22-1.デイモン、同期と飲む。



「おぅ、デイモン。こっちこっち」



 飲み屋のカウンターに座っていた男が、振り向き様に手を振った。その体格は、鬼人おにびと族の血を引くだけあり、平均よりも幾分か大きい。

 けれど、海人うみびと族の血も半分混ざっているからか、厳ついという印象はない。焼けた肌と長い手足、なにより溌剌とした青い瞳が、健康的な男らしさを際立たせていた。



 昔と変わらぬ人懐っこい笑みを向けられ、デイモンもつられて口角を緩める。他の客の合間を縫って、同期がいるカウンターへ真っすぐ向かった。



「すまん、フランク。待たせた」

「いいっていいって。先、やらせて貰ってるぞ」


 鬼人族と海人族のハーフであるフランクは、エールが入ったグラスを持ち上げてみせる。

 デイモンは脱いだコートを椅子の背に掛け、腰を下ろした。



 と、足元で、灰色の物体が動く。



「ブエェー」


 カウンターの下から、アザラシがひょっこり顔を覗かせた。

 灰色の肌に黒ぶち模様を持つアザラシは、遅かったじゃないの、とばかりに、デイモンの脛を鼻先で突く。


 その拍子に、ゴールドのネックレスと識別タグが、アザラシの首元で小さく音を立てた。

 タグには、『エインズワース騎士団近衛部隊隊獣たいじゅう』という文字と、アザラシの個体名が刻まれている。



「あぁ、今日はマーゴもいたのか。すまんな、遅れて。お詫びに魚でも奢ろう」


 デイモンは店員へ手を挙げ、エールとつまみをいくつか、そしてマーゴ用に生魚を注文する。


「悪ぃな、デイモン。ほら、マーゴ。お礼言っとけ」

「ブエェー」

「『ありがとう、デイモンさん。私の好物をプレゼントしてくれるなんて、太っ腹なのね。あなたがアザラシだったらきっと惚れているわ』、だってよ」

「それは光栄だな」


 苦笑を零し、デイモンは運ばれてきたエールを掴んだ。「カンパーイ」とフランクの掲げたグラスと軽くぶつけ、喉を鳴らして飲み込んでいく。

 仕事終わりの体にエールが染み渡る。デイモンは思わず唸り声を上げた。


「あはは、いい飲みっぷりだな。なに、そんなに忙しかったの?」

「忙しかったというか……アンブローズと、ちょっとな」

「あー、成程。お前、昔っからあいつ苦手だもんな。大方隊長同士の連絡で、予想外に長引いたってとこか?」

「いや……今、うちの隊で猫を保護しているんだ。そいつの事で、色々な」


 込み上げた溜め息を、エールごと飲み込む。



 本日は子猫を連れて、第三番隊の隊舎へ出向いた。そこで子猫は、お気に入りのプリンスという子兎へくっ付いては、嬉しそうに鳴いていた。

 その姿に興奮したアンブローズは、それはそれは面倒臭かった。

 遠慮なくデイモンの肩を叩いては、「いやーん可愛いーっ」だの「やっぱりうちにお嫁にくるべきよーっ」だの騒いでくる。


 第四番隊の隊舎へ戻った後も、執務室に置かれた通信機へわざわざ連絡をしてきて、話に付き合わされる羽目となった。精神的な疲れが積み重なり、結果仕事の進みも遅く、こうして待ち合わせに遅れてしまったのだ。



 そんなデイモンの愚痴めいた説明に、フランクは嫌な顔もせず笑っている。やってきたつまみとマーゴ用の生魚を受け取りつつ、軽く首を傾げた。


「猫って、あれか。いつぞやに森の中でカンガルーが拾ってきたっていう」

「知っているのか?」

「ちょっと前にテディから聞いたわ。随分と可愛がってるみたいでさ。こーんな風に顔蕩けさせながら、今日はこうだったー、この前はこうだったーって、色々教えてくれたよ。

 それから、『もしも飼い主が見つかんなかったら、フランク兄ちゃんも里親探すの手伝ってくんろ』とも頼まれた。なんなら、俺が引き取ってくれてもいいって言ってたけど、でもなぁ。独り身の騎士団員には、ちょっと難しいよなぁ。マーゴみたいに仕事中もずっと連れて歩けるわけでもないし」


 眉を下げて笑い、フランクはマーゴへ魚を与える。


「まぁでも、心当たりはなくはないからさ。必要な時は言ってくれよ。なんなら今から声だけでも掛けとこうか?」

「いや、いい。保管期間はまだあるからな。これから飼い主が出てくる可能性もあり得る」

「でも、あれだろ? その飼い主には、虐待の疑いがあるんだろ?」

「……テディがそう言ったのか?」

「いや。流石にあいつもそこまで馬鹿じゃねぇよ。あいつの話から、俺がそう判断しただけ。何年あいつの兄貴分やってると思ってんだよ。弟分の思ってる事なんかな、手に取るように分かるんだよ。そういうもんなの、兄貴分ってのはさ」


 肩を竦めて、何て事なく笑うフランク。

 しかし、本人が言う程簡単な事ではない。



 元々フランクは洞察力に優れ、頭の回転も速い。しかも真意を悟らせる事なく、相手の懐へ入っていける人柄も持ち合わせている。

 察しが良過ぎて少々困る時もあるが、だからと言って嫌いかと問われると、間髪入れずに首を横へ振るだろう。


 流石はエインズワース騎士団の近衛部隊に選出されるだけの事はある。デイモンは、目の前に座る優秀な同期を一瞥した。



「お前の方はどうなんだ。仕事には慣れたのか?」

「まぁ、ぼちぼちってとこかな。なんせやってる事が、今までとは全然違うからさ。もう最初の頃は慣れなくて、毎日毎日部屋へ帰ったら死んだようにベッドへ倒れ込んでたわ」

「まぁ、確かに今の部署と前の部署とでは、違うだろうな」



 自分も含めて、第一から第六までの部隊に所属している者は、基本的に時間割が決まっている。

 訓練をして、巡回をして、相棒である隊獣の世話する。何か事件があれば直ちに鎮静化し、犯人を捜査部隊に引き渡す。近衛部隊のように、誰かの身を守る、という業務はまず行わないのだ。精々、式典の際などに、王族の乗る馬車を取り囲む程度だろう。



「何て言うか、使う脳みそが違うって言うのかな? 今までやってきた事がなーんも通用しなくってさ。正直、結構落ち込んだんだぜ? まぁ、それも皆通る道だからって、諸先輩方が声掛けて下さったから、何とかやってこれたけどさ。も、結構気さくに声掛けてくれるし」



 イッチ、という呼び方に、デイモンは、すぐさま第一王子であるアーサー王太子を思い浮かべる。


 そんなふざけたあだ名で呼んでいいのか、と以前聞いた事があったが、「寧ろこういう場で堂々とお名前を口にする方が不味くないか?」と言われ、確かに、と頷いた。

 下手に名前を出して、反勢力に情報を与える、または目を付けられる事になってはいけないだろう、と納得して以降、デイモンも使わせて貰っている。



「凄いぞ、イッチは。新人も含めて、俺達の名前全員覚えてるんだ。相棒達のもだぞ? なぁ、マーゴ。隣国のオルブライトから戻ってきたイッチに、肌艶を褒めて貰ったもんなー」

「ブエェー」


 マーゴは尾びれを持ち上げ、自慢げに振ってみせた。


「やっぱイッチは凄いのよ。能力的なものもそうだし、人柄もそうだし。今は、オルブライトが小競り合いっつーか、ちょっかい掛けてきたりしてるじゃん? それの、交渉? 調停? そんなのも任されててさ。あの若さであれだけの手腕を持ち合わせてるとか、凄いとしか言いようがないわ。イッチ見てると、『あー、俺の将来安泰だー』って思う。本当に」



 フランクどころか、国の将来さえも、国王が第一王子に変わった所で揺るぎはしないだろう。曖昧な説明から、デイモンはそう読み取った。



「あー、このままイッチと同じ部署になれねぇかなー」


 言外に、アーサー王太子の護衛担当になりたい、と呟くフランク。


「今はまだ固定されていないのか?」

「そ。いかんせん下っ端ですから。まずは雑用からって事で、毎日色んなとこ行かさせて頂いてます。だから余計に覚える事が多くてさー。もう頭がぼーんって爆発しそう。まぁ、担当が決まったら決まったで、大変みたいなんだけどな。先輩方見てるとさ」

「その辺りは、こちらの希望などは配慮されるのか?」

「されると思うか?」

「いいや。だが、人間合う合わないはあるだろう」

「まぁな。でもそれはそれとして、基本的には能力で振り分けられるかな。俺は水属性だから、水がいない所に入れられんじゃないかな。多分」

「因みに、イッチの所には?」

「いるんだなー、これが。だから、もしかしたら俺、と一緒になるかもしれない」


 頬杖を付いて、フランクは息を吐く。笑ってはいるものの、その眉はどこか困ったように下がった。


「いや、別にいいんだけどさ。それで給料貰ってるわけだし。でも、ニニーのとこのリーダー見てると、ちょーっと大変そうだなーって」



 ニニーとは、第一王子であるアーサー王太子の弟君で、ウィリアム第二王子の事を指す。

 デイモンは直接関わりはないが、噂を聞く限りでは中々苛烈な人物らしい。流石に王族なので表立って何か言われているわけではないが、それでも何かとあるのだろう、という事は、ウィリアムの担当となった近衛部隊員や使用人の様子から窺える。


 そんな方の所のリーダー、つまり、護衛隊長ともなると、成程、確かに大変そうだ、とデイモンは内心頷いた。



「ま、どうなるかなんて、今から心配したってしょうがないんだけどなー」


 空気を変えるように、フランクは笑う。デイモンも軽く相槌を打ち、つまみやエールを飲み込んだ。



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