16.デイモン、色々と後悔する。
「ちょっとっ! ちょっとデイモン、今の見たっ!?」
遠慮のない平手が、デイモンの肩を襲う。
「うちのプリンスが、あなたの所の猫ちゃんといちゃいちゃしてるわよっ。いやーん、可愛いーっ!」
きゃーきゃーと姦しい声を上げては腕を振り下ろし続ける美しき同僚に、デイモンは眉を顰めた。
昔から、デイモンはアンブローズが苦手だった。
悪い奴ではないし、エインズワース騎士団第三番隊隊長を務めているだけあり、実力は勿論、人間的にも優秀だと知っている。合同演習や公務の際は、何かと手助けをして貰った恩もある。
だが、この美貌と口調が、どうにも慣れない。
口調は、
それでも、むず痒さを覚えずにはいられない。
何故これ程美しく、薔薇の花が似合う美人なのに、こいつは男なのだろうか、と。
「……おい、アンブローズ。いい加減落ち着け」
「これが落ち着いてられるわけないじゃないのっ! あのプリンスがよ? 近寄る者は親兄弟だろうと蹴散らすあの暴れん坊がっ。今日初めて会った猫ちゃんをっ。許容してみせるだなんてっ!」
「許容というよりは、無視しているようにしか見えないが」
「その無視が凄いのよっ。いい? プリンスはね、とっても独占欲が強いの。近付く者は勿論、お気に入りの石に誰かが上ろうものなら、そりゃあもう怒るんだから。こうやって眉間に皺を寄せて、相手が例え生まれたばかりの子兎ちゃんだろうと、容赦なくぶっ飛ばすのよ。まぁ、女の子にはある程度手加減するけどね? それでも、躊躇なく突き落とすでしょうね」
「……そんな相手と知りながら、何故お前は、あれがプリンスとかいう兎に近付いていった時、止めなかったんだ」
「まぁ、大丈夫かなーって思って」
うふ、とアンブローズは、緩やかに波打った自慢の金髪を、指へ巻き付けた。
「だってあの猫ちゃん、うちの兎達だけでなく、群れのリーダーであるドンも誑し込んだのよ? 父親のドンが認めれば、流石のプリンスだって認めざるを得ないわ。まぁ、攻撃するかしないかはさておき、という話だけど、でも大丈夫。万が一に備えて、ちゃーんと守る準備はしてたわ。アタシも、あの子達も」
アンブローズは、髪を巻き付けていた指へ、ふっと息を吹き掛けた。小さな竜巻が、指先の上で渦を巻く。
その竜巻越しに、さり気なくプリンスと子猫の様子を窺う兎達の姿が見えた。
「ねーぇ、デイモン。あの子、うちに頂戴よぉ」
アンブローズは、デイモンの腕に抱き付く。
「うちの暴れん坊を手懐けた手腕は、最早才能としか言いようがないわ。他の子達も気に入ってるみたいだし、是非とも抑止力として活躍して欲しいの。それに、ほら見て。プリンスと猫ちゃんのツーショット。可愛いでしょう? いつまでも見ていたいでしょう? だから、ね、お願い。大切にするから。ね?」
「……今はまだ、保管期間中だ。それに、飼い主が現れる可能性もあるから、お前に渡すわけには――」
「どうせ現れないわよ、飼い主なんて」
ふんと鼻を鳴らす。
「デイモンだって分かってるでしょう? こういう場合、大抵は捨てられたか元々野良のどちらかだって。
仮に飼い主を名乗る人間が現れたとしても、十中八九、猫ちゃんを虐待してたと思うわ。だってあの子、執務室にいる間、ずっとドンから離れなかったもの。いくら優しく声を掛けたって、お菓子をあげたって、じっと私を見つめたまま、近付こうとしない。怯えたようにドンにくっ付いてるだけ。そんな姿見せられて、誰が飼い主に愛されてたと思うのよ。無理に決まってるじゃない」
眉を顰め、美しい顔に怒りを浮かべる。
「……まぁ、単にアタシの事が怖いだけだったのかもしれないけど」
「いや、それはない」
デイモンは、間髪入れずに口を開く。
「あいつは、誰に対しても人間不信気味な態度を取る。一部の隊員には、最近になって漸く心を許し始めているようだが、それでも、まだまだ安心とは程遠い
……因みに、私は完全に怯えられている。他の奴らの比ではない程な。優しく声を掛けるどころか、顔を見せただけで、マリアの腹の袋の中に逃げ込まれてしまうぞ」
アンブローズは、長いまつ毛に縁取られた碧眼をぱちくりと瞬かせた。デイモンの仏頂面を見つめ、かと思えば、笑い出す。
「やだ。あなた、そんなに猫ちゃんに怖がられてるの?」
「……あぁ。何故かな」
「何かしちゃったんじゃない? 例えば、こーんな顔で睨み付けちゃったとか?」
「そんな事は、ないと思うが」
多分、と心の中で付け加える。
「まぁ、あなたって顔面が筋肉痛って感じだものね。もう少し解して、表情を動かしてみたら? 笑顔はいいわよー。タダで相手へ好印象を与えられるし、関係も円滑に出来る。なにより、アタシの美貌を一番発揮してくれるわ。正に最高のツールね」
と、アンブローズは、己の美しさを完全に理解した上での笑みを、満面に咲かせた。性別を知らなければ、ころっと騙されてしまう程に美しい。
デイモンは、苦虫を噛み潰したように口角を下げると、徐に口を開く。
「それで、アンブローズ。どうなんだ?」
「どうって?」
「私が頼んでおいた事だ」
あぁ、とアンブローズは手を叩いた。
「んー、そうねぇ……まぁ、一言で言えば、よく分からなかったわ」
宙を眺め、小首を傾げる。
「でも、トロイ隊長が考えてる通り、擬態はしてるようね。魔力の巡り方も、猫とは違うような気がする。だから少なくとも、猫ではないんでしょうね、という感じで、それ以上となると、正直断言は出来ないわ」
「……森人族の血を引くお前でも、あいつの正体は分からないのか」
「まぁ、血を引くって言っても、アタシは四分の一だけだからねぇ。魔力の流れを見るのだって、所詮は純潔の森人族には敵わないわ」
アンブローズは、デイモンを見やる。長いまつ毛に縁取られた碧眼には、茶色い軍服に包まれた逞しい体の中を、まるで血液が循環するかのように魔力が巡っている様が、うっすらと映っていた。
デイモンの傍にいるマリアや、視界に入る兎、空を飛ぶ鳥の持つ魔力の流れも、きちんと確認する事が出来る。
魔力の色は、持ち合わせた属性を模したものとなっていた。カンガルーならば土属性で茶色。兎ならば風属性で緑。己の手を見ても、風属性の緑の傍に、光属性の黄色が僅かに混じりながら、ゆっくりとアンブローズの体を模るように循環している。
だが、プリンスに寄り添う子猫だけは、その流れがはっきりと分からない。
ただ、闇属性特有の黒い魔力が、全身を覆っているのみ。
「まぁ、あの子が何者なのかは特定出来なかったけど、いくつかの事は分かったわ」
「それは?」
「あの子が、闇属性を使う種族だという事。体の大きさは、今とほぼ変わらない事。二足歩行が出来る事。アタシやトロイ隊長の目も欺く程の使い手だという事。人間を怖がってる事。それから、性格的なものなのか、種族的なものなのかは分からないけど、動物に好かれやすい子なのかもしれない、という事ね」
「そこから種族を絞れないか?」
「あくまで憶測でもいいなら、出来るけど」
「参考までに聞かせてくれ」
「分かったわ。
まずは、やっぱり鼠ちゃんかしら? 特にハムスターやモルモットなんかは、大きさも丁度いいし、可能性があると思うわ。それから、梟もあるわね。人間を欺く程の頭の良さを誇るわけだし。トカゲは、うーんどうかしら。なくはないけど、あんまりピンと来ないわね」
そうして、アンブローズは思い付く限りの名前を出していく。
「――と、こんなもんかしらねぇ」
「……案外多いな」
「まぁ、あくまで可能性の話だからねぇ。あぁ、可能性と言えば、もう一つあったわ」
アンブローズは、徐に指を立てる。
「
デイモンの眉が、片方だけ反応する。鋭い視線が、アンブローズの方へ動いた。
「……本気で言っているのか?」
「えぇ。可能性の話だけで言えば、小人族も該当するわ」
「まさか。あり得ない」
「まぁ、そうよね。あの種族は、聖域で大切に保護されてるもの。小人族だけじゃないわ。長老樹の元には、何百という貴重な種族が、森人族に守られながら生きてる。結界で覆われた聖域内から、小人族が外へ出てしまう可能性なんて、万に一つもあり得ないわ」
つと、長いまつ毛に覆われた碧眼が、伏せられる。
「それでも、絶対に起こらないとは、言えないのが現状よ」
小さな溜め息が落とされた。
「いつの時代も、密漁者は後を絶たない。私利私欲に塗れた馬鹿も消えない。こちらがどんなに強固な守りを築こうとも、奴らはあの手この手を使って破り、そうして聖域から、絶滅の危機に瀕してる子達を攫って、金儲けの道具にする。
特に小人族は人気があるわ。体が小さいだけで、知能は私達と変わらないし、寿命もほぼ同じ。特定の言語を使えば、意思の疎通も図れる。擬態も出来るから、例え小人族に飽きても、別の動物のフリをさせれば長く楽しむ事が出来る……飼う側としては、これ以上ない便利なペットよ」
デイモンは、何も言えなかった。
アンブローズは虚空を睨み付けている。
かと思えば目を瞑り、静かに息を吐いた。
「ま、あくまで小人族なら、っていう話だけどね」
アンブローズは自慢の金髪をかき上げ、微笑んだ。
「取り敢えず、アタシが分かるのはこの位かしら? もしもっと詳しく調べたいようなら、アタシのはとこを紹介するけど」
「はとこ?」
「えぇ。聖域の方で働いてるの。純潔の森人族で、攫われた子の奪還なんかも任される位、とっても強いのよ。光魔法も得意で、バリアだけでなく、短距離なら瞬間移動も出来ちゃうんだから。勿論、アタシなんかよりもずぅーっと性能のいい目を持ってるわ。もしかしたら、あの猫ちゃんの事も、もっとよく分かるかもよ?」
「だが、それ程の人物なら、忙しいのではないか?」
「まぁね。でも、事情を説明すれば、寝食を惜しんで時間を作ってくれる筈よ。そういう子なの、アタシのはとこって」
悠然と微笑み、胸を張って言い切った。
デイモンはしばし黙り込み、ゆっくりと頭を下げた。
「ならば、頼めるか」
「えぇ、任せて頂戴。ばっちり約束を取り付けてみせるわ」
唇に弧を描き、ウィンクを飛ばすアンブローズ。非常に美しいが、いかんせん相手は男。何とも言えぬ複雑な思いが、デイモンの胸を過ぎる。
「あっ!」
不意に、アンブローズが目を見開く。
「ちょっとっ、今の見たっ? 猫ちゃんに耳を掴まれても、プリンスが怒らなかったわよっ! あのプリンスがっ! 耳を僅かでも触られたら即刻強烈な蹴りを繰り出すあの暴虐王子がっ! 何のアクションも起こさないなんてっ!
きゃーっ、一体どういう心境の変化なのっ! まさか惚れちゃったっ? 恋に落ちちゃったのっ? いやーんっ、どうしましょうっ! ねぇデイモンッ、どうしたらいいかしらっ? やっぱり猫ちゃんをうちの子にするしかないかしらっ? そうよね、そうしましょうっ! そして猫ちゃんをプリンスのお嫁さんにしましょうっ! それがいいわっ!」
バッシンバッシンとデイモンの肩を叩き、興奮に頬を赤らめる。
「……いや、猫と兎は、夫婦にはなれないだろう」
「何言ってるのっ! 愛っていうのはね、種族とか性別とか、そういうのは関係ないのっ。ただ相手を想い、相手を愛する気持ちがあればそれでいいのっ。そうっ! 例え兎と猫だろうと、惹かれ合ってしまうのはしょうがない事で、互いを愛し、愛されるのもまた運命としか言いようがないのっ! アタシのお爺ちゃんとお婆ちゃんのようにねっ!」
甲高い嬌声を上げて、アンブローズは石の上で寄り添うプリンスと子猫を見つめる。若干鼻息が荒くなるも、その美しさは損なわれる事などない。
デイモンは、眉間に皺を寄せ、黙り込む。しかしその目付きは一層悪さを増し、また唇はこれでもかとひん曲がっていた。
まるで、娘はやらん、と威嚇する父親のような表情である。
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