25.カール、祈る。
資料を保管している部屋までやってくると、カールは静かに扉を閉めた。念の為鍵も掛けてから、深く息を吐き出す。
ちゃんと誤魔化せただろうか。
自分は、上手く取り繕えただろうか。
気付かれてはいない、と、思う。
もし己のやった事が知られていたら、レクターがあんなに理性的でいるわけがない。すぐさま飛び掛かり、自分を殴ってくるだろう。下手したら、首を絞められ殺されるかも。カールは、小さく身震いをする。
何故こんな事になってしまったのだろう。
いや、原因など分かっている。
金に釣られたからだ。
今思えば、明らかに怪しいアルバイトの勧誘だった。けれど、レクターはカールの通うアビントン大学の講師だし、授業も取っていたから面識があった。
変人だとは思っていたが、知識は豊富だし、研究熱心だし、なによりカールの事を目に掛けてくれていた。
なのに、まさか犯罪の片棒を担がされるだなんて。
思い出しただけでも体が震える。
仮面を被った不気味な依頼人。
恐ろしい笑顔を浮かべるレクター。
依頼内容と、自分が何をさせられようとしているのか。
全てを知らされた時、カールは真っ先に断りの声を上げた。誰だって犯罪者になどなりたくはない。しかも依頼内容は、あの悪魔召喚の補助だ。今は物語として語り継がれているが、何百年も前に実際にこの国で起こった事件が元となっている。
ある時、王座を巡って争う兄弟がいた。
弟は兄を殺すべく、悪魔召喚の儀式を執り行う。
見事悪魔を呼び寄せた弟は、意気揚々と兄の殺害を言いつける。
しかし悪魔は言う事を聞かず、兄だけでなく、弟にも攻撃を繰り出した。
そうして国が滅びる一歩手前まで追い込まれたが、兄弟が力を合わせて、悪魔を見事退治する。
その後、兄が即位し、弟は宰相となり、互いの手を取り合って国を盛り立てていった。
物語ではこうある。実際は少々違うらしいが、兎に角、その時期に未曽有の大災害が起こったのは間違いない。
以降、悪魔召喚を禁止する法律が制定し、違反者には死刑が課せられる事となった。
そんな事、子供でも知っている。カールも勿論知っていた。
だから、急いで断ったのだ。
しかし、気付いた時には遅かった。
実家の場所を知られ、家族の顔を知られ、逃げ道は塞がれていた。
更には、目の前に積まれた大金。
庶民には一生お目に掛かれない金額。
貧乏な家の生まれであるカールにとっては、尚更遠く、そして憎らしい程に焦がれている存在。
『我々に協力してくれれば、これを君にあげよう。勿論、家族にも手を出さない。だが、もしそうでないのならば、分かるね?』
答えなど、一つしか残されてはいなかった。
……いや。
もしかしたら、そうだと自分に言い聞かせただけなのかもしれない。
カールは前金として、提示された金額の半分を貰った。貰ってしまった。その時点で、カールは犯罪者に成り下がったのだ。
後悔がないわけではない。それでも、家族の安全と、楽をさせてあげたいという気持ちの前では、目を瞑るしかなかった。
光属性を持つ自分の為に、随分と無理をして大学に入れてくれた両親の笑顔が過ぎる。
ひもじい思いをしながらも、頑張れと送り出してくれた兄弟達の声が蘇る。
家族の期待を一身に背負っていたからこそ、カールは必死で勉強をした。
講師陣の覚えも良く、学内でもトップクラスの成績を叩き出してみせた。
そのせいで、レクターに目を付けられてしまった。
悪魔を召喚する為には、光魔法が必要だったから。
「……」
カールは、金色の瞳を固く瞑り、扉へ額を押し当てた。癖のある髪が垂れ、顔を覆う。
きっと家族は、カールがこんな真似をしているだなんて、夢にも思っていないだろう。我が家の誇りだと、自慢の息子だと、今も変わらず愛してくれている。
そんな期待を、裏切りたくなかった。
裏切りたくなど、なかったのだ。
今だって、家族の想いを、決して踏みにじるものかと強く心に誓っている。
だからこそ、カールは魔法陣を弄った。
偶然に見えるぎりぎりの所を狙って。
例え咎められたとしても、たまたまだと言い張れる瀬戸際まで。
そして、逮捕された時に、『自分は召喚を阻止していた』と言えるように。
家族を殺すと脅されながらも、必死で抵抗していたのだと、証明出来るように。
そうすれば、自分は悪魔召喚を目論んだ犯罪者ではなく、懸命に戦った英雄になれるのではないか。
家族の期待を、裏切らずに済むのではないか。
犯罪者の家族だとして、親兄弟が世間から冷たい目で見られないのではないか。
愛する家族から、見捨てられないのではないか。
「……そんなわけ、ないか……」
癖毛の奥から、は、と空笑いが落とされる。
必死で勉強したからこそ、分かる。
そんな単純な話ではない。
精々情状酌量の余地がある程度で、自分がやっている事は、犯罪行為に変わりない。
いくら止むに止まれぬ理由があろうとも、傍から見れば、金を貰って悪事に手を貸した。それだけだ。
家族にも迷惑を掛けてしまうだろう。
もう二度と『家族』だと言っては貰えないかもしれない。
それでも、カールは僅かな望みに賭けるしかなかった。
そうしなければ、心が壊れてしまいそうだった。
しかし。
自分の保身のせいで、全く関係ない者を、ついぞ巻き込んでしまったのだ。
「……あの子、どうしたかな」
カールは、扉からゆっくりと額を離した。瞼を開き、あの時魔法陣の上に現れた、小さな可愛らしい姿を思い出す。レクターに八つ当たりされて、酷く怯えていた。
出来る事なら、元居た場所へ帰してあげたかった。けれどカールにはその術がない。レクターなら出来たかもしれないが、その過程でカールが細工した部分に気付かれてしまうかもしれないと思うと、言い出せなかった。
だから、せめて聖域に辿り着けるようにと、食べ物を渡し、長老樹がある方向へ向かうよう、伝えた。
無事に辿り着いただろうか。途中で行き倒れたり、野生動物に襲われたりしていないだろうか。擬態を見抜かれ、悪い奴らに捕まってはいないだろうか。
心配は募るも、確認する方法はない。ただただ、祈るだけ。
自分の無力を痛感する。
それでも、祈る事は止められない。
「……どうか……」
あの子が無事聖域で保護されていますように。
悪魔召喚が成功しないでくれますように。
自分が家族に見捨てられませんように。
声に出す事なく、資料に塗れた部屋の中で、カールは静かに祈りを上げた。
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