三. 記憶の森
遥か昔のこと。昔というと大層かもしれないが、ずっと前のことであるのは間違いない。少し含んだ言い方になってしまうのには一応の理由がある。それは、私自身の記憶が曖昧であるからだ。
覚えていない、という訳ではないのだが、間違いない、というのも憚られる。更にいえば、自信がないというのもまた違うのだろう。
少し話が変わるが、この惑星リッドパリッドには二つの種族が生活している。無論、人という種に限った話だ。
幼少期こそ同じであるが、大抵の者がそのどちらかに覚醒する。遺伝的な要素は薄く、あくまで個人の適正の問題であるらしい。つまり、両親がイルバであっても、シルバが生まれることがあるというのだ。
つまり、種族といっても管理しやすいように名前を付けたというだけの話なのだろう。
一つはシルバ族。外見的な特徴としては背中に羽が生えている。正確には、背に羽の形を具現化できる。
これは“飛珠”と呼ばれており、大半は常に出しているが、稀に嫌って隠している者もいるらしい。もちろん、飛翔能力も備えており、体の一部といっても差し支えないだろう。
その羽に宿る意志は、常に惑星の外を夢みているといわれている。
もう一つはイルバ族という。外見的な特徴としては特にない。しかし、注目すべきなのはその頑健な肉体そのものである。
滅多なことでは病に罹ることもなく、また、傷を負ったとしても一晩ぐっすり眠りさえすればある程度の治癒は見込めることだろう。
形はないものの、その肉体に宿る意志は“纏唯”と呼ばれ、いつでも大地を見守っているといわれている。
この飛珠と纏唯であるが、誰しもが使えるというわけではない。かといって決して限定的というわけでもなく、ほとんどの者が保有しているのは間違いない。
また、使いこなすことが出来るか、という点も難しいところである。体の一部とはいえ、その扱いにも応用が効き過ぎるために、人によってはもて余してしまうのだ。
かつて、私は母親に訊ねたことがある。幼き頃は、他者の違いが気になって仕方がなかったのだ。ある程度、年端のいかぬ子供であれば、それ自体は珍しいことではない。
「どうして? ねぇ、どうしてイルバとシルバは違うの?」
「違う? そうかしら。でも、あなたにはそう見えているのね」
母は確か、そんな感じで目を細めては微笑んでいたと思う。否定をするでも肯定するでもなかった。
「ねぇ? どうして僕とフューは違うの?」
拙い私は納得出来ず、新たに具体的な例を挙げて聞いてみる。その問いに、母は驚き、そして、くすりと笑った。
「おかしいわ、パズルったら。あなたは違うって言うけれど、お母さんはそう思ったことがないのだもの」
その後、もどかしさから必死に説明した記憶はあるものの、終始母は笑っており、まるで同意を得ることはなかった。まるで本当に、何も違わない、と言わんばかりに。
ひょっとすると、そう思わせたかったのかもしれない。……羽のない私が不憫な思いをしないようにと。
しかし、よくよく思えば、その辺りにも記憶のズレが生じている。そう、確かにあの時は私にも“羽”があった、と記憶しているのだ。つまり、私はシルバ族なのである。
……しかし、今の私に羽はない。
羽がなければイルバとシルバは見分けがつかない。少なくとも、外見上はそうだ。飛珠や纒唯が発現するからこそ、差違が生まれるのであり、そうでない者はどちらともいえない。
だからこそ思う。どうしてあの時、フューラと違う、と考えたのか。やっぱり羽はなかったのだろうか。
やはり、何か重要な何かを忘れてしまっている気がしてどことなく気持ちが悪い。
──では、忘れているとすれば、この身に何か事件があったのではないか。
そう思い、記憶を辿るとある一日が鮮明に思い出される。そう、鮮明ではあるが、ただの印象が強いばかりであり、肝心の内容のほうはまるで覚えていない。覚えているのは、咄嗟に何かを守ろうとした刹那の記憶のみである。
──パズル! 生きてる? ねぇ、パズル!
今となってはそれが実際にあったことか、はたまた夢であったのかもわからない。しかし、確かなことがひとつある。
例外であるにせよ、私はそのどちらにも属していない。“纒唯がない”イルバ、ではなく、“飛珠のない”シルバという歪な立場でいるのである。
「パズル! おい! パズル!」
一瞬だけ、昔の出来事が頭を過るが、今は違う。この声は当時のそれではない。言うまでもなく、セラヴィスなのだから。
失ったのなら、取り戻せばいい。そんな気持ちで私は日々、あれこれと調べているのである。
──あの日から、私は空ばかり見ている。
◇
脳が揺れるような不快な感覚と耳に襲い掛かるかのような大きな声で目を覚ます。どうやら体を動かされているようだ。いや、殴られているのかもしれない。
体はともかく、耳からの衝撃により、脳が本当に状況を理解していなかった。
「パズル! しっかりしろ!」
「……ああ」
静かにしてくれ、と心の中でぼやきながら起き上がる。覚醒したというには程遠く、頭は今もガンガンと悲鳴を上げており、自分でも寝ていたのか気絶していたのかの判断など、とても出来そうにもない。
……いや、この調子ではおそらく後者が正しいのだろう。落ちた拍子に飛んだのだ。……色々と。
現状を確認する意味で周りを見渡してみると、まず散らばった木の枝や葉っぱが、さぞここで何かあったのだということを主張するように、いちいち視界に紛れてくる。
我ながら派手にやらかしたものだ。
……動けるのか?
そこでようやく確かめるように体を動かす。首、腕、指、そして足。一つずつゆっくりと、まるでそれぞれのパーツを確かめるように。
そのまま一通り済ませると、再びゴロンと横に転がってみる。
──よかった。
つい安堵が込み上げる。シンプルに痛みこそあるが、おそらく大事には至らないだろう。木々がクッションにでもなったのだろうか。
よもや、縄張りとしている森で落下事故を起こしたともなれば、笑い話では済まされない。それこそ、フューラが飛んできて、私がこの場所に住むことを反対するだろう。そうなると面倒臭い。
「……痛い」
「おい! パズル!」
「……大丈夫だよ。セラヴィス」
いや、一つおかしい。
頭に、記憶に多少問題があるのかもしれない。というのも、こうであったのだろうという候補や推測はすでにある程度思い浮かんでいるが、それがどうにも他人事のようなのだ。つまり、自分の身に起こったという実感が欠如しているようだ。
「ヘマしたなぁ、パズルゥ」
ようやく少しずつ動き始める私を横目に、セラヴィスは安心したかのようにニヤリと笑う。
どこか悪戯っ子を彷彿させるそれは、つい秘密を共有した子供のように、人懐っこく屈託がなかった。
「ヘマじゃない。……ったく、勘弁してくれよ」
しかし、よくこの程度で済んだものだ。苦笑いを浮かべたまま目線をスライドさせ、自分が落ちてきたと思われる場所を見上げてみる。
もしかするとそこに何か痕跡くらいは残っているのかもしれないが、当然ながらここからではそびえ立つ崖の頂上の様子など、羽のない私が知る由など到底なかった。
「滑ったのか?」
「いや、そういうわけではないよ。……それより、何故ここにいる? まさか、偶然とは言わないと思うが」
目で指してくるセラヴィスの追及を避けると、こちらの疑問を投げ掛ける。
まずは頼りにならない頭をなんとかしなければならない。
「丁度いい。説明も面倒だと思っていたところだ。早速だが手伝ってもらうぞ、パズル! もう動けるな?」
そして、その返事も待たずにグイッと腕が引っ張られると、あっけないほど簡単に私の体は浮かんでいた。
彼の飛珠はとても大きい。頭上に広く展開されたそれに、思わず顔をしかめてしまう。寝起きの頭に少々それは……眩しかった。
古書の紡ぐ系譜 山岡流手 @colte
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