19.美弥子、魔王とまた対峙する。



 騙された。

 騙されたとしか言いようがない。



 今日は凄くいい天気で、最高のお昼寝日和。

 兄ちゃんと姉ちゃんにくっ付きながらうとうとしてたら、徐にママがやってきた。ひょいっと私を抱っこして、お腹の袋へと入れる。


 私はてっきり、ママが親切心からそうしてくれたんだと思ってた。ゆらゆらと気持ちのいいリズムで揺られ、うとうとから本格的に寝入る体勢を整えてたのに。



 あと一歩で眠る、となった時、いきなりママの袋から出された。




 そうして、目の前の魔王様と、対面する。




 固まる私を、魔王様はじーっと見下ろした。かと思えば目を瞑り、そのまま数秒止まると、音もなく瞼を開く。そうしてまた、無表情に私を見下ろした。

 相変わらず目付きが悪い。そして威圧感半端ない。



 何故こんな事になってるのか。

 いや、原因は分かってる。



 私は、背後にいるママをちらと見上げた。

 私の恨みがましい眼差しに気付いたのだろう。ごめんねー、とばかりに、タグの付いた耳を伏せる。眉間にも若干皺が寄り、ばっしばしなまつ毛に囲まれた目が「グーゥ」と私を窺う。


 そんな顔したって許さないんだからな。私が嫌がってるの知ってるでしょう。なのに何でこんな事するんだよ。申し訳なさそうにするなら、今すぐ私をお腹の袋へ戻してくれ。

 そんな気持ちを込めて、ママへそーっと手を伸ばす。



『―――――』



 つと、上から低く重々しい声が、降ってくる。



 同時に、視界の端へ、赤い物体が入ってきた。



「っ!」


 思わず声を上げそうになってしまった。慌てて口を押え、しかし、目線は魔王様の手元から離さない。



 干された苺が、あった。


 ご飯時にもおやつ時にも滅多に出てこない、出てきても争奪戦となる程カンガルー達に大人気の奴だ。勿論、私も大好きでございます。



 え、え、もしかして、く、くれるの? という気持ちを込めて、そーっと魔王様を窺う。返ってきたのは、ほにゃほにゃーと変な抑揚が付いた呟きと、凄まじい眼力のみ。

 きっと私が本物の猫だったら、今頃情けなく漏らしてた事だろう。それ位怖い。逃げたい。お尻から背中に掛けてがぞくぞくするし、腰も勝手に引けてく。


「で、でも……」


 魔王様が摘まんでる干し苺へ、ついつい視線が吸い寄せられる。真っ赤に熟れてて、見るからに甘そうだ。干されて萎んでるものの、一口食べればどこか瑞々しい。幸せの味を、私のお口が思い出す。



 正直、食べたい。なんせ、あれは私も数回しか食べた事がないのだ。

 干し苺が出た時は、いつも優しいママも、おやつを分けてくれる兄ちゃん姉ちゃんも、野生全開で突撃してく。パパなんか、仲間張り倒して掻っ攫ってくからね。そんな中に、私如きが混ざれるわけないでしょう。運良く転がってきたものを拾うか、皆が見落としたものを偶然見つけるしかない。

 そしてそのたまたまが起こる可能性は、限りなく低い。

 よって私の口に入る可能性も限りなく低いわけで、そんな数少ないチャンスが、目の前にあるわけで……。



 私は喉を、ごくりと上下させた。



 地面にへばりつく足を、ずずい、と、一歩擦り出す。



 へっぴり腰だという事は、自分が一番承知してる。でも、これ以上はどうにもならない。ただただ腰を引き、片腕だけ伸ばし、地面に足を擦り付けながら、そーっとそーっと、干し苺へと近付いてく。決して魔王様に近付いてるわけではない。


 じわじわと距離を縮める私。上からは相変わらずの凄まじいプレッシャーが降り注ぐ。それをどうにか無視しつつ、私は漸く、魔王様の掌という名の台座までやってきた。後は干し苺を回収し、素早くバックレるのみ。



 だが、ここで一つ問題が。



「ふぐぐぐぐ……」


 腕の長さが、足りない。


 どんなに頑張って伸ばそうとも、後数センチ届かない。位置をずらして再度挑戦するが、絶妙に遠いのだ。



 どうしよう。諦めるか? いや、それは嫌だ。お宝はもう目の前。ここまできて断念するなんて、考えられない。私の口は、もう干し苺を食べる準備を整えてるんだ。ここで食べずして、どうする。



 ……仕方ない。


 私は覚悟を決め、伸ばしてた腕を、そーっと下した。




 そして、人肌の台座へ、ちょこっとだけ、手を乗せる。




 そのまま、ちょこーっとだけ、体重を掛けると。




「っ、うおぉっ」



 突然、台座が跳ねた。



 私も驚いて、飛び跳ねる。



 緊張感漂う中、へっぴり腰で私は固まる。若干変形した台座を凝視した。けれど、それ以上の動きはない。干し苺は、ほんの少しだけ、手前へと移動してる。


 私はまた、ずずずい、と、足を前へ出した。今度は、今までよりもっと慎重に。そーっとそーっと前進し、片腕を目一杯伸ばす。



 そうして、漸く干し苺を手に入れた。



「やった……っ」


 達成感に、顔が勝手に緩んでく。ボーリング玉位ある干し苺からは、甘い匂いが漂った。味と食感を思い出し、唾が勝手に込み上げてくる。


 これを、全部一人で食べていいのか。私は、若干涎の滲む唇を、舌の先でぺろりと舐めた。




 瞬間。




『……―――――』




 辺りが、一気に暗くなる。





 台座という名の魔王様の掌が、真上から襲い掛かってきた。





「ぎゃあぁぁぁぁぁーっ!」



 地面を蹴り、私は全力で逃げた。そのままママの体に飛び付き、一気にお腹の袋までよじ登る。



 袋へ頭から飛び込み、私は荒ぶる息を整えるべく、深呼吸を繰り返す。身を縮め、今起こった恐怖体験に唇を戦慄かせた。



 び、びっくりしたぁ。天井が上から落っこちてくる時って、きっとあんな感じに違いない。めっちゃ怖い。油断してたから余計ビビる。

 くそ、何だよ魔王様。干し苺なんかくれて、ちょっと良い人かもとか思ったのにさ。喜ぶ私を押し潰そうとするなんて、悪党にも程がある。



 次は絶対に近寄らないにしよう。そう心に固く誓い、私は干し苺に齧り付いた。



「……うんま」



 じっくりと、噛み締める。心なしか、ご飯時に出されるものよりも甘くて、柔らかくて、大きい気がする。




 ………………ほ、干し苺を持ってた時に限っては、近付いても、まぁ、い、いいかもしれない、かなぁー?



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