28.美弥子、森へピクニックに行く。
私は思わず「おぉ」と声を上げた。ママのお腹の袋から顔を出し、辺りを見回す。
どこもかしこも、緑色。
木が沢山生えてる所からして、私は今、森の中にいるらしい。
久しぶりの外出に、内心どきどきしております。兎達の所にはたまに行くけど、でもあれはエレベーター的な乗り物へ乗ってすぐに到着するから、あんまりお出掛けしたって感じしないし。
こんなにがっつりお外を出歩くのは、この世界に来てから初めてかもしれない。まぁ、正確には、ママに運ばれてるから、歩いてはいないんだけど。
でも、違う意味でも、またどきどきしております。
私は、ちらと前方を見やる。
そこには、薔薇の似合う美人なお姉さんと、バスケットを持った魔王様が、一緒に歩いてた。
魔王様は、いつもと同じ茶色い軍服姿で、森の中をのしのし進んだ。
対して綺麗なお姉さんは、蔦模様の入った民族調のチュニックに、ゆったりしたズボンを纏い、その上から丈の長いポンチョみたいな上着を羽織ってる。うーん、美人は何を着ても似合いますな。
髪型も、いつもは下ろしてるのに、今日は一つに結い上げてた。サイドを三つ編みにして、低い位置でポニーテールを作ると、その根本へ薔薇の花をあしらう。麗し度が明らかに上がっております。
この気合の入った髪型に、お洒落な恰好。そして、出会い頭に魔王様へと渡した、サンドイッチ入りのバスケット。
間違いない。
二人はこれから、ピクニックデートへ行くんだ。
くっそ羨ましいなおい。こんな美人とデートだなんてよ。しかも、手作りらしきサンドイッチまで作ってきて貰って。超仲良しじゃん。流石は魔王様。ガールフレンドも一流だわ。
なのに、なぁんで魔王様は普段着なんだか。
彼女がこれだけ頑張ってきてくれたんだから、せめてもうちょっとさぁ。身嗜みに気を付けて欲しいよねぇ。これじゃあ一緒にいるお姉さんが恥ずかしい思いをするよ?
というか、そもそも何で私やママを連れてきたし。
まぁ、向こうもプリンちゃんと親分を連れてるけどさ。デートなんだから、二人きりで楽しめよ。ラブラブな空気に巻き込むんじゃないよ。居た堪れないだろうが。
お姉さんだって、きっと動物抜きで会いたかったに違いない。それでも魔王様に合わせてくれた辺り、本当に出来た人だ。
大切にしないと駄目だよ? もし泣かせたら、ただじゃおかないんだからね。パパに頼んで、ドロップキックをお見舞いしてやるんだからっ。
なーんて思ってたら、不意に魔王様がこっちを振り返った。
私は、瞬時にママの袋の中へ引っ込んだ。
ふぅ、危ない危ない。危うくあの鋭い眼光で睨まれる所だったわ。
外の気配を探りつつ、私は目だけをそーっと袋から出した。魔王様は、私に背を向けて歩いてる。
よしよし、もう大丈夫そうだ。顔を出し、袋の縁を手で掴む。
横を見ると、お姉さんの後ろを、親分とプリンちゃんが追い掛けてる。ぴょんぴょんと木や地面を蹴っては、長いお耳をぱたぱたさせて空を飛ぶ。
首裏で結ばされた緑のリボンも、蝶々のようにぱたぱた羽ばたいた。その下で揺れる肉垂が堪りませんな。ついついおっさん丸出しでニヤケてしまいます。
「……プゥ?」
私の視線に気付いたのか、先を行くプリンちゃんが振り返る。手を振ってみるも、特に反応はない。兎の割に鋭い目付きで一瞥すると、すぐに前を向いてしまった。相変わらずクールな対応ですな。そこがまたいい。
クリーム色のお尻を眺めつつ、私は緩む顔を遠慮なく晒してやりました。もうセクハラかって位に、ふりふり動くウサケツをガン見してやりましたとも。
そうして一人でニヤニヤしてたら。
「グゥッ!」
不意に、ママが大きく前へ飛んだ。魔王様の傍まで一気にやってくる。
珍しい行動に目を丸くしてると、何かが落ちる音と、親分とプリンちゃんの鋭い鳴き声も、聞こえてきた。
見れば、さっきまでママがいた辺りに、大きな網が落ちてた。
周りの木の裏から、布やお面で顔を隠した人が六人程現れる。
手にはナイフや鉄の棒なんかを持ち、剣呑な空気を纏ってる。
『――――――っ!』
綺麗なお姉さんが何かを叫ぶと、プリンちゃんと親分が飛び出していった。魔王様も、持ってたバスケットを投げ捨てるや、腰に差した剣を抜き、走り出す。
『――っ、―――っ! ――――――っ!』
魔王様の声がした瞬間、ママは私をお腹の袋の中へ押し込んだ。
かと思えば、勢い良く動き始める。
いつにない振動の強さから、どこかへと急いでるようだ。
毛皮の外から、物騒な音や声が聞こえる。多分、私達は襲われたのだろう。
毛皮越しに感じるママの体が、どことなく緊張してる。時々「グゥッ!」と勇ましい声を上げては、変則的な動きをした。
相手から逃げてるのかな? それとも、単に木を避けてるだけ? 分からない。袋の外を覗こうにも、激しい揺れに身動きが取れない。ただただママの毛皮を掴み、小さく身を縮こめるだけ。
何でこんな事になったのか?
何で私達は襲われてるのか?
その理由は?
ふっと思い付いたのは、魔王様の敵。
魔王様は魔王だから、恨みとか色々買ってるのかもしれない。だからこうして復讐されてるのかも、と思ったけど、そもそも魔王様ってあだ名を勝手に付けたの、私だわ。寧ろ魔王じゃない可能性の方が高いわ。
それでも、魔王様は恐らく警察官的な職業だと思われる。なので、過去に捕まえた犯人が逆恨みで襲ってきた、という可能性は十分あり得る。
恋人とのデートで気が緩んでる所を襲撃なんて、中々考えてるじゃないか犯人。しかもママに網を投げたという事は、人質ならぬカンガルー質にしようとしたに違いない。ママが気付いていなければ、「こいつの命が惜しければ言う事を聞け」みたいな事態になってたのかも。
ママが捕まれば、自ずと私も捕まるわけで。
つまり、私も人質になってた可能性があるわけで。
「ひえぇ……」
行きついた考えに、ぶるりと身体を震わせる。
い、いや。でも、大丈夫だ。こうしてママは逃げてるわけだし、魔王様や親分達も戦ってる。お姉さんは、どうなんだろう。でも、魔王様の恋人やってる位なんだから、そんな柔ではない、筈。あれだけ魔王様の肩をばっしばっし叩いてるわけだし、何かしら腕に覚えがあるんじゃないかと思う。多分。
だ、大丈夫、だよね。と一抹の不安が過った
――その時。
「グギャ……ッ!」
ママの苦しげな声が、上がった。
右側から強い衝撃が襲い、私ごと、世界が回転を始めた。
「うわぁぁぁぁーっ!」
絶叫アトラクションに乗った時みたいな揉みくちゃ感が、私に降り注ぐ。
このまま外へ吹っ飛ばされてしまいそうで、ママの毛皮に必死でしがみ付いた。
もうどこが上でどこが下なのか分からない。兎に角目を瞑って、毛を握る手に只管力を籠め続けた。
そうして身を固くする事、しばし。漸く動きが止まった。
ほっと胸を撫で下ろし、全身に込めてた力を、じわりと緩めてく。
瞬間。
辺りへ、突如光が差し込んだ。
かと思ったら、私の体を、何かが拘束した。
そのまま、袋から引きずり出される。
お面を被った見知らぬ人が、片手で私を鷲掴んでた。小脇に抱えた、虫かごみたいな箱の蓋を開けてるのが見える。
襲撃犯だ。
私は慌てて身を捩った。どうにか逃げようと、体を押さえる手を殴ったり蹴ったりする。大声を上げて、全力で暴れもした。
と、不意に、視界の端に茶色いものが入ってきた。
ママが、倒れてる。
目を瞑り、ぐったりと地面へ身を投げ出してた。
その口からは、赤いものが垂れてる。
「え……マ、ママ……? え、嘘、え……嘘……っ!」
どんどん離れてくママへ、両手を伸ばした。
「ちょ、ママッ。ねぇママッ! ママったらっ! ねぇ、返事し、うわ……っ!」
虫かごみたいな箱へ、放り込まれる。
蓋を閉められ、辺りは真っ暗となった。
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