24.レクター、原因を調べる。
埃が積もり、窓も閉め切られた薄暗い部屋の中。
停滞した空気と共に、大量に積み上げられた本や資料が、乱雑に置かれている。床には紙が散乱し、走り書きや魔法陣のようなものがいくつも書かれていた。
部屋では、ランプが一つだけ灯されていた。その淡い光は、机に齧り付くようにして座る、
痩せている、というより、やつれているという表現が似合う程に細く、しかし目だけは異様に大きい。見た目に頓着しないのか、髪や髭は伸ばしっぱなし。纏った白衣も汚れている。
「何だ……一体何が原因だ……」
唇を頻りに蠢かせながら、魔人族の男――レクターは、目の前の資料へ目を通していく。ページを捲る音は、彼の気持ちを表したかのように荒い。鬼気迫る、と言っても過言ではない形相で、大きな目を左右へ動かし続けた。
あの悪魔召喚から、既に三か月近くが経過した。
失敗の原因は、未だ判明していない。
レクターの計算では、今頃は悪魔が現れ、依頼人の指示の元、悪逆非道の限りを尽くしている筈だった。それはつまり、自分の長年の研究が実を結んだという証でもある。
試験召喚の結果も上々。盤石を期す為にも、出来る限りの準備は整えたし、考え得る限りの対策は取った。
失敗などまずあり得ない。それだけの自信の元、実行へと移した。
「それなのに……っ」
込み上げた怒りに、レクターは歯を噛み締める。
完璧だった筈だ。この三か月の間に調べ直した結果、それは確信へと変わった。
けれど現実は違う。
悪魔が現れる所か、魔法陣の上にいたのはただの黒猫。あまりの結果に、レクターはしばし立ち尽くした。依頼人が怒鳴り散らしていたが、全く耳に入っていなかった。何故、という言葉と共に、縮こまる小さな猫を見下ろすのみ。
失敗など、あり得ないのだ。あり得るわけがない。
だが、そのあり得ないが、起こってしまった。
何故起こったのか? どれ程調べても、その答えには辿り着かない。
ならば、考えられる答えは、一つ。
「……レクター先生」
つと、部屋の扉がノックされた。
数拍の間を置いて、扉が開く。
癖毛の青年が、隙間から顔を覗かせた。金色の瞳で、レクターの様子を窺う。
「失礼します。お食事をお持ちしました」
青年は、静かに部屋へ入ってきた。レクターの元へ進み、机の隅にサンドイッチの乗った皿と、ティーカップをそっと置く。
立ち上る紅茶の湯気を一瞥し、レクターは無言でサンドイッチを頬張る。
くちゃくちゃと響く音を尻目に、青年は手を拭く用の濡れタオルを添えると、頭を下げた。音を立てぬよう、つま先で歩きながら、出口へと向かう。
「おい、カール」
レクターの声に、青年は小さく体を跳ねさせる。
ぎこちなく振り返った。
「……何ですか?」
「そこにある資料を、向こうの部屋へ片付けておけ。それから大学へ行って、関連がありそうな資料を探して持ってこい」
「……分かりました」
背を向けるレクターに会釈をし、カールと呼ばれた青年は、指示された資料の山を持ち上げる。一瞬たたらを踏むも、すぐに手で押さえてバランスを取った。ほっと小さく息を吐き出す。
「それから」
レクターは、資料から目を反らさぬまま、口だけを動かす。
「お前、まさかとは思うが、あの時何かしなかっただろうな」
「……あの時、と言いますと」
「決まっているだろう。悪魔召喚だよ」
カールの顔が、ゆっくりと青褪める。
「私の研究は完璧だった。いくら調べ直しても、絶対に成功するとしか思えない。ならば何故失敗したのか? 考えれば考える程、外的な理由だったのではないかと思えてならない」
「っ、ぼ、僕が、何かしでかしたとおっしゃりたいんですか?」
「可能性としては、十分あり得る」
「僕は、何もしていません。先生の指示に従って、先生に言われた事だけをやりました。本当です。何度も確認しましたから、間違っていたなんてありません。絶対に」
「だがお前は、望んでここにいるわけじゃない」
レクターは、くちゃりとサンドイッチを齧る。
「私に騙されて、家族を人質に取られて、そうして無理やり協力させられている。国で禁止されている召喚に。ばれたら打ち首ものだと知りながら。裏切ったとしても、可笑しくはないだろう」
カールは、唇をきつく噤む。歪んだ顔を隠すかのように俯いた。癖毛が、肩の震えに合わせて揺れる。
「……だからこそ、僕は裏切りませんよ」
絞り出すように、呟かれる。
「確かに、僕は望んで協力しているわけではありません。けれど、自らの意思でここにいます。自分の気持ちを曲げてでも、守りたいものがあるんです。その為なら、例え打ち首になろうとも、僕はあなた方に協力します。決して裏切りません。裏切れるわけないじゃありませんか……っ」
レクターは、肩越しにカールを見やる。体を小刻みに震わせる彼を一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「お前も可哀そうにな。私なんかに目を付けられて」
何て事なく吐かれた言葉に、カールは小さく息を飲む。
けれどレクターは気付く事なく、机へと向かった。
「資料の片付けと収集、忘れるなよ」
「……はい」
失礼します、と頭を垂れ、カールは部屋を後にする。
扉が閉まる音を背に、レクターはもう一度鼻を鳴らし、笑った。
摘まんだサンドイッチを、くちゃりと音を立てながら頬張る。
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