だってこの部屋には出口がない

中村ハル

第1話 密室と探偵

 密室というのは閉ざされた空間である。

 閉ざされた、というのがどの程度かと言えば、それは密室を定義したい側によるだろう。safe roomという名の避難用の密室もあれば、開かずの間という密室もある。監禁部屋という物騒な密室もあれば、思春期の子供部屋という暗黙の了解の密室もある。目的としては入れさせない、出さない、入れない、出られない、入らない、出入り自由だが入らないことになっている、と色々だろう。入らないのか入れないのか定かでない場合だってある。

 いわゆる推理モノでは、入れない出られないというシチュエーションであれば、それが雪に閉ざされた挙げ句に雪崩で道を断絶された、という舞台設定も密室とされる。

 そういう意味では鍵のかかった手洗いも密室だろうし、過大解釈と条件次第では、周囲を海で囲まれたこの小さな島国や、はたまた大気で蓋をされたこの惑星も密室であろう。

 しかし、そんなことを言っていたらキリがない。犯人は国境を越えてもいずれ捕まり、この広大な密室で殺人は繰り返されている。

 だから。ここはもっと些末な密室でいい。机の上に置いてある、小さな箱庭ほどの密室。というのは冗談で。

「先から何ひとりでにやついてるんですか」

 ここまでおよそ、コーヒーカップ一杯分の思考。

 私はゆるゆると顔を上げた。

 目の前の小さな薄暗い部屋の中には、不安げな顔をした男女が四人。苛ついてしきりに首筋を掻く者、唇をねじ曲げて忌々しげな顔をする者、せわしなく視線を左右に泳がせる者。

 そうしてもう一人、床に仰向いて、動かない者。

 コトリと音を立てて、コーヒーカップを置く。

 すっかり冷め切った他の四つのコーヒーが置かれたテーブルの向こうは、血の海である。その血の海の真ん中に、仰向いた男は転がっていた。

 生臭い。

 だが仕方がない。出られないのだ。密室だから。ここには固く閉ざされた窓がふたつあるばかり。

「どうするんだ、これ」

「どうするって……」

「また誰か殺されるかもしれないだろう」

「誰も入ってこれやしない」

「じゃあ」

 眼鏡をかけた男が、不安げに指先をねじり合わせて上目遣いに辺りを見回した。窓に掛けられたブラインド越しに、うっすらと入るなけなしの明かりが、見合わせたそれぞれの顔に影を落とす。

「じゃあ、犯人がこの中にいるとでも?」

「その通りだ」

「警察を」

「それは無理だ」

「どうして」

「道が閉ざされている」

「じゃあどうすれば」

 私はそっと口を開いた。

「どうするって、この密室で犯人を見つけてどうするんです」

「でも、だって、ああ、でも。それも、そうか」

「警察が来られないのに犯人を見つけて、どうするんですか」

「ああ……だって」

「変に犯人を指摘すれば、皆殺しかも、そう言いたいのか」

「可能性のひとつです」

「でも、四人の内の誰か一人が犯人なら、三人で捕まえれば、どうにかなるんじゃない?」

「犯人が一人であれば、ね」

「まさか」

「複数だなんて」

「判らないでしょう」

「そうだ、探偵がいたはずだ!」

 じれたように、髭の男がだん、と足を踏みならして、大きな声を上げる。

「それでしょ?」

 女が赤く塗った爪を真っ直ぐに伸ばす。皆が一斉に振り向いた。

 血の海に倒れた男は、ぴくりとも動かない。

「……ああ」

「アタシが犯人でも、まず密室に探偵がいたら、真っ先に殺るわ」

 髪をかき上げた女は、横目で眼鏡の男を見て、小首を傾げた。

「だって、これから悪さをする犯人にとったら、邪魔でしょ?」

「だな」

「まあ、元々、こいつが気にくわなくて殺した可能性もあるだろうけど」

「鼻についたからな」

「同感」

 床に倒れて死んでいるのはいつも利口ぶっていた奴で、それにしても、ここまで人望がないと不憫になってくる。

「ねえ、こいつ、本当に探偵だったの?」

「どういう意味だ」

「だって、あんまり間抜けじゃない。これしかいないのにむざむざ殺されるまで、犯人の思惑に気がつかなかったわけでしょ」

「でも、俺たちだって誰が犯人か判ってないぞ」

「それは仕方ないじゃない。だってアタシは探偵じゃないもの」

「そうか」

 つん、とそっぽを向いた女に、髭の男が困惑したように頷いた。

 眼鏡の男はひっきりなしに揉み合わせていた指先をぎゅっと握りしめて、私を見た。その視線につられて、女の黒い瞳もこちらを向く。

「ねえ、アナタ、何か知ってるんでしょ? アナタが」

 私はどきりとして背筋を伸ばした。

 女は目を眇めて、にんまりと笑って指を胸元に突きつけてくる。

「本当はアナタが探偵なんじゃない」

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