第6ー3話ヴィレッジ・グリーンでの追想
秋が帰る頃になって、名残惜しい気持ちと、少しパニックになりそうだったわたしの心境がホッとしたのと、複雑な揺れ動きをしていたのに、秋はわたしに近づいて来て、
「今日は結構捗ったよ。BGMって結構いいものだね。無音よりリズムに乗れるって言うか、私に合ってるかも。これから偶に月夜の家で勉強させて貰おうかな。一緒に出来て楽しかったし、仲良くしてくれてありがとね」
そう言ってわたしの頭を撫でるのです。
わたしは子供扱いしないでと、持ち前の素直じゃない症候群を発揮する所でしたが、何だかそれも気恥ずかしくて黙ってされるがままになっていました。
「そこまでついていく。暗くなってるし、道がわからなかってもいけないし」
「そう? ありがとう、でも暗いんなら月夜も危ないんじゃないのかな」
「別に近いし大丈夫。秋ともうちょっと一緒にいたいし」
何て事を言ってしまったんでしょう。わたしは今何を口走ったでしょうか。
不用意な発言をしてから、わたしは真っ赤な顔をどうする事も出来ず、行こっかと言う秋に素直についていって、大人しい小犬の様な状況だったと思います。
小犬が本当は大人しいかどうかなんて、全く知らないし、多分そうではないだろう事は想像しているのですが。
二人で並んで歩いていると、どう見られているのか、とか考えてしまって、普通に考えて道行く人は友達同士だと思っていると言うのは当たり前ですが、しかしそれにしてはわたしは俯いてしまっているので――と言ってもわたしは普段から下を向いて歩く癖が直らないのですが――変に思われないか、とか悶々として道だけを検索するコンピューターのようになっていたのかもしれません。
並んでいると、次第にわたしは手を繋いでみたいとか、そんな妄想までしてしまいそうになって、急いで頭をぶんぶんと振って、煩悩を追い払おうとして、ふらっとしてしまいます。
それを秋が受け止めてくれて、「大丈夫?」と酷く魅惑的な声で言うものだから、わたしの沸点はとうにピューピュー沸いてしまうほどになっています。
「ご、ごめん。何でもないから」と言って、わたしは何でもなさそうに装うのですが、流石にそれは無理と言うものですよね。
秋は何だか少し不信の念でわたしを見ているし、ああそんなに見つめられたら恥ずかしい。いえ、そうではなく、あ、ここはもう大通りではないですか。
「ああ、ここでいいよ。この辺からなら、大分わかりやすい道だし。なんかおかしいし、月夜本当に大丈夫? 気をつけて帰りなよ」
ああ、わたしは自分の妄想で自爆しているだけなのに、心配させるなんて何て罪深い女なのでしょうか。
ぎこちなくわたしは笑ってみて、手を振って別れの言葉を述べます。
そうすると、あっという間に秋は見えなくなってしまい、少し冷静になって来ます。何でこうも秋が近くにいるだけで、こんなにもおかしくなっているのでしょうか。
しかし不思議な事に、それでもパニックの発作にならない場合もあるから、恐怖を感じている訳ではないって事なのかなと前向きに捉えてみようと思います。
ええ、恋をしているのですから、当然です。そこで頭にDifficult to Cureなる文言が頭に浮かんで来て、エレキギターが奏でる歓喜の歌のメロディが脳内を駆け巡ります。
もう確かにわたしはおかしくなってしまっているのかもしれません。秋にいかれてしまったのでしょう。
ハッキリとこの段階でわたしは自覚したのですが、何だかそれは本当の恋なのかと疑問にも思っているので、誰かに相談したいなと思案して、紺さんの狐のお面が浮かんで来ます。
そうやって何か誰かに聞いてもらいたいと考えていると、電話の着信です。わたしは限られた人の番号しか知らないので、画面を見てみると楓ちゃんです。取り方は慣れないですが、ボタンを押して通話します。
「ああ、月夜ちゃん。家にいなかったから、どこにいるかと思って。今外? ああ、大通りの所にいるのね。じゃあ、これから〈ヴィレッジ・グリーン〉に来てくれる。今日は淡雪ちゃんと外食しようかって話してた所なの。淡雪ちゃんもお酒が飲みたいみたいだし。どうかしら。え、いいの。じゃあ、今から私達も行くから、待っててね」
切れます。別に怒った訳ではなく、通話が終わったのです。と書くと些かわざとらしいですかね。ちょっと書いてて恥ずかしくなって来たかもしれません。
〈ヴィレッジ・グリーン〉に着くと、割とお客さんは入っているみたいでした。なるほど、夜は夜で繁盛しているんですね、と感心していると紺さんが手招きしてくれます。
仕方がないので、一先ずわたしはカウンターに向かいます。店内は、紺さんの他に作業ロボットが何体か忙しそうにしています。料理をしたり、飲み物を出したり。
「楓さんから伺っております。今日は食事にいらしたんですよね。月夜さんは未成年なので、アルコールは出せませんが、それ以外の飲み物も充実しているので、何でも注文して下さいね」
店内にはピアノのソロが流れています。これは何だったろうかとディスプレイを眺めると、紫色の背景に緑の字で何やら書かれています。
近寄って、ちゃんとした表示を見てみると、キース・ジャレットの「ソロ・コンサート」でした。あっと、電撃に打たれた様に、わたしはかなり動揺するくらい衝撃を受けていました。
そうだ、ジャズだ、ピアノソロだ、そう言うのを掛けていれば、何かちょっと得意になれたのにと、普段はそんな風に得意になる音楽の向き合い方を軽蔑しているわたしが、昼間の選曲を後悔していたのです。
何故来訪の時は、ブラック・サバスで、次はイエスのライヴなのか。好意的に聴いてくれていたと思いますが、もっと勉強に適していて、雰囲気も良くなる音楽は幾らでもあったでしょうに。
しかし、そこまで考えて落とし穴にも気付いてしまいます。
何かと言うと、わたしは普段真っ当なジャズなんて聴かないのです。精々ジャズ・ロックとかフュージョンくらいではないかと記憶を掘り起こします。
メタルは苦手でもこれなら多少は大丈夫と思って、電化マイルスなんかは好んで聴いたりしていますし、ロックミュージシャンのやるジャズ風味のアルバムも好きなのです。いやでもそれを掛けたとしてどうなるか。
わたしの事だから空気を読まずに、例えばウェザー・リポートを流せば、ジャコ・パストリアスについて何か語ってしまいそうですし、電化マイルスだったらギターの格好良さ云々とか、何かスイッチが入るかもしれません。
今日は秋に夢中になり過ぎて、逆にイエスの事なんて考える余裕がなかった為か、何も語らなかったでしょうが、他の音楽を今後どう選曲すればいいか大いに悩ましい所なのです。
そこへ来てキース・ジャレット! これほど癒やされる即興演奏があるでしょうか。
日本では「ケルン・コンサート」が昔からかなりの人気があるのは知っていますが、わたしはこちらの方がCDにして二枚なのにより好きなので、秋も気に入ってくれるはずだと、ちょっと今思い込んでいたのではないかと思います。
席に座って、あれこれ思考が行ったり来たりしていると、紺さんはお面を揺らす事もなく、クスッと音を漏らして、
「何かこの間からの事でお悩みのようですね。楓さん達が来るまで、話し相手になりましょうか。忙しいですが、お客さんの話し相手になるのも仕事ですし、その為のカウンターですからね」
ああもしかして、心拍数とかきちんと測らなくても、何かAIにはわかる要素の身体異常とか、挙動のおかしさは伝わるんですかね。
それならもう何かバラされる心配のない、リテラシーはきちんとしている紺さんに相談してみましょうか。
そう思っていると、エミリーは頭の中で「それは推奨される事柄です」なんてクールに言います。
本当にこう言う時、わたしが基礎となって、育てて来たAIのエミリーには世話になれないのは歯がゆい所です。
どこかで人間の思いがけない悩みにも対応出来る様になるセミナーとか開かれていないものですかね。
そんなのがあれば、是非エミリーは受けるべきだとわたしは愚考します。
話の確信を何とか逸らしながら、わたしは気になっている女の子に対して、自意識過剰なほど意識を持っていかれる事や、何だかぽーっとしてしまう事、友達なのに恋の様な気持ちを抱いてしまっている事、果たしてそれは恋なのかと言う質問も交えて話してみました。
しかし話し下手なわたしの事ですから、どれだけ伝わったか、そしてわたしの隠したい事も粗方は聞き出してしまったのではないかと言う心配はあるのですが。
ああ、とりあえず烏龍茶だけ注文しました、今一緒に。
「なるほど恋の概念は、どこからかと言うのも抽象的ですが、そこまで相手の事が意識を占有しているのであれば、それは尋常じゃないほど対象を好意的に見るばかりか、どこかいかがわしい目でも見ているのではないですか?」
いかがわしい目? もしかして昼間のあれは、エッチな視線だったのですか。官能を刺激するとか言ってた様な気もしますが、そこまで卑猥な視線を向けていたとは思えないのですが。
「いえ、それがどう言う眼差しであったとしても、性的な欲望を、性を指向する相手に抱く事は何もおかしい事ではありません。もしかして言いにくいのでしたら、申し訳ありませんが、月夜さんはレズビアンなのではないですか。」
わたしは無言で頷く事で同意を示し、先を促す。
「それならば、そんなに魅力的な要素の集合を持つ相手に、そんな風な魅力を感じるのも無理はないですよ。それに貴方の波長とも合いそうな相手ではないかと、私には思われます。第一、そうやって意識が混乱するほど、相手の気持ちを推測したり、態度に一喜一憂したり、相手の事を思って妄想したり悶々としたり、様々な行動や思考を見ていれば、誰でもそれが恋だと指摘しますよ。それほど情熱的に愛されると言うのも、私には思ってくれる相手がいた事もありますが、女性ならば嬉しいものではないですか。もっと交流をして、相手の好きな事を知って、こちらの事も知ってもらうべきだと、私は分析しますが」
うーん、もっと秋の事を知る。わたしの事を知ってもらう。それにはドキドキを乗り越えて、向き合って話をしないといけないのですよね。
「もちろん、そこには躊躇いや不安など、マイナスの感情を持つ場合もあるでしょう。ですが、それで迷うよりは進んでいかなくては、望むような進展はないのではないですか。挙動不審な態度を取り続ける事こそ、何かマイナスイメージを相手に与える気もしますしね」
そうです、おかしい女と思われる事は、何としても避けなければいけません。でもわたしには、コミュニケーションを上手く運ぶ技術はないし、それでも頑張らないといけないのはわかっていても、不安な気持ちを隠せません。それを理解していると言う風に、紺さんは言葉を続けます。
「何も上手くやろうと思う必要はないのでは。自分なりの誠意を見せれば、誠実な方なのでしたら、伝わると思いますよ。だって、そう言うまともな神経をしている人だからこそ、月夜さんはその方を好きになったはずですよね」
言われてみればそうかもしれません。どんな風に言われても、わたし自信の審美眼がいいとは言えなくても、わたしの直感が嘘ではないとも告げています。
秋は凄くいい子なのは、今までの事でわかるではないですか。わざわざ、家にまで来てくれて、これからも遊びに来たいと言ってくれたのですから。
少し誇らしい気持ちにもなりかけていたら、烏龍茶が出され、丁度楓ちゃんと淡雪さんも来たので、紺さんにお礼を言って、テーブルに移りメニューを見てから食べるものは決めようと思いました。
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