15-1.美弥子、理想の相手と出会う。



 目の前の光景に、私は口を開けたまま固まった。



 始まりは、お昼の後にやってきた魔王様だった。

 急いで逃げようとしたら、素早くママに捕まえられ、お腹の袋へ放り込まれる。てっきり守ってくれたのかと思ったけど、そうじゃなかった。


 ママは、私を袋へ入れたまま、魔王様に連れられ広場を出る。いくつかの角を曲がり、見えてきたエレベーターみたいな装置の中へと入った。

 扉が閉まり、何やら稼働音がしてから、二つ、三つ、と時間が流れる。最後にピコーンと音を立てて、扉が勝手に開いた。



 私は、自分の目を疑った。



 さっきまでいた場所じゃない。



 似たような造りの建物だけど、明らかにこっちの方が綺麗だ。それに、芝生が沢山敷かれてる。カンガルー達が土を操るからか、基本地面がむき出しだったのに。


 い、一体ここはどこだ? 何で私はここに連れてこられたんだ?


 訳が分からなくて、ママの袋から顔を出し、一生懸命辺りを見渡した。

 前からやってきた緑色の軍服を着たお兄さんに、魔王様が何かを言う。するとお兄さんは、何やら丁寧な態度で魔王様を案内し始めた。ママも後に続く。いくつかの角を曲がり、見えてきた扉が、開かれる。



「わぁ……」



 広場が現れた。いつも私がカンガルーと一緒に過ごす広場と同じ構造だ。奥には動物が寝泊まりするであろう建物があり、更にその奥には訓練場があると思われる。


 けれど、やはり違う。


 土の代わりに、芝生ばかりが見える。広場の真ん中には、どデカい岩も置かれてた。



 更に言えば、カンガルーが一匹もいない。



 代わりにいたのは。




「兎パラダイス……ッ」




 見るからにもちもちとした、色取り取りの兎達だ。見た目も様々で、耳の形、毛の長さ、体格など、中々バリエーションに富んでる。

 そんな兎達は、お揃いの緑のリボンを首に巻いてた。首の後ろで蝶々結びにしたリボンを、動きに合わせてひらひらと靡かせる。



 あまりの愛らしさに呆然と魅入ってると、不意に、爽やかな風が吹き抜けた。

 ほぼ同時に、頭上が陰る。



 何だろう、と見上げ、私はまた固まった。




 兎が、飛んでる。




 長い耳をぱたぱたさせながら、十数匹の兎が、どこからともなく現れた。



 彼らは危なげなく広場へ着地すると、各々好きなように散ってく。

 その中でも一際デカいチョコレート色の垂れ耳兎が、のっすのっすと近付いてきた。



 すると、ママが私をお腹の袋から出す。芝生へ降ろされ、前足でそっと押された。



「ブゥ」


 子カンガルーよりも大きなチョコレート色の垂れ耳兎が、私を見下ろす。


 魔王様程ではないが、周りの兎よりも明らかに目付きが悪い。しかも顔に大きな傷が縦断しており、片耳の先がちょっと欠けている。思わず親分と呼びたくなる程、ワイルドな見た目だ。ワイルド過ぎて、緑のリボンが心底似合わない。



 けれど、立派な肉垂にくすいの持ち主でもある。



 でっぷりとした首周りのお肉に見惚れてると、その兎は、ちょいっと私を咥えた。そのまま、のっすのっすと歩き始める。



「あ、あの、親分? あの、お、降ろして貰えませんか?」


 しかし、親分は気にせず進み続ける。

 私は助けを求めて、ママを振り返った。けれど、ママは魔王様の隣から動かない。私を応援するかのように、「グーゥ」と優しく目を細めただけ。



 そうこうしてる内に、親分は広場を出て、建物の中へ入った。いくつか角を曲がり、とある扉の前で止まる。


「ブゥ」


 先が欠けた垂れ耳を器用に持ち上げ、親分は扉を叩く。

 すると、扉が中から開かれた。



 現れたのは、緑色の軍服を着た、金髪美女。耳元には、薔薇の花が差さってる。



 滅多にお目に掛かれない美人を前に、私の口から間抜けな声が零れた。



『――、―――――。――――――――』


 美人なお姉さんは、そりゃあもうお美しい笑みを浮かべると、私を咥えた親分を部屋へ招き入れる。

 建物と同じく清潔感満載の室内。シンプルながらセンスのいい机や椅子、棚が配置され、その上へ瑞々しい薔薇の花や、可愛らしい置物、兎のぬいぐるみ、民族調のクッションなどが、乱雑には感じない程度に置かれてる。

 まるで雑誌から飛び出してきたかのようなお洒落空間だ。


 すっげぇ、と目を丸くしてると、私は窓際のラグの上へと降ろされた。毛足が長くて、猫もどきな私にとっては、少々歩き辛い。

 おっとっと、とバランスを取ってると、何やらぷよんとしたものが、私の頭に当たった。


「ブゥ」


 おぅ、大丈夫か嬢ちゃん、とばかりに、親分が己の体で私を支える。

 ぷよんとしたものは、親分の肉垂だった。でっぷりと分厚いお肉が、首周りにぐるりと付いてる。もう常時浮き輪でも首に掛けてるのかって位、ボリューム満点ですよ。



「あ、ありがとうございます、親分」


 離れると見せ掛けて、さり気なく親分の肉垂を触っておく。

 おぉ、素晴らしい触り心地。もっと触りたい。寧ろ揉みしだきたい。友達の家で飼われてた兎のミカンちゃんにやったように、これでもかと肉垂を揉み揉みしたい。




 よし、揉もう。




「あの、親分。もしお嫌でなかったら、マッサージをしてもいいですか?」


 もじもじと身体を揺らして、親分を窺う。

 親分は、「ブゥ?」と不思議そうに私を見下ろした。首を傾げた拍子に、垂れ耳がひらりと揺れ、肉垂がちょっと変形する。


 いいねぇ、と釘付けになってると、親分は傾げた首を元へ戻した。そのまま、ラグの上へ腹ばいとなる。首周りの立派な肉垂へ、顎を乗せた。


「ブゥ」


 なら、ちょっくらやって貰おうか、とばかりに、親分は兎らしからぬ鋭い目付きで、私を一瞥した。中々に威圧感満載だが、今の私には屁でもない。ただただ親分が枕代わりにしてる肉垂に釘付けとなる。



 こんな機会、滅多にないんだ。友達宅の飼い兎・ミカンちゃんを喜ばす為に磨いたマッサージスキル、とくとご覧あれ。



「どうですかー、親分。気持ちいいですかー?」

「……ブゥ」

「そうですかー? ブゥですかー? じゃあ、ここはどうですかー?」

「……ブゥ」

「そうですかー。ブゥですかー」


 でっぷりとした肉垂を、これでもかと揉んでやる。もう親分が大き過ぎて、揉むというより張り手を食らわせてる感じになってるけど、どちらにせよ、最高でございます。親分も目を瞑り、傷が縦断するお顔を心地良さそうに緩めております。

 ふふふ、どうだ。あのツンデレミカンちゃんをメロメロにした、私の華麗なるテクニックは。



『――――、――――――』



 不意に、頭上から声が落ちてくる。


 見れば、綺麗なお姉さんがいらっしゃった。ラグの傍でしゃがみ、私と親分を微笑ましげに眺めてる。

 緩くウェーブした金髪を、ちょいと耳へと掛ける仕草が、非常に色っぽい。まつ毛もママのようにばっしばしで、お肌もシミ一つなくつるんとしてる。耳元で揺れる薔薇の花に引けを取らない程にお美しゅうございます。



『――――――、―――――。―――――――――――』


 お姉さんは、私へ話し掛けながら、指でこしょこしょと私の頭を擽った。

 美人のなでなでに、何となく気恥しさが込み上げる。思わず親分の垂れ耳を体に巻き付けてしまった。

 そのまま、気持ちを落ち着かせるが如く、肉垂を揉み揉みする。


『――――、――――――――。―――――』

「ブゥ」

『―――。――――、――。―――――』


 お姉さんは、うふふ、と口元を緩め、両手を顎へ添える。下手な人間がやればただのぶりっ子ポーズにしか見えないが、お姉さんがやるとただただ眩しい。


 ひぇーと思いながら、それでも目を開け続ける。

 何故なら、こんな美人滅多に見れないから。

 例え目が潰れようとも、私はこのチャンスを逃さない。優しく語り掛けてくれるお姉さんを、親分にくっ付きながら、只管鑑賞してやりました。



 その後、べらぼうに美味しいおやつなんかを頂きつつ、眼福な時間を過ごした私は、親分に咥えられて兎パラダイスへと戻ってきた。



 最初は、ママの元へ行こうかと思った。けど、すぐ傍には魔王様がいる。そのせいか、どうしても足が進まない。

 それと、子供と思われる兎達――まぁ、子供と言っても、私の二倍近くあるんだけど。その子兎達が、興味津々とばかりに近寄ってきたので、交流を図るついでに肉垂を揉みしだかせて頂きました。


 いやぁ、ここの兎って、みーんな首回りに浮き輪みたいなお肉を付けてるんだよね。普通は、大人になった雌にしか肉垂は出来ないのに。


 あれかな。パパ達カンガルーの雄にもお腹に袋があるように、兎にも雌雄の差があまりないのかしら? 日本じゃないし、そもそも地球でもないから、そういう事もあるのかもしれない。


 まぁ、兎に角、選り取り見取りな肉垂に、私のマッサージも止まりませんよ。子供から大人まで、メロンメロンにしてやりましたとも。



 結果。どの子もいい肉垂をお持ちだった。

 けれど、あえてベストオブ肉垂を決めるとしたら、間違いなく親分に決定ですね。



 受賞の決め手は、やっぱりあのでっぷりとした肉感でしょうか。ふわふわやぷよぷよも捨てがたいんですけどね。でも、親分のは唯一無二の感触で、いつまでも触ってたいし、いつまで触ってても飽きない。至高の肉垂とでも言うべきか。


 受賞記念に、早速これでもかと揉んでやりたい。そう思い、私は親分を探した。


 親分はすぐに見つかった。なんせ、広場の真ん中にあるどデカい岩の上に鎮座してるんだもの。

 私は嬉々と走り出し、そして、すぐさま止まった。




 親分が、この中で一番美人な兎と、いちゃいちゃしてる。



 お互いの体をぴったりとくっ付けて、時折すりすりと頬ずりした。



 気のせいか、甘い雰囲気と鳴き声が、こっちまで漂ってくる。




 ……そうか。親分って、所謂リア充って奴だったんだ。

 いや、兎だけにリアだろうか。


 私は、そっと踵を返した。いくら肉垂を揉みたいからと言って、逢瀬を邪魔する程、私も野暮な女じゃありませんよ。そりゃあ、ちょっと寂しいっていうか、お前案外面食いだなって思ったし、正直親分の硬派なイメージが崩れ掛かってるけど。

 でも、ね。

 いいじゃないか。愛妻家万歳。愛妻家最高。

 お二人共、どうか末永くお幸せに。そして親分によく似た、素晴らしい肉垂を持つ子供を是非とも生んで頂きたい。



「でも、そうかぁ……」


 親分の肉垂を揉む気満々でいたもんだから、少々おててが寂しい。仕方ないから、別の子でこの寂しさを満たすとしよう。


 でもなぁ。ここの兎達、飛べるからなぁ。


 どうも、カンガルーが土の魔法を使えるように、兎は風の魔法が使えるっぽい。私が肉垂揉みに近付くと、ここまでおいでー、とばかりに空を飛んで逃げてく子がちらほらいるのだ。

 まぁ、それはそれで、耳と共に顎のお肉もたぷたぷ羽ばたく様を下から眺められるから、いいんだけどね。最終的には揉ませてくれるしさ。



 さてと。じゃあ、どの子に狙いを定めようか。

 子供の兎の肉垂は、柔らかくて触り心地がいいけど、でも高確率で鬼ごっこが始まるからなぁ。なら大人の兎にするか、となるけど、そうすると触り心地がなぁ。掴み甲斐はあるんだけどなぁ。


 どうしよう、と辺りを見回すと、不意に、視界の端にクリーム色が掠めた。何となしに、振り返る。




 瞬間。私の体に、衝撃が走った。



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