87.美弥子、帰還する。



 遂に、戻ってこれた。



「キューッ!」

「クゥーッ!」


 私が広場へ入った瞬間、勢い良くやってくる二匹の子カンガルー。しばらく見ない内に、ちょっと大きくなってる気がする。



「兄ちゃんっ! 姉ちゃんっ!」


 私も両腕を広げて駆け寄ったら、見事なタックルを食らった。乙女らしからぬ声が口から飛び出す。

 そのまま後ろへぶっ飛びそうになったけど、前足でがっちり抱き締められたお蔭で回避出来た。代わりにお腹が潰れて苦しいです。後、二匹からこれでもかと頬ずり攻撃を受け、顔面の穴という穴に毛が入り込んできます。息が出来ません。


「ちょ、に、兄ちゃ、うぷ、姉ちゃん、お、落ち着いて」


 しかし、兄ちゃんと姉ちゃんの興奮は止まらない。

 漸く解放されたかと思ったら、今度は両腕を抱えられ、他の子カンガルーの元へと連れていかれる。そこで行われたタックルとハグと呼吸困難の無限ループ。

 あ、これ、私また倒れるかも。



 とか思ってたら、唐突に息苦しさから解放された。


 ちょいっと体が持ち上げられ、私は地面から離れた場所へとやってくる。



「あ、熊さん」


 熊さんの掌に乗せられてた。どうやら救出してくれたらしい。


 熊さんは、太い眉を下げ、牙みたいな八重歯を出しながら笑う。


『――――、ミャーコ――』


 熊さんの優しい声も、頭を撫でる手付きも、久しぶりだ。


「ただいま、熊さん」


 指を掴んで揺すると、熊さんは目元を一層緩めた。何やら呟いてから、どこぞへ私を運んでく。



『――、ミャーコ――。――――――』


 そっと地面へ降ろしてくれた熊さん。

 私の前には、二匹の大人のカンガルーが。


 一際大きな体。まつ毛ばっしばしなおめめ。

 そして、私へ向けられる穏やかな眼差し。

 間違いない。



 私は駆け出し、全力で二匹に飛び付いた。



「ただいまパパッ、ママッ」



 満面の笑みを向ければ、二匹も目を細める。ママは頭を下げ、顔を擦り寄せてきた。「グーゥ、グーゥ」と頻りに喉を鳴らすと、私の体を前足で掴み、自分のお腹の袋の中へ入れた。


 久しぶりのママの袋に、ほっと力が抜ける。やっぱりここが一番落ち着くわ。ママの袋最高。このフィット感が堪りません。


 中で体勢を整え、顔を出す。見上げれば、ママと視線がかち合った。優しい目元に笑い返し、縁に手を乗せれば、いつものスタイルが完成です。



 そんな私達を見守ってたパパが、徐に近付く。


「グルゥ」


 ママのお腹の袋に入った私へ、顔を近付けた。



 途端。




「……プゥ」



 視界が、クリーム色の毛で覆われる。

 顔面に、ぷりぷりとした温かなものがくっ付いた。



 非常に触り覚えのあるぷりぷりだ。




「ん? あれ、プリンちゃん?」


 顔を上げれば、やはりプリンちゃんがいた。垂れ耳をぱたぱたさせて、私を見てる。


「プリンちゃん、昨日ぶりー。また遊びにきてくれたの?」

「……プゥ」

「そうなのー。プゥなのー。ありがとうねー」


 袋から身を乗り出して、プリンちゃんの肉垂にくすいを揉む。プリンちゃんは、満足そうに瞬きをした。




「……グルゥゥ……」



 つと、プリンちゃんの背後から、剣呑な空気が漂ってくる。



 パパが、何故か戦う体勢を整えてた。



 かつてない目付きで、プリンちゃんを睨んでる。



「……プゥ」


 プリンちゃんは、首元のリボンを翻してパパを振り返ると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。



 そして、垂れ耳で、くいっと手招きしてみせる。



 パパの眉間に、そりゃあもうきつい皺が刻み込まれた。




 瞬間。

 二人の姿が、消えた。



 こげ茶色とクリーム色の線が、辺りをぎゅんぎゅん飛び回る。轟音と地響き、更には、グルアァァァァァーッ! プゥゥゥゥゥゥゥーッ! という雄叫びが広場に轟いた。



 巻き起こる竜巻とそびえ立つ土の塔に、カンガルー達は盛り上がる。対して警察官的なお兄さん達は、慌てて止めに入った。けれど、パパはともかく、プリンちゃんが大人しく言う事を聞くわけがない。ノールックで熊さんを蹴り飛ばしてた。


 相変わらずだなぁ、と呆れが込み上げる。けれど、この久しく見てなかった光景に、ついつい笑みが浮かぶ。里子に出されたのかもって不安だった心が、漸く軽くなっていった。



 体調を壊しに壊した私は、あの後も小トロちゃんと癖毛のお兄さんに看病して貰ってた。ゲロゲロ吐いてたからか、ご飯が流動食になり、更には針のない注射器みたいな奴で食べる羽目になった。口から零れてちょっと食べづらかったけど、でも、こっちはいいんですよ。


 問題は、オ〇ラ座の怪人に食わされた、くそ不味い液体ですよ。


 もう本当なんなのあれ。ただのすり潰した草だよ、草。ヘドロみたいな青臭い物体を、強制的に口へ押し込まれたんですよ。怪人だけでも嫌なのに、あんなわけの分からないものを食べさせられてさ。しかも誰も助けてくれないんだよ? 寧ろ私の体を押さえて、食べさせるの手伝ってた位だし。


 絶対に許さない。その後甘いお菓子をくれて一瞬絆され掛かったけど、油断してた所でもう一回ヘドロを食わせてきたから、絶対に許すもんか。

 そもそも、あいつのせいでシロちゃん達は酷い目にあったんだからね。許すなんて選択、初めからないのですよ。



 むむん、と口を曲げ、いつかあの怪しいお面を剥ぎ取ってやろうと、固く誓いを立ててると。



「ニャアン」

「ゴロナァン」


 どこからともなく、シロちゃんとクロちゃんが現れた。トラちゃんとブチちゃんもいる。


「あ、シロちゃん達。やっほー、こんにちはー」


 手を振れば、各々長い尻尾をはんなりと揺らした。



 シロちゃん達も、私と一緒に癖毛のお兄さんに看病されてた。でも、四匹はあっという間に回復して、後半は私の湯たんぽ代わりをずっと務めてくれた。

 お兄さんや小トロちゃん達とも仲良くやってたみたいだから、てっきりそのままお兄さんの家に居付くのかと思ってた。けど、私が帰るのに合わせて普通に外へ出ていったから、多分野良のままなんだろう。



 私は、猫達の元へ向かおうと、ママの袋から身を乗り出した。


 けれど、すぐさま戻される。



 ママが、前足で私を押さえてた。



 ……シロちゃん達を見下ろす目付きが、なんか、怖い。



 顔は至って穏やかな筈なのに、妙に威圧感があるというか、何というか。



「……グーゥ?」


 ママが、意味ありげな抑揚を付けて、鳴く。

 途端、四匹の動きが、一斉に止まった。

 しばしママと見つめ合ったかと思えば。



『あらっ。カンガルーの奥さんやないの。こんにちはー』

『いやー、今日もいい天気ですねー。絶好の昼寝日和ですわー』

『しかし、ミャーコちゃんが帰ってきて、ほんま良かったですねー』

『うちらも心配してたんですよ? ほら、ミャーコちゃんは妹みたいなもんですから』


 何かを取り繕うかのように、ニャアゴロンニャンナ鳴き始める。愛想良く尻尾を揺らしては、可愛く小首を傾げたり、顔を洗ったりしてる。


 それに対し、ママは若干低いトーンで、「グーゥ。グーゥ」と相槌を打つだけ。



『ほな、うちらはそろそろお暇しようか、お父ちゃん』

『そうやな、お母ちゃん。長々とお邪魔するのも迷惑やろうし』

『んじゃ、わてらはこれで失礼します』

『ミャーコちゃん、またなー』


 はんなりと尻尾をくねらせ、シロちゃん達は去っていった。未だに戦ってるパパとプリンちゃんを迂回し、カンガルーとすれ違う度に愛想よく鳴いてる。


「……グーゥ」


 頭上から、溜め息が落とされる。ママは、何となく疲れてるような顔をしてた。

 大丈夫? という気持ちを込めて、お腹の辺りを撫でてあげる。すると、ママは私に顔を近付け、苦笑めいた鼻息を落とした。



『―――』


 不意に、ママの背後から声が掛かる。

 ママは何の気なく振り返った。自ずと私も同じ方向を見やる。



 そこには、目付きの悪い、さっきのママよりも数十倍威圧感に溢れる男が、立っていた。



 出た、魔王様。



 私は、まるで吸い込まれるかのように、ママの袋の中へ潜った。頭まですっぽりと覆われ、安心感に包まれる。



 いやー、魔王様も久しぶりに見たけど、相変わらずの恐ろしさだわ。主に顔が。ただ立ってるだけで怖いし、一瞥されたらビビっちゃいますよ。ママに何の用かは知らないけど、さくっと終わらせて欲しいものだね。



 とか思いつつ蹲ってたら、ママが前足をお腹の袋の中に入れる。


 そうして私を鷲掴むと、有無を言わさず袋の外へ引っ張り出した。



 そして、魔王様の掌の上に、ぽんと置かれる。



「…………え?」



 まぁ、当然固まりますよね。あまりの出来事に、現実が受け入れられないですよね。



 けれど、目を白黒させてる私に構わず、魔王様は歩き出す。勿論、私を掌に乗せたまま。



「え、ちょ」


 私は、咄嗟に後ろを振り返った。助けを求める眼差しを、ママへと送る。だが助けてくれる気配はなく、反対に「グーゥ」と送り出されてしまった。ならばとパパを見るも、プリンちゃんとの闘いでそれどころではない。

 他のカンガルー達も、パパ対プリンちゃんの戦いに夢中で、私のピンチにこれっぽっちも気付いてくれない。熊さん達も然り。


 そうこうしてる間にも、私はどんどん皆から離れてく。遂には、広場を囲む塀に付いた扉の前まできてしまった。



 魔王様は、私を連れたままさくっと扉を潜ってしまう。



 ちょ、え、待って。嘘でしょ。私、どこへ連れていかれるの?



 ちょ、だ、誰かあぁぁぁぁぁーっ。



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