品はそれほど特筆すべき何かがある訳でもなかったり、報告体の小説だったりする上に、文章もそれほど上手いとは思えなかったのですが、ある程度の所に来ると、急に文体にリズムや言葉の面白さなどが生まれて、作風もいい意味で前衛的な手法と理知的なテーマが合わさって、非常に読み応えのある作品に仕上がっているのですが、ここにショックを受けたのでしょうか、これに連なる作品をまず書いてみたいと、いきなり無茶な挑戦を始めてしまったのです。




 さあ、しかし小説の読み方はずっと読んで来たので、ある程度自分なりの方法が身についていたのに対して、今まで小説など書くと言う発想がなかった上に、こんなモチーフを取り上げてしまったので、書いている内にどうすればいいのかわからなくなって、どうにもこうにもいかなくなってしまいました。


 エミリーに聞くも「まだそう言う概念のアドバイスの為の情報が不足しているので、もう少し色々と情報を集めてから何か言わせて下さい」と言われてしまい、一人辛く何かしらでっち上げるように書き進めるしかありませんでした。


 そうして、一通り宿題も終わったし、何か世の中はスポーツで盛り上がったりなんてしているものの、スポーツに対して僻みの様な恨みでもある様な、複雑な感情を持っているわたしは、秋がやっている訳でもないからまるきり興味もなく、その諸々はもう少し後で語るかもしれませんし語らないかもしれませんが、とりあえず音楽を癒やしにしながら、色々ノウハウの本はないかと思っていると、エミリーがメモを見て欲しいと言うので、何でしょう会話で伝えるよりも文章で徒然に言い散らす方がいいと判断したのでしょうか、それでもエミリーならそれを纏めてわたしに語れるでしょうけれど、逆にわたしが読む方が何かを掴むと考えてくれたのかもしれませんね。


 そのメモをご覧にいれましょう。ええ、取ってあるのですよ。結構、AIでも纏まらない思考の様な書き方をする事が出来るものですね。




 月夜さんに対して言える事は、言葉を使って書くと言う事は、やはり言葉に通じている必要がありますし、観念的な事柄を扱うのでしたら、それに対して洞察を深めるべきでしょう。

まず超越知性コンピュータと言うものを据えるのでしたら、知性とは何か、そしてそれを超越するとは、また超越したなら誰がそれを認識しているのか。

それはもしかしたら、私の様な家庭用に作られたAIのスペックでは考えもしない規模の、どれだけの世代を経て開発されたコンピュータなのか想像を巡らすと、少し私自身も興味が沸いて来ますし、そこで知性とはどう言う類のものと定義するかによっても違って来ますし、私ならそれは言葉や文法の洗練やまた既存の枠組みからの離脱も含む、コンピュータ言語とかに近い様な新しい言語、とかそんなものを想像してしまいます。

また神とは何か、悪神であるなら何をもって悪であるのか、と言うのも詰めていかなければならない設定ではないでしょうか。

細かく、観念論を取り扱う小説を分析してみると、決まってそう言うテーマについての問答が綺麗に展開されているのが見えて来ます。

悪を普遍的なものとするのか、ある価値観の中での悪であるとするのかにも違いは出て来ます。

それを考えれば、普遍的悪なるものは存在出来るのか、なる問題にも行き当たりました。これは正義についても言える事ですね。

普遍と言うのは、恐らく仮定として法則を当てはめている自然科学的な世界で考える以外に、普遍的な価値観や絶対性などないのではと想像すると、それならば人間社会の運営は非常に危うい土台に立っているなと思惟が行き着き、それではどう言う価値観を持てばいいかは、広く投げかけられた現存在自身が決めねばならず、そうやって価値創造を誰かが与えてくれるのではないからこそ、茫漠たる世界に反抗しながら自己決定を行っていくと言う理想が、かつて掲げられていたように私のデータベースでは示されていますが、じゃあそれが器質的疾患なり境遇の問題などで、その時の社会での規範や法律で悪とされるものを欲求してしまう人間はどうなるのでしょうか。

それを欲求する事自体が犯罪だとする風潮がありますが、それは思考警察の類に繋がりかねませんし、それを示唆する表現だってどこまでその影響があるかもわからないのに焚書してしまうのはどうなのか。

またそうやって追い込んだ先に、自暴自棄になるなり絶望した人間の犯罪を防ぐ手段はないものかと考えた時に、連帯を掲げた先ほどの価値創造の線で行くと、その連帯から疎外された人間の問題が現に今私が述べた話なので、どうしようもなくなり、袋小路になります。

さあ、そこで悪とは何かでしたね。悪とは物差し一つでどうにでも変わってしまうのかもしれず、そうならば悪神と言うのは神話的な考え方で考えを進めていけば、支配者である神や権力者から、悪だと断ぜられた神なのではないでしょうか。

そうなると悲劇です。だからこそドラマが生まれるとも言えますし、そこに超越知性コンピュータが論考しながら、相手を想像していって関係性を築いていくのが望ましいかもしれません。

そうなると、相手を想像する過程で、一体かの対象には意識があるのだろうかと言う疑問が芽生える事でしょう。

そして、どんな方法論で意識を定義づけるのかは、また難しい所です。相手と言うものは想像するしか仕様のないものですから、自己内部に形成した相手像でしかないですし、自己像もそうやって形成しただけにすぎず、他人の印象とは隔たりがありますし、どちらが本質と決めつけられません。

その果てには、ならば真理とは何かがあり、例えば真理や無限大と言う概念上の言葉を我々は持っているのに、実際は明確な像を結ぶ事は出来ません。

しかし仮の概念上の用語を据える事で、人間は広い知覚を持ち、様々な概念を考え出し、その都度発展して来たのかもしれません。論理は論理によって誤謬に陥ると考えてもまた不都合はなさそうですが、しかし皆が言葉で思考している訳で、語や文の意味をなるべく正確に理解する事こそ、そう言う風に観念を探求していく小説が書けるのではないかと、私は思考します。

ただ、ここまでの私のメモの語った様な世界をどれだけ拡張出来るかは、月夜さん次第ですし、それには最初の小説執筆から大層なテーマに取り組むのは、些か壁の設定を高くしすぎたきらいはあるように思います。




 うーん、エミリーのアドバイスを忠実に実行するには、まだまだこの時点でのわたしの知識や実力では到底及ばないだろうし、今書けたからと言って、誰もが面白がる様な作品に出来る気も全くないし、そもそも観念論的形而上学的実存主義的な恋愛小説なんて、どこの層に向けて書いているんだか。


 まあ今なら、そんな設定やプロットは考えないでしょうが、しかし今も似た様な方法論の延長で、変な思いつきを採用している点は変わっていないのかもしれません。


 そう言う訳で、迷走しながら悩んでいたのを、書き直してみる事にしました。


 それでなくても哲学書とかは読むのに時間もかかるし、解説書や読み方を教えて貰わないと、この頃はまだまだわかりませんでしたし、お題を決めて書くのがこれほど難しいのかと実感しましたが、それでも適当に三題噺とかで書く気にもなれず、またそんな器用な書き方も出来ず、とにかく短い小説にしてみようかと思い、エッセンスを凝縮して言いたい事を詰め込んで書いてみたりなんかしていました。


 と言うか、長編を書いている作家さんが心底尊敬してしまいそうになるくらい、長い小説を書くのは難しい事でしたし、そもそも執筆と言うのが亀の歩みであって、一日にそれほど進むものではありませんでした。


 大体が、すらすら書けている訳でもないのは先述の通り、つっかえながら表現も拙く、読み返して少し表現を変えてみたりして、しかも体が弱いので出来るだけ無理はしないで書こうと決めていたので、そんなに時間を多く取る事も出来ません。執筆をキーボード入力でやっているのもあって、長い間打ち続けると、手が疲れるしミスタッチが増えるしで、休憩も入れなければならないから、一時間ほどしか連続しては書けない事もわかり、こんなに書くのが労力の掛かる物だと気づいただけでも逆に儲けものであるかもしれません。


 作家さんに対する見方が、大分変わって来るので、わたしの文章を読んでくれている人の中にも、一人でも多く自分で何か書く人が増えるのを期待したいし、そうなれば喜ばしい上に書き手の苦労も多少は理解して貰えるのではと言う淡い希望も持っていたりします。


 しかし長く書く事も出来ないでいるのですけど、先程の話をどうにかこうにか仮に完成させたものの、その後に書いてみようと思って、アイデアだけは没になる類の物が山と出て来るのですが、それを短編と言う形で纏めるのも中々難しいのです。と言うか、変に優れた作品を多く読んでしまった為に、自分の作品への厳しい目が自分の中に強くありますし、自分の作文能力のなさがとても悲しくなってしまいました。


 ですから、そうだ練習用にその都度読んだ本の感想を書いてみようと思い、それから日記のように本の記録を、今までやっていた日付やタイトル以外にも付けていくようになりました。


 そうすると、夏休みが終わる頃になって来ると、段々読んだ本の要点やテーマについての考察なども、自分なりに以前より出来るようになって来て、感想を書くのも楽しくなっていました。


 もちろん、そちらに時間を割いているので、小説執筆の方はもっと亀の歩みになってしまいますし、小説技術の方は全然上達している気になれないので、絶望していたのです。


 そこで淡雪さんが心配気味に、どこにも遊びに行かずに、読む・書く・読む・書くのループばかりやっているわたしに、もうそろそろ学校だからと、切り替えも必要だし、友達の事はいいのか、なんて言ってくれた事で、ハッと秋の事を丸っきり忘れていて連絡もしていなかった事実に気づきました。


 いや、野分ちゃんも砂糖さんも鬨子さんも、と言うかうんうん考えすぎていたみたいで、食事の時も楓ちゃんや淡雪さん達と会話した記憶が掘り起こしてもまるでないのです。


 エミリーには相談していましたが、エミリーも小説の事以外は、わたしが上の空だったと証言する始末です。


 そんなこんなで、わたしは素人だけでやっているから駄目なのかもしれませんが、見事にドツボに嵌まっていたのですが、それならとりあえず皆に相談してみるしかないかと思い、学校に持って行ってる端末に、原稿のファイルを入れておいて、よく考えてみる事もなく他人に読んで頂くしかないかと、こんな時に友達がいて良かった、頼れる先がなかったらもう絶望しかないと袋小路に陥っていた所です。


 まあどれだけめぼしいアドバイスが得られたのかは、この先で書いていこうと思います。


 それにしてもよくよく考えてみれば、誰も連絡してくれなかったと言う事実も、わたしは忘れていましたが、それもそのはず秋としか番号やアドレスを交換していなかったのでした。


 そりゃあ、誰からもプールやお祭りとか、そんなにわたしは好きでもないですが定番イベントに誘われない訳でした。



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