8.デイモン、隊員に嫉妬する。



 書類仕事がひと段落し、エインズワース騎士団第四番隊隊長のデイモンは、隊舎にある食堂までやってきた。すれ違う隊員と挨拶を交わしつつ、夕食を受け取りにカウンターへ向かう。



「……ん?」



 不意に、手前のテーブルに座る隊員達が目に留まった。



 正確には、その中の一人に。



「あ、お疲れ様ですだ、デイモン隊長」

「あぁ、お疲れ様」


 食事を取っていた隊員達に挨拶を返すと、デイモンは、その中でも一際大きな体の鬼人おにびと族へ目を向ける。


「どうしたんだ、テディ。随分と嬉しそうだが、何かいい事でもあったか?」


 普段から穏やかな男だが、今日は一段とにこにこしているな。ただそう思ったから聞いただけだったのだが。




 周りにいた隊員達は、何故か「あちゃー」とばかりに溜め息を吐いた。



 はて、とデイモンが内心首を傾げていると。




「はいっ。そりゃあもういい事があったんだっぺよぉ、デイモン隊長っ」




 テディの円らな目が、これでもかと煌めく。

 あまりの輝きっぷりに、デイモンは思わず一歩下がった。



「実は今日、猫っ子が、初めて人に触ったんだべ。自分から、こうやってっ」


 と、握った拳で、嬉しそうに宙をかいてみせる。


 デイモンは、「ほぅ」と僅かに口角を緩めた。


「それと、猫っ子の名前も分かったんだぁっ」

「おぉ、一体何という名なんだ?」



だっぺっ」



 ……ん? と、デイモンは、切れ長の目を瞬かせる。


「ミャ、ミャーコロ?」

「違うだよ、デイモン隊長。みゃ~ころ、だべよ」

「ほ、ほぅ?」


 デイモンは、ちらと他の隊員を見た。

 誰もが首を横へ振っている。


「そ……そうか。それは、随分と、変わった響きの名だな」

「ま、本当は、名前じゃねぇんだけんどな。みゃ~ころってのは、鬼人族の言葉で、『猫』って意味なんだ。今じゃあ殆ど使われてねぇんだけんど、でもおらの婆ちゃんは、猫っ子の事をみゃ~ころみゃ~ころって呼ぶんだべ。だからおらも知っててな」

「という事は、あの猫は元々、鬼人族が住んでいる辺りにいた、という事だろうか?」

「それか、鬼人族に飼われてたか、だと思うだ。それも、爺ちゃん婆ちゃん世代がいる家でな」

「該当する人間に心当たりは?」

「うーん、ちょっと思い付かねぇなぁ。実家に連絡すりゃあ、もしかしたら何か分かるかもしれねぇけんど」

「ならばすまないが、連絡を取ってみては貰えないか? 通信機は、執務室にあるものを使って構わない。それらしい人間や、最近エインズワースの城下町方面へ越していった人間がいないか、聞いてみてくれ」

「了解だっぺ。んじゃ、飯食い終わったら、早速母ちゃんに通信してみるだ」

「頼んだぞ」


 あいよー、とテディは、鬼人族らしい尖った八重歯を見せて笑った。



「しかし、そうか。あの猫が、漸くカンガルー以外と触れ合うようになったか。少しずつ私達にも慣れてきたという事だな」



 けれど、誰からも返事がない。


 テーブルに着いていた隊員達は、顔を見合わせて苦笑していた。



「いや、それがですね、デイモン隊長。そういうわけでもないんですよ」

「そういうわけでもない? だが、テディが言うには」

「えぇ、そうなんですけど、でも、猫がそういう態度を取るのは、テディにだけなんです。な?」


 頷き合う隊員達。

 テディは、照れ臭そうに頭をかいた。


「何でなのかは分からないんですけど、でも猫は、テディにだけ反応するし、テディにだけ自分から寄っていくんです。俺達にはぜーんぜん」

「テディが大丈夫ならと思って、俺達も近付いてみたんすよ。けど、いつものようにさっと逃げられちまって。餌を見せながら呼んでみても、ちらっと一瞥しただけで終わり。こっちに来る気配まるでなしっす」

「なのに、テディが呼べばすぐに振り返って、ぽてぽてと近付いていくんです。テディが歩けば後ろをちょろちょろついてくるし、手を差し出せば向こうからくっ付いてくるんですよ? 俺達がやっても、無視するか離れていくだけなのに」


 肘で突かれ、テディは太い眉を下げ、はにかむ。


「いやぁ、たまたまだっぺよ。おらん家の周りには、野良猫が一杯いたからなぁ。猫っ子の扱いは慣れてんだぁ」

「でも、お前の呼び掛けにだけ反応するんだぞ?」

「それもたまたまだべ。ほら、おらは鬼人族の訛りが抜けねぇからよぉ。同じ言葉を言っても、ちっとばかし違っちまってんだろうなぁ。そのちっとが、たまたま猫っ子の聞き慣れた呼び方だっただけだっぺよぉ」


 いやー、参った参った、とばかりに謙遜するテディ。

 だがその笑顔は、どこか誇らしげでもある。


 デイモン達の顔へ、嫉妬の色が浮かぶ。けれどすぐさま笑みを張り付け、わざとらしい声で笑った。


「まぁ、なんだ。何にせよ、猫が人間に歩み寄ろうとしているのは事実だ。これを切っ掛けに、他の者達とも交流を図って欲しいものだな。テディ。お前からも、さり気なく猫を促してやってくれ。それから、チラシへ載せる用に、猫の情報をもう少し集めてくれ」

「了解だっぺ。任せてくんろ」

「頼んだぞ」


 じゃあな、とデイモンはテーブルから離れる。カウンターで夕食を受け取り、適当な席へと座って食べ進めていく。




「――でもさ。本当、なーんでテディにだけ懐いてんのかね、あの猫は」



 どこからともなく、隊員達の雑談が聞こえてきた。



「だから、さっきも言ったべ? たまたまだっぺよ」

「たまたまって、それなら俺だって良かっただろ? 見た目だけで言えば、俺の方が厳つくねぇし」

「いやー、無理だろ。だってお前、前にぐいぐい猫に迫ってたじゃん。猫だけじゃなく、マリアにも嫌がられたじゃん」

「いや、それは、そうだけどさ。でも、今はそんな事やってねぇし。ちゃんと遠くから見守ってるしっ」

「あれじゃね? お前が変態よろしくにやけ下がってるから、猫も気持ち悪いんじゃね?」

「ちょ、変態ってなんだよっ。言っとくけどな、お前だってそこそこ変態染みた顔してっからな。しかもその顔で、『んー? 猫ちゃん、どうちましたかー?』とか言ってるしっ」

「お前知らねぇのか? 動物の子供にはな、基本赤ちゃん言葉で話し掛けるもんなんだよ」

「いや、知らねぇよそんなルールッ。つーかねぇだろそんなルールッ」



 若い隊員達は、忙しなく口を動かす。



「あー、くそー。俺も猫触ってみてぇなぁ。きっとふわふわで柔らかいんだろうなぁ」

「おー、ふわふわで柔らかかったっぺよー」

「くっそ、羨ましいな。どうやったら触れんだよ。コツを教えて下さいこの野郎」

「んー、コツって言われてもなぁ。そう大した事はしてねぇっぺよ? 精々、騒がしくしねぇとか、無理に触らねぇとか、目を合わせねぇとか、そんなんだっぺ」

「目を合わせない? 何で?」

「猫っ子は、目が合うと、喧嘩吹っ掛けられてるって思うんだべ。なんで、目が合ったら、すっと反らすか、目ぇ瞑ってやると、戦う気はねぇよーって意思表示になるんだぁ」

「マジか。俺、めっちゃガン見してたわ」

「俺も。じゃあこれからは、じっくり見たいの我慢して、ちらっとだけ見るわ」



 こうか、こうだ、これはどうだ、と盛り上がる隊員達の声に、デイモンはさり気なく耳を傾けた。



「後は、あれだなぁ。みゃ~ころって呼んでやる事だなぁ。猫っ子がおらんとこ来るようになったのも、そう呼んでからだしよぉ」

「成程な。よし、じゃあ俺も今度から呼ぶわ。えっと、何だっけ? ミャーコロだっけ?」

「いんや。みゃ~ころだべ」

「あぁ、みゃーコロか」

「違ぇ違ぇ。みゃ~ころだ、みゃ~ころ」

「ん? 何が違うんだ?」

「違ぇだろ?」

「どこが?」

「全体的にだっぺよ」

「いや、同じだろ」

「違ぇって。なぁ?」

「いや、テディ。正直俺らも、同じにしか聞こえないぞ?」

「えぇ? 全然違ぇっぺよ。おめぇのは、ミャーコロだろ? で、おらのは、みゃ~ころ。ほら、違ぇだろ?」

「あー、うーん?」


 隊員は一斉に首を捻る。テディも太い眉を八の字に下げ、首を傾げた。


「うーん、なんて説明すればいいんだべか……こう、あれなんだべ。もっとこう、丸っこくっつったらいいんかなぁ? こう、みゃ~って。ふわ~って」

「あー、まぁ、言いたい事は、なーんとなく分かる。あれだろ? ミャとコの間をもっと波打たせて、全体的にもっと柔らかく言う感じだろ?」

「お、そだそだ。皆のは、こう、シャキーンってした言い方なんだっぺよ。それをもっと柔らかく。ほにゃほにゃ~とだ、ほにゃほにゃ~っと」

「ホニャホニャーっとか」

「もっとほにゃほにゃだ。はい、ほにゃほにゃ~」

「ほにゃほにゃー」

「いいべいいべ。そのまま欠伸でもしちまう勢いで、はい、ほにゃ~」

「ほにゃー」

「もういっちょ、ほんにゃ~」

「ほんにゃ~」

「にゃ~」

「にゃ~」

「みゃ~」

「みゃ~」

「みゃ~ころ~」

「みゃ~ころ~」


「それだべ」

「これか」



 おぉ、と盛り上がる隊員達。その後も、みゃ~の発音講座が、延々と続けられる。



 そんな声を背に、デイモンは静かに夕飯を食べ進めていた。




「……みゃ~……みゃ~……」


 口の中で、人知れずみゃ~の練習をしながら。



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