86-1.カール、ほっとする。
「ピャアァァァァァーッ!」
悲鳴染みた声に、カールは驚いて振り返った。
部屋の奥から、モルモットのモルカが駆けてくる。入口から顔を出すと、「プイッ!」と怒るように前足を振った。
「あ、ご、ごめんモルカ。すぐに戻って貰うから」
カールは眉を下げると、廊下に佇む
「あの、レクター先生。モルカも怒っていますし、あの子も怯えているようですから、今は取り敢えず、部屋に戻って下さい。お願いします」
「だが、私は医療の知識があるぞ。
「いやっ。その辺りは、ジャクソンさんがやってくれましたから、大丈夫ですよ。ね、ジャクソンさん」
カールは、隣にいる仮面の
「え、えぇ。そうです。小人族の生態は、心得てますし、アタシも、アタシの相棒も、光属性の魔法が使えます。診た限り、ただの風邪ですから、安静にしていれば、問題ありません。薬も、今は特に必要ないかと、思います」
「ですって。聖域に勤務する森人族さんがそうおっしゃっているんですから、僕達の出番はありませんよ。寧ろ、僕達が押し掛けてしまっては、あの子も落ち着いて休めません。ですよね、ジャクソンさん」
「は、はい、そうです。今のあの子には、些細な刺激も、毒になります。安心出来る空間を作ってあげる事が、一番かと」
「ですからレクター先生は、気にせずトロイさんに頼まれた魔道具の改良に取り掛かって下さい。こっちは、ジャクソンさんとモルカに任せて。お願いします」
カールは、引き攣りそうな顔へ、どうにか笑みを張り付ける。ジャクソンも、胸元で両手を組み、何度も頷いた。
レクターは、不満げに口を曲げた。ぎょろりと大きな目でカール達を睨む。鼻を鳴らし、「だが」と、一歩踏み出そうとした。
すると、レクターの前に立ちはだかる、二つの影。
「……ゴロナァン」
「ンニャー」
黒猫と虎猫が、姿勢を低くしてレクターを見据える。喉を唸らせ、いつでも飛び掛かってやるとばかりに尻尾を立ち上げた。
レクターは舌打ちをすると、踵を返した。足取り荒く自室へと去っていく。
かと思えば、唐突に立ち止まった。肩越しに振り返る。
「……因みに、小動物用の保温機を作ってやる事も可能だが」
「いやっ、今は大丈夫です。猫達が湯たんぽの代わりを務めてますからっ。もし必要になりそうなら、改めて声を掛けますからっ」
「ちっ、そうか」
もう一つ鼻を鳴らし、レクターは今度こそ自室へ戻った。
カールはほっと胸を撫で下ろす。ジャクソンも、仮面の外に出ている口から、安堵の息を吐き出した。
「よ、よかったですね、カールさん。諦めて貰えて」
「そうですね、本当に」
顔を見合わせ、苦笑を零す。
「君達も、加勢してくれてありがとう。ご飯は足りた?」
黒猫と虎猫に声を掛ければ、二匹ははんなりと尻尾を揺らした。ごちそうさま、とばかりにカールの足へ体を擦り付けると、部屋の中に入る。怯える小人族の傍へ寄り添い、宥めるような声で鳴く。
「あ、あのネコちゃん達は、小人族の、お友達か何か、なんでしょうか?」
「僕もよく分かりませんけど、でも、仲良さそうですよね」
「そう、ですね……」
ジャクソンは、鍛え上げられた細長い体を、しょんぼりと丸めた。
「なのに、アタシったら……何で攫われてるって、思っちゃったのかしら。ちゃんと気付いてれば、暴力なんて振るわなかったのに」
溜め息を零すジャクソン。エインズワース騎士団第五番隊が所有する隔離施設へ来てから、彼は何度となく後悔していた。
どうやらジャクソンは、任務が終わり聖域へ戻る途中、第四番隊で保護されている小人族を発見したらしい。
黒猫に擬態した小人族は、野良猫に咥えられたまま、振り回されていた。動物が小人族を気に入り、連れ去ってしまう、という事例は、過去にも何度か起こっている。加えて、第三番隊隊長をしているはとこから、小人族が誘拐されたかもしれないという話を事前に聞いていた。
きっとこの猫達が攫ったのだろうと考えたジャクソンは、小人族を救出しようと、猫を気絶させていったのだ。
所が、小人族はジャクソンが現れて喜ぶ所が、酷く怯えた。悲しげな声を上げて、倒れた猫に縋り付く。
誘拐した相手に、そのような態度を取るとは思えない。ジャクソンは、そこで漸く可笑しいと思い始めたのだ。
困惑していると、つと目の前に、モルモットのモルカと、ハムスターのハムレットが現れた。
二匹は、小人族と猫達を仲間の鼠に回収させると、ジャクソンへ携帯用の小型通信機を差し出す。そうして隔離施設へ向かう道すがら、ジャクソンはトロイと会話し、事情をある程度把握したようだ。
現在は、小人族の様子を窺いつつ、やたらと小人族に接触したがるレクターを、カールと共に追い払う作業を繰り返している。
「しかし……レクター先生を見て、あんなに怯えるだなんて。やっぱり、先生に踏み潰されそうになった事を、覚えているんでしょうか?」
「そ、そうかも、しれません。もしくは、白衣の男性に怖い事をされた、という記憶だけが、漠然と残っているのかも、しれません」
「どちらにせよ、レクター先生を近付けるわけにはいきませんね」
「その方が、いいと思います。レクターさんには、申し訳ありませんが……」
「いや、いいんですよ。元はと言えば、レクター先生の自業自得なんですから。僕の事は怖がらなかったのがいい証拠です」
と、不意に、ポケットに入れていた携帯用小型通信機が、甲高い音を奏で始めた。
カールは小型通信機を抜き取り、通話ボタンを押す。
「はい。カールです」
『あぁ、カール君? トロイです。今大丈夫かな?』
「あぁ、トロイさん。はい、大丈夫ですよ。どうしましたか?」
『例の件が、取り敢えずひと段落したんでね。その報告の連絡だよ』
例の件。カールは、小さく息を飲んだ。
「……ひ、ひと段落した、というと……」
『悪魔召喚を依頼した人物とその関係者を、先程全員捕縛した。もう大丈夫だ』
カールの表情が、安堵で歪む。
ふらりとよろけたカールを、ジャクソンが慌てて支えた。
「だ、大丈夫、ですか?」
カールは、首の動きだけで答えた。気持ちを宥めるように深呼吸をし、けれど、堪え切れない思いで喉を震わせる。
「……ありがとう、ございます。トロイさん。本当に、ありがとうございます……っ」
『いやいや。待たせてしまってすまないね』
「いえ……いえ……っ」
込み上げた嗚咽を押し殺し、何度も金色の瞳を瞬いて、涙を散らす。
ジャクソンは何も言わず、黙ってカールの背中を撫でた。
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