30.美弥子、酔う。



 ガッタンゴットンと揺れる箱の中で、私は壁の角に必死で張り付いてた。

 両手足で側面と床を押し、どうにか投げ出されないよう踏ん張る。


「うぐっ」


 大きく揺れた拍子に、ガツンと後頭部を打つ。めっちゃ痛い。涙が込み上げてきて、一瞬手足の力が緩んだ。けれど、すぐさま力を入れ直し、背中を箱の角へ押し込む。でなければ、更なる痛い目を見ると分かってるから。

 中途半端に脱げたフードを、首の動きだけで払い、歯を懸命に食い縛る。



 わ、私、何でこんな事やってるんだろう。


 ついさっきまで、ママのお腹の袋の中でのんびりしてたのに。気付いたら変なお面を付けた人に捕まって、この箱の中に入れられて、真っ暗になったと思ったら、紐なしバンジーならぬ安全ベルトなし絶叫マシーンみたいな目に合ってるし。

 私、こんなもん全然乗りたくなかったよ。全力で乗車拒否するわ。



 そもそも苦手なんだよ、こういうアトラクションは。三半規管が割と弱いもんでね。修学旅行のバスでも、必ず一番前に座るような女だぞ、私は。


 吐いた経験は数知れず。周りに迷惑を掛けるのももう慣れたもんさ。

 ほら、ゲロの始末をさせられたくなかったら、早くママの所に返してくれ。こっちはな、込み上げる吐き気とさっきからずーっと戦ってるんだからな。洗面器を差し出されたら、いつでも発射出来る準備は整ってるんだからな。



「うっぷ」


 内心文句を垂れて、どうにか気を紛らわせてみたものの、気持ち悪さはじりじりと喉元へせり上がってくる。誤魔化し切れぬ嘔吐感に、ちょっと焦りも覚え始めた。


 吐けば楽になる事は、経験上知ってる。だがここで吐いた場合、どう考えても全身ゲロ塗れになる未来しか見えない。それは絶対に嫌だ。

 でも気持ち悪い。吐きたい。吐いたら絶対気分良くなる。

 でも吐いたらゲロに襲われてしまう。嫌だどうしよう。


 同じ事ばかりが頭をぐるぐる回る。違う意味でも頭がぐるぐるする。視界も回り始めた。突っ張ってる手足の先も、なんだか冷たくなってきた気がする。



 少しずつ重くなってきた体に、あーこれは本格的にやばいぞ、って思う自分がいる。焦る、というより、もう他人事のような感じだ。もう一人の私が、隣で眺めてるみたいな感覚。



 あー、どうしよう。

 もう覚悟を決めて、吐いちゃおうかなー、とか薄っすら考え始めた、その時。



 箱へ、今までで一番強い衝撃が、走った。



 私の体も激しく跳ね、突っ張ってた手足が、ズレる。



 あ、と思った時には、私の体は前へ投げ出されてた。この勢いのまま反対の壁へ突っ込んだら、間違いなく痛い。

 反射的に、私は頭を守ろうと、腕を上げた。


 つもり、だった。


 けど実際は、胸の辺りで彷徨わせただけ。それ以上は、上手く持ち上げられなかった。



 あー、やばいわー、って、もう一人の私が、隣で眺めてる。

 そうだねー、って、私も思った。



 取り敢えず、覚悟だけは決めようと、目を瞑った。身を固くし、ついでに拳を握り、きたる痛みに備える。



 そのまま、私は突っ込んでいった。



 思ったよりも、痛みはない。




 というか、全然痛くない。




「……ん? あれ?」



 壁って……こんなに、柔らかかったっけ?



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