21.美弥子、兎パラダイスを来訪する。
ママのお腹の袋に入りながら、私はまたエレベーターのような箱に乗せられた。しばし稼働音を鳴らし、最後にピコーンという音を響かせる。
扉が開けば、目の前に広がる芝生。
私はまた、兎パラダイスへとやってきたのだ。
お揃いの緑のリボンを首に巻いた兎達へ、挨拶がてら手を振る。本当は
今は兎に角、目的の場所へと足を進める。
見えてきた石と、その上に蹲るクリーム色の垂れ耳兎に、にんまりと頬を緩めた。
「こんにちは、プリンちゃん。お久しぶりです、
少し手前で立ち止まり、声を掛ける。
すると、クリーム色の子兎は、片目だけ開いた。じろりと私を見下ろすと、数拍の間を置いてから、静かに瞼を閉じる。
許可が下りたとみなし、私は石をよじ登り始めた。ロッククライミングも大分慣れてきた。「よいしょ、よいしょ」と淀みなく手足を動かし、あっという間に天辺付近までやってくる。
すると、プリンちゃんが、徐に両目を開けた。
恐らく私が近付いてきた気配を感じたのだろう。きゅっと眉間に皺を寄せ、不機嫌そうに「……プゥ」と低く鳴いた。
そして、私の顔面を躊躇なく踏む。
今回は、最初から中々の力で突き落としに掛かってきよった。
「ふ、おぉぉ……」
開いた足を踏ん張って、どうにか耐える。
プリンちゃんが、肉垂越しに睨んでくる。うん、今日も変わらず目付きが悪く、そしてふてぶてしい。ふわもこな愛らしいフォルムとのギャップが堪りませんな。
「ぃよっ。ほっ」
前回同様、どうにかプリンちゃんの前足を掴み、これでもかと丁寧に揉み解してく。
しばらくすると、顔面への圧力は無事消えた。気持ち良さそうに目を瞑るプリンちゃんを尻目に、そーっと石を上ってく。
天辺に到着した私は、プリンちゃんの前足をマッサージしながら、笑い掛けた。
「こんにちは、プリンちゃん。美弥子です。遊びにきたよ。あの、これ、良かったらどうぞ」
と、ずっと小脇に抱えてたクローバーの葉を差し出した。傘代わりになりそうな大きさで、私には一本持つのが限界だった。
確か兎はクローバーを食べた筈。お土産には丁度いいだろうと、こうして一生懸命運んできたのだ。
「美味しそうなのを厳選しました。プリンちゃんのお口に合うといいんだけど」
プリンちゃんは、私の差し出すクローバーをじろりと一瞥した。鼻をひくひく揺らし、匂いを確かめる。
「……プゥ」
クローバーの葉を前歯で千切って、小刻みに口を動かす。続けて茎部分に噛み付き、吸い込むように咀嚼してく。
「美味しいー、プリンちゃん?」
「……プゥ」
「そうなのー、プゥなのー」
プリンちゃんの隣へ座り、さり気なく肉垂へ手を伸ばす。首回りにたっぷりと付いたお肉は、相も変わらずプリプリである。
プリンちゃんが嫌がらないのを良い事に、これでもかとマッサージに見せ掛けて揉みしだく。これ、現代日本でやったら、絶対セクハラで訴えられるわ。でも、いかんせんここは異世界。そして相手は兎。人権ならぬ兎権の保証みたいなものはないだろう、多分。
揉み揉みしながら、私は辺りを見回した。兎達は、もちもちした体を芝生の上で寛がせてる。子兎達は追いかけっこをしたり、耳でぱたぱた空を飛んで、何やら楽しそうに鳴いてた。
広場の真ん中にある一際大きな岩の上では、でっぷりとしたベストオブ肉垂ニストの親分が鎮座してる。隣には奥さんらしき一番綺麗な兎を侍らせ、人目も憚らずいちゃいちゃしてた。
お前、そんな厳つい面でそんな甘々な態度を取るのか、と思う反面、これはこれでなんだか可愛い気がしてきた。心なしか、首に結ばれた緑のリボンも、似合ってる風に見えなくもない。
広場の端っこでは、ママが魔王様の傍で待機してる。
魔王様は腕を組み、鋭い眼光で兎達を眺めてた。時々こっちを見てる気がしなくもないが、そこは全力でプリンちゃんの肉垂に意識を向けて、気付かなかった事にしております。
『――――っ、――――――っ!』
魔王様の隣には、緑色の軍服を纏う綺麗なお姉さんがいた。耳元に飾った薔薇の花が、輝かんばかりの美貌を一層引き立てる。更に満面の笑みを浮かべれば、もう最強だね。誰も勝てないよ。
現に、お姉さんに肩を叩かれてる魔王様も、言葉が出てこないみたい。
いや、多少の会話はしてるようだけど、これといって怒る様子はない。お姉さんの好きなようにさせてる印象を受ける。腕を掴まれても、しな垂れ掛かられても、微動だにしない。あの恐怖の魔王様がよ? 正直、意外。
「……ねぇ、プリンちゃん」
「……プゥ」
「魔王様とお姉さんってさ。もしかして……付き合ってるの?」
「……プゥ」
「はぁー、そうなのー。プゥなのー……」
目を瞑るプリンちゃんの肉垂を堪能しつつ、私は一つ頷いた。でもまぁ、それもある意味自然の流れなのかしら?
強いパパの隣に優しいママがいるように、厳つい親分の隣に綺麗な兎がいるように、恐怖の魔王様程のお相手ともなると、薔薇のような美しさを誇る美女であるのが、最早必然なのかもしれない。
マフィアよろしく黒いスーツを身に纏い、社長室とかにありそうな椅子にふんぞり返る魔王様。その逞しい太ももの上に座る、これでもかと露出した、薔薇のように赤いドレスを着るお姉さん……
うん、想像だけで納得だわ。
予想外に魔王様のガールフレンドを知ってしまい、驚きにしばし放心してると。
『――――、――――――――』
綺麗なお姉さんが、徐に声を上げた。
すると、大人の兎達が、一斉に移動を開始する。その後ろを、子兎達がついていった。
プリンちゃんも腰を上げると、私の襟首を咥え、ぴょんと石の上から降りた。すぐさま私を捨て、皆と同じ方向へ向かってく。そのクリーム色のお尻を、取り敢えず私も追い掛けてみた。
そして、途中で力尽きた。
いや、私としては、結構頑張ったのよ? それでもねぇ。全然追い付けないし、いつまで経ってもどこにも到着しないのですよ。
気付けばプリンちゃんの姿も遥か遠く。安易に追い掛けた事を、現在非常に後悔しております。
「グーゥ」
もう、しょうがない子ねぇ、とばかりに、ママにちょいっと回収された。お腹の袋に私を入れ、兎達が消えていった方向へ進んでくれる。
ありがとうママ、お手数お掛けします。
そうして運ばれた先にあったのは、柵で覆われた広場。どことなく、カンガルーの訓練場を彷彿とさせる造りだ。
柵の中へ、大人の兎達が次々に入ってく。子兎は柵の手前で固まって、何やら鳴き声を上げた。
「あ、プリンちゃん」
プリンちゃんも、柵の中へと入る。明らかに他の兎よりも小さいのに、大丈夫なのだろうか?
止めようと手を伸ばすも、「グーゥ」とママの前足に阻止される。大丈夫って事なのかな? ママを見上げると、宥めるように撫でられたので、多分そういう事なんだと思う。
柵の中には、大人の兎達とプリンちゃん、そして緑色の軍服を着たお兄さんが数名立ってる。その周りには、アスレチックのような遊具もあった。
柵の外から、薔薇の花が似合う綺麗なお姉さんが、声を上げた。「準備はいいー?」みたいな雰囲気の言葉に、軍服のお兄さん達はびしっと背筋を伸ばす。兎達も、心なしか何かを待ってるかのように、後ろ足ですくっと立ち上がった。
『――、―――っ!』
瞬間、一陣の風が吹き荒れた。
兎達が、一斉に空を飛ぶ。
長い耳をぱたぱたさせながら、柵に沿って凄い勢いで進んでく。
その下を、緑色の軍服のお兄さん達が走った。何やら声を張り上げて、時折指示を飛ばすかのように腕を回したり、指でどこぞを差したりする。
その都度、兎達の動きも変わる。反対回りをしたり、素早く引き返してきたり、隊形を組んで上昇したりと、まるで自衛隊の軍事演習でも見てるかのようだ。
思わず声を上げる私。子兎達も、ひゃっほーいみたいな歓声と共に飛び跳ねた。
そうして柵内を二周、三周とすると、兎達は芝生の上へ着地した。今度はアスレチックへと向かう。
軍服を着たお兄さん達の指示に沿って、勢い良く駆け出した。アスレチックを上り、下り、飛び、渡り、と、華麗に攻略してく。たまに網に引っ掛かったり、着地に失敗したりする子もいるけど、そうするともう一度同じアスレチックに挑み、見事成功させてから次へ向かった。
懐中時計らしきものを見てたお兄さんが、不意に何かを叫んだ。「終わりっ」とでも言わんばかりの響きに、兎達は止まる。調子を整えるかのようにぴょんぴょんと飛び、柵の真ん中へと集まってく。
今度は、組手的なものをやるらしい。適当にグループを分け、軍服のお兄さんの号令と共に、激しくぶつかり始めた。
時に空を飛び、時に風を起こし、兎達は躍動する。後ろ足キックは地面を抉るし、長い耳でのビンタは痛々しい音を響かせた。愛らしい見た目に反して、内容は中々に凄まじい。勝敗が付くと別の兎と交代し、またぶつかり合った。
鋭い鳴き声が辺りを埋め尽くす。くらえこの野郎ぉぉぉーっ! やんのかどちくしょおぉぉぉーっ! とでも言わんばかりの気迫に、
彼ら、可愛い顔して、案外武闘派……?
『――――っ!』
お兄さんの声に、兎達は攻撃の手を止める。けれど、またしばらくすると、戦いが始まった。
どうやらトーナメント戦を始めたみたいで、大きな輪を作る兎達の真ん中で、一対一のタイマン勝負を繰り広げる。審判は緑色の軍服を着たお兄さん。時には仲裁に入る事もあり、それだけ兎達は本気でぶつかっていってるという事なのだろう。
見た限り、やはり親分は強い。他の兎よりも余裕があるというか、安定感があるというか。伊達に親分やってないぞって感じです。いや、親分っていうのは、私が勝手に呼んでるだけなんだけどさ。
そうして試合が進んでいき、遂に決勝戦を迎えた。登場するのは、勿論親分。
そして親分の対抗馬は。
「……プゥ」
なんとなんと、プリンちゃんだ。
親分よりも二回り以上小さな体で、圧巻の強さを見せ付けてきた。寧ろ体の小ささを生かし、スピード勝負に持ち込んでは、強烈な一撃で相手を翻弄してた、という印象を受ける。
中央で睨み合う二匹。プリンちゃんの眉間に、どんどん深い皺が刻まれてく。
対する親分は、でっぷりした肉垂を持つだけあって、どっしりと構えてた。先端が欠けた垂れ耳で、ちょいちょい、と手招きし、プリンちゃんを挑発する。
プリンちゃんの眦が、明らかにつり上がった。
兎がしちゃいけない顔で、前歯を強く噛み締める。
『―――っ!』
審判の声が上がった直後、プリンちゃんの姿がブレる。
クリーム色の線が流れたと思ったら、聞いた事ない轟音が広場に響いた。
親分の姿もブレ、ほぼ残像と音だけで、凄いらしい攻防が繰り広げられる。
あえて音にするならば、
ドゴォッ! ガッ!
シュバッ! ボグッ! ゴゴッ!
ドドドドドドッ!
プゥゥゥゥーッ!
ブゥゥゥゥーッ!
ガァァキィィィーンッ!
と言った所だろうか。
いや、自分でも何言ってるんだろうとは思いますよ。
でもね、ただの猫もどきには、本当にそんなヤベェ音と、二匹の残像しか分からないのですよ。もう次元が違うの。今までの戦いはお遊びだったのかって位、激しいの。
周りの盛り上がりを他所に、私がポカーンと眺めてると。
「ブゥッ!」
一際大きく、鋭い鳴き声が、上がった。
途端、過去最高に酷い音を上げて、クリーム色の物体が空中に打ち上げられる。
そのクリーム色は、くるくると回転しながら、地面へ叩き付けられた。
ちょっと見ない間に随分とぼろぼろになったプリンちゃんが、憎々しげに蹲ってる。
「プ、ゥ……ッ」
全く闘争心が消えてない事は、目を見れば分かる。でも気持ちに反して、体は動かないらしい。
その姿に、審判は右手を上げ、勝敗を下した。
兎達の歓声の中、親分は傷一つなく、悠然と佇む。乱れたチョコレート色の毛並みを整え、緑のリボンとでっぷりとした肉垂を、勇ましく揺らした。
そして、まだまだだな、と言わんばかりの一瞥を、プリンちゃんに食らわせる。
……取り敢えず、兎達の認識を改めなければならないようだ。
この子ら、武闘派どころか、戦闘民族だわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます