プロローグ~第3話

第0・1話始まりの彼女の記憶




 わたしは今、プリントアウトされた三枚の写真を手に取っています。いえ、この場合三葉と古めかしく言った方がいいのでしょうか。


 それは、わたしにはあまり良くない思い出から、今となっては幸福の象徴の様な物まで、それが今ある三葉に凝縮されているのです。


 初めの物は、一人で写っている子供のわたしが、どこかの建物の前で歪んだ顔をしながら、何かを懸命に堪えているとでも言えばいいかもしれません。


 それは、恐らく外の世界に出る事の恐怖に、この時から自分の運命を予感していたのか、怯えていたのでしょう。


 次は、中学生くらいの時だと思われますが、そこには無表情な少女が一人。これももちろん、わたしです。


 いつからか、心を開く事を拒否していたわたしは、周囲には無視されていたので、わたしだけの世界に入っていた事に違いありません。


 自分の境涯を鑑みて、絶望を受け入れていたとも言えるのですが。


 三葉の写真の最後は、ある人とこれは記念に写した中の一つです。それから、他にも数人心を通わせる事の出来た人が写っています。


 しかし恐らく、あの時あの人と出会っていなかったら、あんなにあの人の中に深く入っていかなかったら、今のわたしはありません。


 それどころか、生きていられたか、それとももっと酷い状態になっていたかもしれないと思うと、少しぞっとする思いです。


 その中のわたしは、少しぎこちなくですが、笑っています。あの人といられる幸福を、今までの分とでも言うかのように、噛み締めていたのでしょう。


 そう考えると、随分と今下敷きに使わせてもらった、あの白髪の男性とは違う人生であると言わなければなりません。


 彼のようにわたしは、無理矢理には笑うフリなど出来ませんでしたし、人間世界一般が理解出来ない訳でもなかったのです。


 ただ、他人と違うわたしと言う存在に苦しんだり、他人の理解出来なさに不自由した事は事実でしょう。


 彼は、ついに正常な関係を構築出来なかったし、理解もされないのは当然なので、あのような悲惨な境遇になってしまいましたが、わたしはあの人がいたり、物語や音楽に慰められていた分、壊れなかったのかもしれません。


 わたしのこの少女時代の事を、これから綴っていこうと思うのですが、わたしを公に知っている人には、ある意味興味深い自伝の様な作品になっているかと考えています。


 だから、いつも書いている内容の物と、大分カラーが違うからと言って、あまり批難しないで欲しいと言うのが、わたしの願いです。


 これは良く考えて、様々な人やUSAIのエミリーとも相談して決めた事なのであって、わたしの事を赤裸々に書くなどと言う私小説に手を染めるとは思っていなかったわたしとしては、とても書いていて恥ずかしい思いではありますが、何とか書き切ってしまいたいと、最初に言っておきたいのです。


 馬鹿な人間がどうなっていって、今のわたしになったかに、何か一つでも感じてもらえれば幸いです。







 わたしの今の生活はとても不規則です。それは仕事による影響もあるし、昔からわたしが不眠症だった事も挙げられます。


 今でもあまり深い眠りは取れませんし、それほど寝ていないのに目が覚めたりして、飛び飛びに仮眠を取ったりなんかして効率が悪い事この上ないですが、これはまあそれほど依存性の強い睡眠薬には頼らずに、軽い睡眠導入剤だけでやっていきたいと思っているので、これを受け入れています。


 さてそれで不眠のわたしは、夜中に仕事をする事もあるので、たまにスープや味噌汁などの温かい物を頂いて、一服するのですが、これが時々味噌汁などの匂いを嗅いでいると、どうしてか昔の事を思い出してしまうのです。


 これは決していい思い出ではない類のものが多い為、あまりいい気がしないのですが、これはわたしが覚えている記憶なので仕方のない事と諦めるしかないようです。


 それに昔の出来事に飛翔するきっかけが、紅茶に浸したマドレーヌでなく味噌汁だと言うのが、何ともお洒落な雰囲気など皆無なのではないかと思いますが、わたしの体験がそう言うものによって司られているのは否定しがたい事実なのは言うまでもありません。


 元々、わたしは生まれた時から、体重も標準より軽めでしたし、体の状態も決して健康などとは言えないものでした。


 それによって、動ける範囲も限られ、何も肉体改造に強い意志を持てる訳でもなかったので、体力もいつまで経ってもつかないままでした。


 その為、幼少の事から、学校や幼稚園などの水泳の授業や、走ったり球技に講じたりだとかが、とても苦痛に感じて仕方がなかったと言っても過言ではありません。


 そう言う意味では、必然的にわたしは内向的になっていき、割と年の離れた姉――彼女、体の構造は男性でしたが、わたしに取ってはいつも信頼出来る姉でした――が教えてくれた音楽や、常に手放さずに読みふけっていた様々な本がわたしの救いと言ってもいいほど、その世界に没頭したのでした。


 それで姉の教えてくれた作品を手がかりに、歴史的な事柄やガイドになる様な情報を、わたしのUSAIであるエミリーにめぼしいページを抽出してもらって、調べたものから大抵の作品はパブリック・ドメインに入っていましたので、それほど古い作品でも苦にせず、とにかく読みふけったものです。


 ああ、そうですね。


 何故そんな古い本や音楽ばかりに興味があったのかと言うと、やはり姉の影響も大きいのですが、わたしの家族は、父は研究に忙しい学者でほとんど家に帰って来ないし、母も医者なのでしょっちゅう泊まり込みになる事もあって、わたし達をUSAIに任せてばかりいて、構ってくれた事はなかったと思います。


 だからと言って、愛されていなかったかと言うと、そうではないとわたしは思っています。


 何故ならば、あの人との関係を話した時もきちんと向き合ってくれましたし、病気のわたしのケアは充分にされていたとは思うからです。


 ただ、これだけ社会がAIに仕事を任せるようになっても、両親の様な仕事を肩代わりする事は中々難しい職種でもある為に、相変わらず昔と同じ様に忙しい人達でした。


 そう言うと、父は何故そんなに忙しいのかと思われるかもしれませんが、父は研究に没頭しては、他の事が疎かになるほど、集中したら止められない人でしたので、休みを取るようにされていても、家にいても同じ事だったでしょうから、あまり労働制度とは関連がなかったかもしれません。


 それは今ならわたしも、書けるだけ書く時などがあるように、パートタイムでの正確な労働に向かない人間と言うのは一定数いるのだと、ある程度は認識しています。


 わたしなら、手の疲れから書きまくるのを続けるのは困難な時もありますが、父の場合はそう言う困難には直面する事はなかったようですしね。


 とにかく、わたしは体が弱い為、両親はその機能をちゃんと実装したUSAIを選んで、わたしのケアをロボットの機体も介護用の物を購入して、エミリーをその様に教育したりしてくれていたので、エミリーには感謝してもしきれないくらいなのは、今の世の中に生きている皆さんなら、この気持ちに同意して頂けるでしょう?


 しかし母も非番の時などは、医者だけに手際よくわたしを看病してくれましたし――これには幾分申し訳なく思っています――、その後の病気の発症もエミリーの応急的な診断の正確さを、きちんとした知識の裏付けで確かな事を確認してくれましたし、専門医に見せる事も怠りなくやってくれました。


 それでもわたしは体が弱いので、寝て過ごす事が多かった為か、随分退屈な時が多かったように思いますが、多少元気になって起き上がれる時は、本を読んだり音楽を聴いたりして、姉と話をする事もしょっちゅうでしたし、外で遊ばない上にゲームとかが苦手なわたしは、友達などいなかったので、姉が唯一の慰めでもありました。


 姉も今から思うと、わたしと話している時が一番くつろげていたのではないかと、わたしの自惚れでなければ、そう思うのです。


 姉がいない時は、エミリーと会話をして、エミリーの教育は人よりも沢山したんじゃないでしょうか。


 尤も、エミリーはわたしの為のカスタマイズですから、古典文学やわたしの気に入る音楽、外国語の翻訳や教材、病気に対する処置、などの知識に偏りがあったと思いますが、その点ではわたしは独学で勉強を家にいながらでも結構出来る環境を整える事も出来たので、やはりUSAIは人類のパートナーとして、相当役に立つなと感じたものです。


 それだけに、USAIがなかった時代や、またまだ高価で庶民が手を出す事の出来なかった時代は、どう言う風に様々な情報収集や学びに取り組んでいたのか、少し気になっていたので、エミリーに検索してもらって、その変遷の歴史の書かれたページを見ていると、その時代はかなり体系を調べるのに苦労していたようで、インターネットの検索もその検索ノイズなどや、偽情報の判定が相当に困難だった事の様な、今から考えると何て不便な時代だったのだろうと驚愕した事を子供心ながら思ったのを覚えています。


 それ以前となると、新聞やテレビに自分の足で回れる店舗にある物を買う事によって、情報を得るしかなかったそうなので、とてつもなく得られる情報が限られると言う事は、地域によって本の入手などにも格差が出て、それはわたし自身遠くまで出かける事の困難さを思えば、過去の暮らしは耐えられないだろうと想像してしまうのは、何かおかしいでしょうか。


 しかし、そうやって最適化された情報の洪水に流されている不具合もあると言われているのは、昔からずっと問題は深刻化してもいます。


 つまり、見たい情報や興味のある作品に触れるばかりで、多様な価値観を覗いてみようなどとは誰も思わなくなったと言えましょう。


 生きていく効率が良くなったと言えばそうも考えられそうですが、違う思考の人間を想像する余地もなくなり、以前より科学は発展したのに、以前以上に偏見に塗れた人や、多数から外れる人間を排除しようとする動きは盛んです。


 USAIすら、そんな教育に染められてしまう傾向も指摘されている有様。


 そしてわたしは幼稚園には何とか入る事は出来ましたが、病気がちで休む事は多かったから、保育士の先生は優しくしてくれた事に対してありがたく思うものの、他の園児とはあまり上手くいかずにいつも隅でしょぼんとしていた記憶が朧気ながらあるようです。


 何故、そんなにも朧気かと言うと、恐らく人間は幼少期の事を鮮明に覚えている事もそれほどないとわたしには思われますし、嫌な記憶は無意識の抑圧で、意識上に上らない様にしてしまっているのだと考えられないでしょうか。


 古典文学だとか言っていたのですが、最初の頃は絵本を良く読んで貰っていたのです。


 それが読んでくれる人は、そんなに頻繁に読める環境にはなかった訳ですので、エミリーに読んで貰うか、必死で幼い頭脳を駆使して、まだ就学もしていないのに字を覚えようとしてみました。


 それで少しずつ読めるようになっていって、ひらがなばかりの絵本なら、一人で読む事が出来た時に、自分で本を読む事の喜びを始めて知ったのだと思います。


 その延長上に、エミリーにサポートしてもらいながら、自分でも書けるようにノートに練習したり、キーボードに打ったりしながら、漢字やアルファベットも徐々に読める字や語彙数を増やしていきました。


 ですから、その本の中での素晴らしい人間を見ていた上に、姉や両親は優しかったので、世間を全く知らなかったわたしは、過度の期待を他人にも抱いていたんでしょう。


 それが、幼稚園や小学校などで裏切られていくのを、まざまざと感じさせられ、人間とはこんなにも悪意を、いえ悪意すらなく無神経な言葉を投げつけられるのかと、逆の意味で驚愕してしまいました。


 子供の社会とは、かなり閉鎖的なものですから、大人のように嫌なら孤独に生きるなんて事は中々出来ません。


 その周りにいる子供達に、何とか仲良くしてもらおうと、必死なのです。


 それでも、やはり受け入れられない子もぽつぽついますし、わたしはあまり自分を出さないで表向きだけ付き合うようにして深く付き合う事もなく、表向きの付き合いすらあまりせずにいたと記憶していますが、そう言う風に無理をして特別親しい訳でもない子と、表面上和気藹々と付き合っていた子も多いのではないでしょうか。


 ええ、ですからある時にこんな風な言葉を聞く事は、誰しもあるかもしれません。


「ねえ、普段休みの日は何してるの?」


 この質問は無邪気な様でいて、返答次第では残酷な未来を暗示しています。わたしは、その時は周りの人間がそれほどわたしと違った人間だとも思っていなかったので――あまり相手にしてくれない子達ばかりだったのに、何でそんな風に思ったか、今から考えるとわたしの心情ながら、あまりにも愚かだったと言う外ありませんが、それも一つ勉強になったと思うしかないようです――素直に趣味の事をべらべらとまくし立てるように話してしまったのだと記憶しています。


 そうすると、彼女達は蔑んだ様な目を向けて来て、


「えー、そんなキモい引きこもりみたいな事ばっかりしてるのー? 買い物行ったり、外食したり、家でならドラマ見たり××ちゃんとか歌番組で見たりしないんだー。変わってるね」


 これです。この発言をした彼女を仮にAさんとすると、Aさんはまるで世間で流行っている、それも誘導によってそんな媒体に興味を持っているとマスメディアが思わせて、商売をしようと広告会社などと提携してやっている事を、本当に自分がのめり込んでいると思いながら、次から次へと流行り廃りで話題を変えていくのです。


 そりゃあ、わたしだって、何の影響や誘導もなく、自分の趣味を持っている訳じゃないですが、何かの趣味に没頭する事をオタク臭いなんてレッテルを貼って、今では最早時代遅れとも一部では言われているテレビの流行に乗っていく事が、お洒落だと本気で思っている人が一定数まだ棲息していたのです。


 考えて見れば、SNSの投稿を見ていても、テレビやそれが取り上げる芸能界の話題なんかが、トレンドにしょっちゅう上がっているのを確認出来るので、視聴率がどれだけ低迷しているなんて事を言われても、ネットテレビの様な物と契約して、見たい番組を見るチャンネルよりも、つければ見られる地上波のテレビが未だに勢力を維持しているのは、何かの陰謀でも進行している様に、誰もが求めていない空気が随分と日本社会を支配している気がして、空恐ろしい気持ちがするものです。


 またこんな事もありました。


 わたしが昼休みに食事が終わって、読書をしていると、あるグループの女子がそれを取り上げて、


「あんた本ばっかり読んで陰気なんだよ。何読んでんの? どうせキモいの読んでるんでしょ」


 とか言って難癖をつけて来たのです。


 確かかなり古い作家の本を、古本の通販で相当安く大量に買って、それから文学作品をこれから読んでいく入り口にしようとしていた時だったと思います


 だから、そんな類の本を読んでいたのは、その頃始めたばかりなので、以前はもっと娯楽的に見ても子供が楽しめる物を沢山読んでいたのですが、彼女らにその区別がつくはずもありません。


「返してよ」


 二束三文かと言うほどで買った本だとは言え、わたしには両親に買ってもらった本は大事なのに変わりないので、声が高くなり取り返そうとします。


 しかし彼女らが高く掲げると、背の低いわたしでは届かないので、取り戻す事が出来ません。


 必死に縋り付くも、彼女らの嘲笑に喘ぐわたしを、教室内のクラスメイトは意図的に無視しているのでしょう、何もないかのように皆振舞っています。


 体力がないわたしは、すぐに力尽きて、へたり込みます。


 そうすると彼女らは、今度は奪った本を窓から投げ捨てたのです。それを見たわたしは絶望しながら、その疲れ果てた体に鞭打って、階下に急ぎました。


 教室の下には、小さな人工池があったから、そこに落とされるのを危惧して、わたしは嫌な汗を拭いながら、息が上がってるのに力を振り絞って、そちらに向かいます。


 果たして、端の方で手を伸ばせば拾う事の出来る距離でしたが、まさか防止加工のしてある本じゃあるまいし、びしょびしょになって無残な姿になっていました。


 それを確認している間にチャイムが鳴ったので、わたしが項垂れてしばらく呼吸を整えてから、教室に帰って来た時はもう授業が始まっていました。


 先生はわたしに注意しようとして、わたしの手にある物を見つけます。それで後で職員室に来るように言われ、そのまま席に戻りました。


 そしてやはり事情は概ね推測されていたのでしょう、これを誰にやられたのかと聞かれ、最初はわたしも言い淀んでいたのですが、終いにはAさん達のグループの仕業である事を告白しました。


 それでホームルームは、その事で彼女らが非難の的になり、これはこの先ますますわたしへの攻撃が激しくなるぞと直感が告げていましたので、それからしばらくは休んで、その後は保健室登校に切り替えてもらうように、父親が頼んでくれたので、ある意味では異物のわたしを隔離したと言う形で、わたしにもとりあえずの平穏は訪れたのです。


 そうなった事で、わたしは学校の勉強を保健室でする時にも、エミリーを活用する事にしました。


 ああ、言うまでもない事ですが、このわたしの少女時代にも既に脳にUSAIと接続するインプラントの技術は確立されていたので、これからの数年間はエミリーとの関係の方が、家族を例外として他人との間にあるものよりも、より深かったのではないかと思われます。



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