第2・3話アパート生活スタート

2.




 初めに気づいたのはいつだったでしょうか。姉に指摘されてからかもしれません。


 文学を読んでると、そう言う目線で見えなくなって来そうにもなってしまうのですが、それ以外の娯楽小説や漫画を読んでいて、魅力を感じるのは女性キャラである事が非常に多かったのです。


 ただの萌え的な感情だと思っていたら、中学に入った辺りから、それだけでは治らない感情がわたしの中に渦巻いていました。


 男子とそれほど接触はなかったにも関わらず、表現の中での性に触れるに連れて、男性の体、取り分け局部をとてつもなくグロテスクに感じるようにもなっていきましたし、色々な知識がついて来る内に、そんな女性キャラクターや果ては自分の創作上のキャラクターで、どの様にも妄想していたと思います。


 姉は複雑なジェンダーの悩みを抱えていましたので、そう言った事には特に敏感で、混乱していたわたしにアドバイスもしてくれたし、相談にも乗ってくれました。


 そうです、わたしは何と作品に出て来る架空の人間が初恋の相手だったのですが、それにも偏見なく、おかしな事だとも言われませんでしたし、寧ろ理想像の追求が現実と乖離していって、芸術的な至高に近い形を求めて、現実を嫌悪する心は、どこかクリエイティブな力を養えるかもしれないとまで言って励ましてくれた事は、今のわたしを形作る非常に重要な鍵となっているのは間違いありません。


 ですが、最初からそこまで現実の人間に絶望していた訳でもないですし、そこから目を背けるようになってからあの人に出会うまでもそれほど間はありませんので、わたしなどの絶望はあまり深くないと思われる人もいるかもしれません。


 ただ、わたし自身の経験では、小学生の時の一瞬で回避行動を取ったいじめがきっかけで、同級生には警戒態勢を敷いていたと言う方が正確でしょうか。


 ですから、これがわたしの初恋だとも考えられる出来事も、すぐに失恋した形であったのです。


 と言うのも、いじめにあってから、わたしはきっちりと防衛戦を張って保健室登校をしていたのですが、その時にいた保健室の先生は、多分わたしの好みのタイプでもとびきり美人と言う訳でもなかったのですが、適切なコミュニケーションをしてくれて、あまり上手く会話のキャッチボールが出来ないわたしにも気さくに話しかけてくれて、随分その優しさで人間への希望を持ち続ける事を、わたしは失わずにすんだと思います。


 だから、道化を演じる力もないわたしには、孤立と孤独に悩む中で、家族以外の唯一のちゃんと話が出来る相手でもありました。


 それで、わたしはいつしかその先生が好きになっていたんだと思います。その頃はもう自分のセクシュアリティを自覚していたので、ハッキリと恋を認識していたでしょう。


 それでもわたしは臆病ですし、こんなきちんとした将来のヴィジョンや見立てもない上に、体の弱さで他人に迷惑をかけているわたしなのを自分自身で自覚していたので、その恋心は胸の内に秘めていました。


 今でも彼女には、これを読んでいるのでなければ伝わっていないとわたし自身は信じています。


 そうして自然消滅したのかと言うと、これはそうではなくて、やはりこれはレズビアンの宿命でしょうか、そんな風に思う出来事が起こったのです。


 恋した相手がノンケだと、どうしてこうまで苦しまなくてはならないのかと、時々他の人の話などもネットなどで見ていて思うのですが、先生は婚約者との間に妊娠が発覚して、その後に産休を取って結婚してしまいました。


 ああ、やはり相手は男性とセックスしているんだ、それが喜びなんだと思った時の、何か恋愛に対しての絶望の様なものを感じていたのだと思います。


 しかし、それは高学年になってセクシュアリティを自覚するまでにも、恐らく先生を慕っていたであろう事は、遡って考えて見ると明白なので、よっぽど長い間の恋が終わった為か、それを知らされた時は、しばらく寝込んだり、何もする気力もわかなかった為に、エミリーはどう言うパターンでそうしたのかわたしは知らないのですが、しばらくの間ベートーヴェンやブラームスと言ったクラシックを部屋に流してくれていました。


 それにも大分癒やされてはいたのですが、たまらなくなったわたしは、時折エミリーが渋るのも聞かずに、ピンク・フロイドの記録的大ヒットアルバムを流してもらったりもしていました。


 とりわけわたしは最後まで来て「エクリプス」が流れると、自然と涙を流していたと思います。


 しかし、そうやって無為に過ごしている時にふと「タイム」が心に留まった時に、わたしは再び自分の為の学びを開始して、保健室に通いながら自主学習に没頭するようになったのです。


 それからしばらくしての事でした。


 相変わらず姉は、わたしの相談に乗ってくれたり、わたしが寝込んだ時は献身的に看病してくれたり、本当に姉はわたしの自慢であり、一番好きな人間だったのではないかと言うほど、わたしに取って思い入れの強い人だったと思います。


 しかし、わたしは自分の問題に悩むばかりの年少の人間だったので、姉の悩みに気づいてあげて慰めの言葉を掛ける事など出来ませんでした。


 何もわたしは言い訳をしようとしているのではありません。


 わたしはキリスト教を信じもしないし、ある出来事から嫌悪感を少しばかり持っているほどですが、姉の事は一生涯自分置ける重い十字架になっていると言う表現を使いたいと思います。


 どうなったのかと言うと、どこから手に入れていたのか、銃刀の所持が禁じられている日本で、姉は拳銃をどこからか手に入れて来て、どこかの橋の上で静かに夜中の強行を遂げたのです。


 その後発見が早かったので、姉は奇跡的に回復を遂げたのですが、銃で撃った痕が残ってしまい、見る人が見ればわかった事でしょう。


 では何故そんな事をしたのか。遺書が机の上に置いてあったのを、父親が帰って来た時に見つけて大慌てして探していたのを見ましたので、そこに書いてある事が全てだとわたしも思いました。


 と言うのは、姉は体が男性のトランスジェンダーだったのですが、一般的なそれとは違い、レズビアンだったのです。


 それは、今でも正確に人間のセクシュアリティについて、性自認と性指向の概念は違うと言う基本的な考え方は、色々な人が説明しているのですが、余り一般的にそれほど周知されていないのが、まだこの国の現実なのではないでしょうか。


 ですから、未だに同性婚や同性の間での遺産相続などが出来ない現状なのです。そう、それで姉は周囲に普通に接せられていると思っていても、いざ好きになった相手に思いを打ち明けると、


「アンタ、オカマでしょ。何で私に言い寄る訳。女が好きなんなら、女の格好なんてしないで男として生きなよ」と言った様な心にもない言葉で、差別語も交えながら、拒絶された事が何度もあったんだそうです。


 だからか、自分の恋愛はついに誰かに対して成就する事はないんだと思いあまって、絶望的になってしまったようなので、それはそれは衝撃を受けたものだったと思います。


 わたしに取っては、姉は素敵な女性であったので、姉は誰にでも好きになってもらえるだろうと思っていたので、そんな根本的な問題で躓くだなんて、わたしには想定外で理解出来ない事でした。


 そして、姉は一人暮らしだったので、しばらく家で静養したのですが、程なくしてまた一人で暮らすようになり、また遠い場所に引っ越してしまい、年賀状やメールは来るのですが、それから少し変わってしまったみたいで、以前の様な笑顔を見る事も出来なくなり、とても悲しい気持ちになったのですが、それでも姉は強く今は生きているので、それだけが救いではないかとも思います。


 それにやはり姉には支えとなる、わたしに教えてくれた様な趣味もありましたし、これから先にまだどうなるかはわからないのですから。


 でも確かにその件があって、少し調べてみたのですが、全盛期以上に現在は同性愛者や異性愛者のトランスジェンダーは、相手を探す環境が整っていても、姉の様な人間に取っての出会いの場は極端に少なくなっているようなのです。


 それでもわたしは姉が不憫でなりません。


 そう言う性自認だから、姉は性別適合手術も受けていたのに、それでも女性として見られない事が多かったと言う事に加えて、レズビアンの女性はトランスジェンダーの女性とは付き合えないと言う事実も、本質的な問題で大変姉の苦悩を強くしたでしょう。


 そう言うショックがあってから、より一層わたしは自分の事も不安視するようになっていました。


 そうして不眠症がもっと酷くなっていった時に、寝られない事の不安も上乗せされたのか、そんな閉鎖的な状況でわたしは息苦しくなって、吐き気もしたりするのを感じるようになっていました。


 それをエミリーは目敏く感知して、不安な状況で恐らくパニックの発作が起こったのだろうと判断して、母親に報告しました。


 母親はそれを聞いて、その時にはその発作が起こって苦しい夜が幾度かありましたから、すぐに専門医を受診させてくれました。


 そうすると、ある意味で珍しいパターンのパニック障害である事がわかったのです。


 パニック障害と言うと、普通対人関係や人の沢山いる場所に出かけたりすると、緊張状態が高じて発作が起こると言うものですが、わたしの場合は夜に一人きりで悶々としているだけで、その緊張状態が極限に達してしまい、その発作を起こしていたようなのです。


 だからか、段々認知療法も行いながら、不眠症も少しずつ対策をしていって、それでもしもの為にその発作が起きた時用で、頓服薬も飲んだ回数に従って、適宜処方して貰い始めました。


 今でもまだ不眠症もこの発作も、軽くなって来ているとは言え、わたしはこれで苦しんでいます。


 それはもう仕方のない事だと受け止めていますが、この発作が起きた時は、この世を呪うような辛い時間を過ごさなければならない事は告白しておきたいと思います。


 と言っても、余りこの発作の症状を説明しても、他人には理解されない事が多いのが現状です。


 例えばこの発作中には、患者はこのまま死ぬんじゃないかと言う恐怖心を抱く事が多いのですが、大分大袈裟に言って同情してもらおうとしていると思われるようです。


 しかし、これは患者であるわたし達にしかわからない事なのかもしれませんが、こんな症状やどれだけそれが収まるまで、息をするのも苦しくて、横になるのでもわたしの場合は、体制を整えたり、どの角度で横になるのかによって、苦しさも違う事など、本当にわたしは苦労しているのです。


 だからと言って、私は姉を恨む事など全くありません。


 姉にはわたしは大変懐いていましたし、わたしの事を理解して受け入れてくれていた人だったので、その姉の力になれなかった事に、逆に後悔する気持ちが強いくらいです。


 だから、何かそれに対する解決法がなかったか今でも時折考えてしまうのが、正直な所かもしれません。


 そう言う意味では、わたしは病弱で色々苦しみ事があっても、とりあえず現在はそこまで他者から拒絶されずに生きていけているので、恵まれていると考えなければいけないのかも、とか思ったりして自己嫌悪する事もある為、それもまた良くないなと考えている次第です。




3.




 中学までが散々だったので、高校に上がる時に、わたしは両親の勧めで山吹楓やまぶきかえでと言う従姉妹が経営しているアパートの近くにある私立高校を受験する事にしたのでした。


 そこは、体の悪いわたしの様な生徒でも、出席日数を最低限クリアすれば、多少欠けている所をレポートなどで補ったりも出来る所だったので、わたしも高校には出来ればちゃんと通いたいと思っていたので、両親と離れて暮らすのは不安がありましたが、そこに飛び込んで見る事にしました。


 その為の準備は少し手間が掛かったのは、やはり予想されていた事でしたが、ちょっとばかりわたしにはしんどい事でした。


 と言うのは、かかりつけの病院には継続して通いたかったので、月に一度通うのにそこまで出かけるのが、電車に乗ったりして余計に疲れるからなのです。


 学校だって、家から通わず楓ちゃんのアパートから通う事にしたのに、そこはもう一つの不安要素です。


 そして、そのわたしのサポートにもっとエミリーを最大限に使おうと言うので、両親にエミリーをインストールするロボットを買って貰った事は、より助かるので嬉しいのですが、また負担を掛ける事にもなってしまって、そこが自分には両親に対して引け目を感じてしまう所なのかもしれません。


 しかし、エミリーは今まで通りの冷静なお姉さん然として、わたしの話も聞いてくれてアドバイスもしてくれるので、これまで以上にエミリーに助けられる事は、わたしは両親に対する考えとは違って嬉しい事でした。


 引っ越しの時に、これでも持って行く物は最低限にしておこうと思ったのですが、本やCDなどは結構あったので、楓ちゃんには割とレトロな趣味も相俟って驚かれました。


 音楽は一応、データでも管理していて、いつでもエミリーに頼むと音源を再生出来るのですが、何故か古いこの機器でも聴きたい時がふとあるので、相当気に入っている物はあまり高音質の物ではないにも関わらず、幾つか持って来ていたのです。


 それよりも大変だったのは、本です。


 古本はその時には、部屋から溢れて倉庫にもダンボール箱に詰めて置いていたので、どれを持って来るか考えるのが大変でした。


 しかし、よく考えたらわたしの読んでいる物の大部分はパブリック・ドメインに入っている作品ばかりなので、どこでも携帯端末で読めるのを思い出して、あまり持って行かない事にしました。


 しかし、それでも、そこはまた話が違って来ます。付箋を貼っている本だとか、雑誌の類だとか、幾つも持って行く事になってしまい、アパートにある倉庫――楓ちゃんが考案したんじゃないでしょうが、これは物を置きたい人の為に貸し出している倉庫があると言う、珍しいアパートなのです――にダンボール箱を置かせてもらう事になりました。


 楓ちゃんは、小さい時に会った時から、わたしには良くしてくれて、姉の事も気遣ってくれる優しい人でしたので、あまりその関係については不安視してはいませんでした。


 この機会にもっと料理のやり方やメニューを、楓ちゃんに教わろうかと思っていたほどです。


 そして、入学式の前に辺りの道を、エミリーにナビして貰ったりしながら覚えて、買い物も出来るようにして、出来るだけ早くに生活に慣れようとしていたのですが、やはり夜は何故か急に不安になって来るのです。


 ロボットを使うようになってから、いつもその機体に入ったエミリーが側にいたので、ちょっとは恐怖感も薄れて来るからと思っていましたが、そんな事はなかったようです。


 わたしは、自分の名前がこんなのなのに、夜に空を見上げるのは苦手でした。


 それはよっぽどピンク・フロイドの音楽が、染み込んでいたのか、暗いのが怖いのか、どちらかはわかりませんが、ある意味ですぐに眠ってしまう事が出来ないのも、恐怖を倍加させている要因だったのかもしれません。


 ですから、あまり眠れずに時折発作も起きて、苦しい夜を過ごしてから朝起きて、太陽が昇っているのを見ると、体はしんどいのに心はホッとしたものです。


 しかし楓ちゃんもサポートしてくれているのは、わかっています。


 食事はいつも一緒に食べてくれるし、古い本の話ばかりするわたしの空気の読めない会話にも付き合ってくれているのですから。


 だからどうしてか、楓ちゃんには甘えてしまうようです。


 本の話も知らない人には、あまりしなかったものですが、この頃から少しずつ馬鹿にされたりするのを恐れる事なく、会話をしようとしていく切っ掛けになっていたのかもしれません。もちろん、入学して最初の頃は、まだ私は同級生達に壁を作っていたんですが。



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