第2話 犯人たち

 思わず唇から、溜息混じりの苦笑が零れた。

「それは、アタリ、と思って良いの?」

「その通りです。私が探偵だ。つい最近、何か良からぬ計画が立てられているのを察知して、探っていたんです」

「良からぬこと、とは」

 私は血の海に沈んだ男にちらりと視線を走らせる。

「そこで死んでるあの自称探偵は、私たち全員を葬り去ろうとしていたんです。私を、皆を殺そうと、機会を狙っていた」

 そこで一旦言葉を切って、順番に三人の顔を見る。どの顔も、緊張と困惑と不安に包まれて強張っていた。

「だから、殺した」

 ひ、っと眼鏡の男が肩を竦めて女に寄り添い、脇腹を肘で突き返されて、今度は髭の男に縋り付く。髭の男は「ああ、まあ、なあ……」と曖昧に呟いて、上目遣いに私を見ながら頭を掻いた。

 怯まなかったのは、女一人だ。彼女は指先で思案気に耳の下をなぞって、唇を開いた。

「だったら、アナタはアタシたちの味方ということ?」

 私は同意を示すために肩を竦めた。

「どうしてこいつは、アタシたちを皆殺しにしようだなんて」

「それは……」

 私がこの男を殺した理由と同じだろう。男は殺人の気配を嗅ぎつけ、そして止められないことを悟って、犯行が行われる前に犯人を殺そうとした。正義の名の下に行われるはずだった犯罪。だが、それは、殺人という名の返り討ちにあって、無残に散った。どちらも、殺人を防ぐために行われた殺人。

「アナタがアイツを殺したのは、殺られる前に殺らなきゃ、ってこと?」

「そうなりますかね」

「でも、間違ったってことはない?」

「間違い?」

「そう、ちゃんと聞いたの?」

「聞くって『ひょっとして、俺たちのこと殺そうとしていませんか』ってか?」

 髭の男が呆れたように手を振った。

「そうよ」

「莫迦だな」

「何よ!」

「……聞きました」

「聞いたの?!」

「聞きましたよ。フェアにいこうと思ってね。仮にも、同朋だ」

 両手を広げて床の上で仰向いている男は、苦悶の顔で瞼を閉じている。彼だって随分と長いこと、同じ場所に暮らしていた仲間だ。だからこそ、彼もこの狭い場所で企てられた秘密裏の悪事を嗅ぎ取ることができたのだろう。

「そうね、仲間だったわね」

 女がほんの僅かに目元を緩めて血だまりを見た。

「それで?」

「まあ、見ての通り」

「じゃあ……しょうがないわね」

 真正面から私を真顔で見つめた後で、女が音の立ちそうな長い睫でウインクして見せた。眼鏡の男が呻くような声を上げた。

「それで、アナタは、どこまで知っているの」

「まあ、全て、でしょうね」

「全てというと」

「彼が、どんな悪事を阻止しようとしていたか、ですよ」

 私が皆を見回せば、男たちは横目で互いを見遣り、女は天を仰いで鼻を鳴らした。

「知っていて、アナタは彼を殺したの」

「そうです。私たち全員を殺してでも彼が止めようとした犯罪、それは」

 私は自分の爪先を見下ろし、それから血塗れの男を見た。私が殺した男。悪を止めるという善のために悪を犯そうとした男。

「それは、殺人です」

 顔を上げて宣言した私を、全員の目が貫いた。諦めにも似た、穏やかな眼差し。

「あなた方は殺人を目論んでいた。彼は、それに気がついて、何としても止めようとした。その理由は分かりません。仲間に手を汚させたくなかったのか、殺害相手を守ろうとしたのか、自分も仲間だと思われたくなかったのか、それとも、ただの正義のためか」

 そんなこと、私には判らない。それも、本人が死んでしまった今となっては、確認の術もない。

 どうして死んだ男は、私たちを殺そうとしたのか。

 それは、探偵も残りの皆も悪人だったから。

 悪事を阻止しようと殺人を謀るのは、悪いことか。密室内で、人命のかかった悪意を察知して、犯人の殺害以外に他に止める方法がないと知った場合、その行為は罪に問われるのだろうか。

 私は探偵だが、残る全員の悪人の命を守るために、善い者を殺してしまおうと情報を集めていた。探偵が正義の側に着くなんて、一体誰が決めた。

 たった一人、悪と戦おうとして、探偵に殺されてしまった犯人。彼は、私たち全員が目論んでいた、殺人を止めようとした。

 そうなのだ。この私だって、例外では、ないのだ。

 何が善か悪かなど、誰に判るというのか。

 そうして、殺人はふたつ、行われた。私が殺した彼と、皆で殺したもう一人。

 だが、犯人である私たちは、今、密室の中だ。

「……どうするの」

「どうっていっても」

「まあまあ、今回のことは必要悪だよ。こいつがいたら、計画は進まなかった、だろう」

「そうね」

 その時、部屋が大きく揺れた。唯一の開口部である窓のブラインドが激しく開閉される。

「地震かな」

「どうかしら」

「外はどうなっているんだろう」

「見てみたら、今ので、窓が開いたもの」

 私は先に立って、つい今し方、振動と共に開いた窓に片手を掛けて、隙間から外を覗き見た。

 窓の向こう、ずっと下で、女が一人死んでいる。私たちが実行した、もう一つの殺人。

「ねえ、首尾よく行ったんじゃない。今まで、あと一歩っていうとこで、何度も邪魔が入っていたけど。それって」

「こいつの所為だろ」

 髭の男が血の海を指さした。

 そうだ、今まで、何度も何度でも、根気強く彼は私たちを止めていた。だが、それも、今度ばかりは上手くいかなかったのだ。正義は霧散して、私たちは悪事に手を染めた。だが、その悪は、本当に悪と呼べるのか。この窓の下で死んでいるのは、酷い人物だった。殺してしまいたいほど。

 私は倒れて動かない女を、醒めた目で窓から見下ろしていた。

「まだ、大きなニュースにはなっていないのか」

「アタシたちがここにいること、誰も気がついていないんじゃない」

「密室だしね」

 窓の外は、女が一人倒れているばかりで、しんとしていた。

 女が倒れている柔らかなカーペットの上を、影がゆっくりと移動する。

 私たちはそれを、皆で肩を寄せ合って、窓から眺めていた。

 私たちが閉じ込められている密室。

 それは、一人の女の身体だった。もっというならば、その女の頭の中だ。

 私たちの総意は身体を動かし、身体は先刻、眼下に横たわっている女を殺した。

 私は背後を振り返る。

 血だまりの中に倒れている男は、私たちが女を殺そうとしているのを知って阻止しようと、あれやこれや手を変え品を変え、手段を講じて妨害工作を加えてきたのだ。それでも止まらぬ私たちを、ついに殺害しようと試みたところで私に気づかれ、返り討ちに遭った。

 彼の思惑は崩された。 

 そして、ついに、私たちは、やり遂げたのだ。

 私たち脳内の総意が、肉体という器の行動になるから。

 彼という善意が殺されてしまった結果、外の世界で殺人が行われてしまった。犯人は頭蓋という名の密室の中の全員。

 密室は犯人である私たちをここに閉じ込めはしたが、それと同時にまた、私たちは世界で一番安全でもある。そう、誰も私たちを捕まえられない。

 満足げな笑みが、皆の顔に浮かんだ。

 私たちが窓と呼んでいるふたつの瞼が、ぱちりと大きく瞬く。一瞬部屋が暗くなり、また、光で内側を照らす。

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