26.美弥子、新たな動物とその飼い主に出会う。



 目の前に、小文字のオメガみたいな形をした可愛い口元が、迫る。



「ブエェー?」



 灰色の肌に黒い点々模様のアザラシが、黒目がちなおめめで、私の顔を覗き込む。


 何故こんな広場にアザラシが。私は、呆然と立ち尽くした。

 いや、普段から色んな子達がやってきてるけどさ。流石に水辺の生き物はいなかったわ。

 ここまでどうやって来たんだよ。地面を這いながらやってきたのか。お腹とヒレを使って、えっさほいさとやってきたのか。



 混乱する私に、アザラシはもう一度「ブエェー」と鳴いた。その拍子に揺れたお口は、何とも言えない可愛さを振りまいてる。効果音を付けるとしたら、もきゅん、と言った具合だ。


 しかもこの子、金のタグ付きネックレスなんか首に付けてるんだぞ? 間違いなく金持ちの家の子ですよ。



「あの、は、初めまして、美弥子みやこです。こんにちは」

「ブエェー」


 私に挨拶を返すかのように、黒目がちなおめめを細めるアザラシ。その包容力はママの如し。加えてのんびりとした雰囲気を纏ってる。人間に例えるなら、おっとりした近所の可愛い系お姉さん、と言った所だろうか。

 個人的には、巨乳であって欲しい。



「あの、お姉さん。お姉さんの事、黒ゴマちゃんって呼んでもいいですか?」


 あだ名の由来は、灰色の肌に散りばめられた黒い点々が、黒ゴマっぽいからです。


 するとアザラシのお姉さんは、『あら、可愛いわね。いいわよ、そう呼んでちょうだい』とばかりに、尾びれをふりふりと振った。


「ありがとうございます。じゃあ、私の事は、ミャーコって呼んで下さい」


 そう言えば、アザラシのお姉さん改め黒ゴマちゃんは、了解、とばかりに「ブエェー」と目を緩める。



「あの、それから、一つお願いがあるんですけど、その……も、もしよろしければ、その豊満なボディを抱き締めてもいいですかっ」


『まぁ、そんな事でいいの? うふふ、ミャーコちゃんったら甘えん坊なのね。いいわよ。ほら』


 とでも言うように、黒ゴマちゃんはころんと地面に転がった。お腹を私に見せながら、さぁいらっしゃい、とばかりにヒレを広げる。


「あ、じゃあ、失礼します」


 ぺこりと頭を下げ、黒ゴマちゃんのお腹へ、そっと抱き着いてみる。

 あ、案外毛が固い。でも滑らかで気持ちいいかも。それに、想像以上にぷにぷにだ。何と言うか、肉感というよりは、水の入った袋を触ってる感じ。

 あれかな。アザラシって、体脂肪率が五十パーセントらしいからさ。もしかしたらこれは、たっぷり蓄えた脂肪の感触なのかもしれない。



 いや、でもこれはこれで中々、と思いながら、全身でアザラシの肌に張り付いた。



「いやー、いいですねー黒ゴマちゃん。凄くいいですねー。この唯一無二な感じが、最高ですねー」

『うふふ、ありがとう。あなたもふわふわで素敵よ』

「いやいやー、これは私というよりも、着ぐるみ猫パジャマの触り心地ですよー」

『あぁ、確かにそうね。でも、私達にはない感触が、なんだが病みつきになりそうだわ』

「あははー、ありがとうございますー。なら黒ゴマちゃんも、どうぞ遠慮なく触って下さーい」


 そうして私は、黒ゴマちゃんにすりすりと全身を擦り付け、また黒ゴマちゃんは、鼻先で私の体をつんつんした。女の子特有の触れ合いを、きゃっきゃうふふと楽しむ。



「所で、黒ゴマちゃーん」

『なぁに? ミャーコちゃん?』

「そのー、こういう言い方はあれかなーとも思うんですけどー」


 と、私は、さり気なく黒ゴマちゃんの背後を見やる。




「なぁーんであそこに、魔王様がいるんですかねー?」




 しかも、なんか仲間を引き連れてるし。



 黒ゴマちゃんは、私につられるように、魔王様を振り返った。広場の片隅にずずんと佇み、相変わらず目付きがすこぶる悪い。


 反対に、魔王様の隣に立ってる肌が焼けた男の人は、凄い楽しそうに笑ってた。


 人当たりの良さそうな気配がばんばんしてるけど、如何せん魔王様の仲間だからね。めっちゃ気安く魔王様に話し掛けてるし、ありゃあ相当な地位にいるぞ。魔王様の右腕かもしれない。



 そんな風に人知れず警戒してると。




「ブエェー」



 私の視界が、一気に高くなった。


 かと思えば、今度は下がって、何やらぷにぷにしたものがお尻に当たる。



 気付けば、私は黒ゴマちゃんの背中に乗ってた。



「ブエェー」


 そのままお腹とヒレを使って、えっさほいさと這いずり始める黒ゴマちゃん。彼女の上にいる私も、当然運ばれてく。



 物凄い上下運動と共に。



「うおぉっ! ちょ、く、黒ゴマちゃんっ! 止まってっ! それか下ろしてっ! 黒ゴマちゃんの歩き方は高低差が激し過ぎるからっ! もうなんかロデオみたいになってるからぁっ!」


 暴れ馬ならぬ暴れアザラシに必死でしがみ付きながら叫ぶ。けれど返ってくる答えは、楽しげな「ブエェー」のみ。止めてくれる気配も、下ろしてくれる気配もない。私が落ちそうになる度、尾びれでポンとキャッチしては、背中の上に戻してくれる。


 助けてくれる位なら、この状況をどうにかしてくれませんかね。若干吐き気を催しつつ、本気で願ってると、漸く揺れが止まった。

 はぁー、と息を吐き、ついでにぐたりと腹ばいになる。



『――、―――』



 つと、頭上から優しげな声が落ちてきた。



『―――――? ―――――――』



 魔王様の右腕が、いる。



 人当たりの良さそうな顔で、黒ゴマちゃんの頭を撫でた。



 右腕さんは何かを言うと、青い瞳を私へ移す。


『――、―――――――』


 しゃがみ込んで、私に笑い掛けた。

 その背後では、魔王様が凄まじい眼力でじーっとこっちを見てる。



 私は、腹ばいのまま、右腕さんを見上げた。



 そして、黒ゴマちゃんの体を、うつ伏せの体勢で滑り降りる。



 着地と同時に、黒ゴマちゃんのお腹とヒレの間に隠れた。



『――? ―――、―――――? ――――――』


 右腕さんがなんか言ってるが、無視。



「ブエェー」


 あ、ちょ、黒ゴマちゃん。ヒレを持ち上げないで下さい。私の姿が見えちゃいますから。


『あらあら、どうしたの? そんな所に隠れちゃって。大丈夫よ、彼は優しい人だから』


 例え優しくたって、魔王様の関係者ってだけでアウトです。何かの拍子に売り飛ばされてしまうかもしれません。


 黒ゴマちゃんのヒレをがっちり掴んで、限りなく身を小さくする。このままやり過ごすか、ママがやってくるまでどうにか籠城をしなければ。


 黒ゴマちゃんには迷惑を掛けちゃうけど、でも、怖いもんは怖いのよ。だから、申し訳ないんだけど、今しばらくお付き合い願います。



 と、心の中で頭を下げてると。




『――――。――――、ミャーコ――?』




 ……ん?




『ミャーコ――。――、ミャーコ――――』




 優しげな声が、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。



 ミャーコって、呼んでる。



 私は、ヒレの影から、ほんのちょびっとだけ顔を出した。

 途端、魔王様の右腕と目が合う。

 お、とでも言いたげに目を丸くすると、すぐさま人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。



 そしてもう一度、ミャーコ、と私の名前を、口ずさむ。



「……あ……は、はい。そうです。ミャーコです。本名は美弥子です」

『―――――、ミャーコ――――――』

「ど、どうも、初めまして」

『――――――』


 右腕さんは、ずっと笑顔で優しい声を奏でた。手を出してくる様子はない。しゃがんで、頬杖を付くだけ。


『――、――――――』


 つと、ゆっくりとした動作で、ズボンのポケットへ手を入れた。しばらく漁ると、あぁ、これだこれだ、みたいな顔で、手を抜く。



 差し出された掌の上には、カンガルー達が争奪戦を繰り広げる程大好きな、干し苺が。


 しかもあれ、前に魔王様がくれた、めっちゃ美味しい奴じゃん。



 さ、流石は魔王様の右腕。魔王様御用達の品も常備してるだなんて。



『――、―――――? ――――、―――』


 右腕さんは、干し苺を乗せた手の指を軽く揺らす。さ、お取りなさい、とばかりの仕草だが、しかし私は動かない。もしかしたら、また台座という名の掌が、上からぐわーっと迫ってくるかもしれないし。


 中々踏ん切りが付かず、まごまごと黒ゴマちゃんのヒレを揉んだ。半歩足を前へ出すも、すぐに元の位置へ戻してしまう。



『あら、どうしたの、ミャーコちゃん? ほらほら、早くお行きなさいな。あの苺、とっても美味しいわよ?』

「そ、それは、そうかもしれないけどー……」

『食べないの? なら、代わりに私が頂いちゃおうかしらー。あーん』

「あ、だ、駄目っ。ちょ、止めてよ黒ゴマちゃんっ」


 もきゅんとしたお口を開いた黒ゴマちゃんに、私は慌てて駆け出した。干し苺が取られないよう、飛び付く。


『なーんて、嘘よ、うっそー』


 うふふ、とお茶目な笑みを零すかのように、黒ゴマちゃんは「ブエェー」と尾びれを振る。くそ、騙された。でも可愛いから許そう。

 私は溜め息を吐き、無事手に入れた干し苺を、抱え直した。



『ミャーコ――』



 と、つと、上から声が落ちてくる。


 反射的に顔を上げ、私は固まった。



 物凄い近い所に、右腕さんがいる。


 それと、今気付いたんだけど、なんか、地面が温かい。



 私は、恐る恐る、下を向いた。




 右腕さんの掌の上に、乗ってる。



 完全に、乗り上げてた。




 ………………ど、どどど、どうしよう……っ。

 干し苺を抱きしめたまま、凍り付いた。



『―――――、ミャーコ――――』


 そんな私に気付く事なく、右腕さんは何かを言う。空いてる手でズボンのポケットを弄ったかと思えば、すぐさま引っ込抜いた。



 そして、私が座る掌へ、色とりどりのドライフルーツを置く。


 その数、およそ五種類。


 ボーリング大の鮮やかな色と甘い香りに囲まれ、私の体から、何かがすっと抜けてくような感覚を覚える。



『――、ミャーコ――。―――――』


 優しげな声に導かれるかのように、私は目の前の干しマンゴーへ手を伸ばした。ちょん、と触っては右腕さんを窺い、またちょんと触っては、右腕さんを窺った。


 右腕さんの様子は、変わらない。


 人当たりの良さそうな笑顔のまま、唇を開く。


『―――――』


 何て言ったのかは、分からない。


 だが、右腕さんの纏う空気が、雄弁に物語ってる。



 どうぞ召し上がれ、と。




 …………………………いっただっきまぁぁぁぁぁーすっ!



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