7.美弥子、遂に人間と交流する。



 ママのお腹の袋から、そーっと半分だけ顔を出す。

 目玉を動かし、広場にいる男の人達を確認する。本日は六人。お揃いの茶色い軍服を着て、掃除をしたり、カンガルー達のブラッシングをしたり、大きな袋を運んだりしてる。



 この人達は、大人カンガルー達の戦闘訓練を監督してた事もあるから、恐らく警察官的な方々なんだと思う。

 そして恐らく、今週の飼育当番。

 私が数えた所、七日ごとにメンバーが入れ替わってる。どうやら六グループあるらしい。一様に見た目が厳つくて、体が大きくて、カンガルー達を大切に扱ってる。正に相棒とでも言わんばかりだ。



 これまでの態度を観察する限り、悪い人達ではなさそうだ。たまにガサツな感じの人はいるけど、それでも決して乱暴というわけではない。

 カンガルーを撫でる手付きは優しいし、兄ちゃん達子カンガルーが『遊ぼー』とばかりに纏わり付いても、困ったような、でもどこか嬉しそうな顔で笑ってる。



 けれど。


 私は、どうにも彼らに近付けないでいた。



 別に、踏み潰されそうだとか、食べられそうだとかは、今更思ってない。そりゃあ、大きさの違いからくる威圧感は覚えるけどね。でもそれだって、大人カンガルー達との触れ合いで、大分和らいできた。緊張はするだろうけど、きっとそれだけだ。



 でも、私が近付けないのは、そんな理由じゃない。



『―――、―――――。―――――』


 つと、警察官的な男の人達が、バケツを持って現れた。

 途端、カンガルー達は男の人達の元へ集まる。正確には、バケツに入ったご飯を食べに。


 地面に置かれた大きなお皿に、野菜や果物が乗せられてく。カンガルー達はそれらを前足で掴み、もりもりかっ食らい始めた。


 ママも、ご飯を食べに向かう。空いてるお皿へ近付き、どデカいリンゴを置く男の人を、お一つ下さいな、とばかりに前足で突く。


 男の人は振り返ると、厳つめな顔を綻ばせながら、リンゴをママへ渡した。

 その視線が、つと下がる。

 お腹の袋から様子を窺う私を、捉えた。




 瞬間、表情が一気に崩れる。


 蕩け切った顔で、私へ向かって、猫撫で声を出す。




 まぁ、全力で袋の中に戻りますよね。




 いや、結構失礼な真似をしてる自覚はありますよ? でもさ、あれはない。

 なんだよ、あの初孫を見たお爺ちゃんみたいな蕩け具合は。猫を赤ちゃん言葉で愛でる飼い主の如き親馬鹿オーラはさぁ。

 こちとら大学生ですよ? 大人の仲間入りしてるレディを、「どうちまちたかー」的な声で構おうとするんじゃないよ。全く。



 ……と、言うか。




 私、え、もしかして、本当に猫だと思われてる……?




 い、いや、そんな事はない、と、思うけど、でも、心当たりが全くないわけでもない。

 味付けなしのご飯が常にワンボウルで出てくるし、鈴が入ったボールとか羽根の付いた棒とかで遊びに誘われるし、そもそも私がカンガルーと生活してる事を、誰も疑問に思ってはいないようだ。



 ……これ、本当に猫扱いされてやしないか?



 どうしよう、という気持ちと、でも、という気持ちが入り混じる。

 猫と間違われるのは大変遺憾であるが、かと言って人間と気付かれてしまったら、私は一体どうなるんだろう? ここから追い出されるならまだしも、妙な研究機関に連れていかれたりしないだろうか。それで、色々と身体を調べられたり、下手したら、解剖なんて事も……。



 そんな目に合う位なら、私は喜んで猫に成り下がろうではないか。




 しかし、猫になるにしても、人間として生きてくにしても、必要な事はある。




 それは、カンガルーやあの男の人達の手を借りる事だ。




 はっきり言って、今の私には何も出来ない。一人で生きてくのも、この体の大きさでは難しいだろう。

 幸い、カンガルー達には受け入れて貰えてる。後は、警察官的な男の人達を味方に付けられれば問題ない。



 私は、ママのお腹の袋から、またそーっと顔を覗かせた。

 先程私に蕩ける笑顔を向けた人は、特に落ち込んだ様子もなく、子カンガルー達にご飯をあげてる。他の人達も、少なくとも私を嫌ってはいなさそうだ。猫として見られてるからかもしれないが、それでも、現状から言って、追い出される心配はないと思う。


 だが、私の態度がこれ以上つれないとなると、話は別になってくるかもしれない。


 どう考えても、懐かない猫より、懐いた猫の方が可愛いに決まってる。しかも私は、ママの袋から中々出てこないタイプの猫だ。兄ちゃんや姉ちゃんの影に隠れたり、パパにしがみ付いたまま去っていったりもする。これではいつか愛想を尽かされてしまうかもしれない。



 ならば、私がやらねばならぬ事とは、一体なんだ。



 そう。皆様に媚びを売る事です。



 あくどいと言うなかれ。こちとら命が掛かってるんだ。愛想振りまいて生きていけるのなら、いくらでもやってやるわ。猫になれば生活保障されるのなら、人間のプライドも捨ててくれるわ。




「……でもなぁ……」



 と、私は、ママのお腹の袋から身を乗り出した。毛皮を握り締めつつ、えっちらおっちら地面へと降りてく。



 途端、どこからともなく、視線を感じる。



 けれど、私は振り返らない。振り返ったが最後、蕩けた顔した集団と目が合ってしまう。そうして私の心は折れ、いつものように彼らから逃げてゆくのでしょう。

 何度もやってきてるから、手に取るように分かってしまう。どうにかしたいんだけど、でもなぁ、と溜め息を吐いた。



「よっと」


 地面へ到着すると、私は群がるカンガルー達の足の間を通り抜ける。野菜や果物が乗せられた大皿へと近付く。


 大皿の端には、野菜や果物に紛れて、小さなお皿がちょこんと乗ってた。小さいと言っても、私の体の半分近くはあるんだけど。それでも、ここにある中では断トツで小さい。黒い猫が描かれた可愛らしいお皿。私専用に用意してくれたものだ。



 その上に置かれたご飯を見て、「あ」と私は目を丸くする。



 綺麗に解された白身魚。ゆがいた人参、キャベツ、さつま芋は細長く切られ、綺麗な焼き目の付いた卵焼きも、薄く小さく刻まれてた。




 私は、視界の端に映った、ずんぐりと大きな背中を窺う。



 恐らくこれは、あの人が作ったんだろう。




 がっちりとした四角い体に、太く逞しい手足。眉毛も太く、一重の目元と大きな鼻も相まって、非常に男臭い顔立ちをしてる。口から見え隠れする八重歯は牙のようで、まるで熊みたいな人だ。


 そんなむくつけき彼が当番の時、私のご飯は必ず食べやすくなってた。他の人だって魚は解してくれるし、野菜だって切ってくれるけれど、でも小さい骨が入ってたり、ちょっと硬かったり、多かったり少なかったりして、若干の煩わしさがあるんですよ。


 でも、この熊みたいな彼がいる時は、全くもってそんなものはない。寧ろ痒い所に手が届く感じ。私の事を思い、私の好みを観察し、私の為にあれこれ考えながらやってくれてます、というのが、ひしひしと伝わってくるのだ。

 味も、勿論美味しい。いや、基本素材の味しか感じないんだけど、それでもちょっと違うんだよ。旨味成分的な何かがさ。



 なにより。




『――?』


 丁度振り返った熊みたいな男の人――もう熊さんでいいや。熊さんは、私の視線に気付くと、円らな目を丸くした。

 かと思えば、太い眉を八の字に下げ、困ったような、少し照れ臭そうな表情で、はにかむ。


『――――――――』


 そのまま、何かを柔らかく呟くと、そっと目を反らした。バケツに残ってた野菜を、ご飯用の大皿の中へ入れてく。




 これだよ。この対応の違い。




 熊さんは、他の人みたいにでれでれしないし、じっとりと私を見ようともしない。ただふわっと笑って、ちょこっと話して、必要以上にぐいぐいこない。見た目に反して素朴な雰囲気もまた可愛らしくて、うん、非常に好感が持てますね。



 よし、と私は頷き、熊さんが用意してくれたであろう私専用ご飯へ手を付ける。手掴みでの食事も大分慣れてきた。


 丁度いい量のご飯を美味しく頂き、汚れた手を残った飲み水で洗うと、私は猫の絵が描かれた小さなお皿を掴んだ。


「よいしょっと」


 お皿を押しながら、ずんぐりとした背中へ向かってく。



「あ、あのー、熊さーん」



 控えめに呼び掛けてみれば、熊さんは振り返ってくれた。

 一瞬びっくりしたように眉を持ち上げ、次いで、緩めた。


「あの、ですね。その、ご、ご馳走様でした。美味しかったです。熊さんのご飯、最高です。いつもありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げ、食べ終わったお皿を差し出した。満面の笑みで。

 お片付けもちゃんとするいい子ですよアピールと言うなかれ。こっちは真剣なんだよ。ここでの生活掛かってるんだから、例え今更と言われようと、これからは全力で媚びを売ってく所存なんだよ。その為の第一歩として、まずは比較的気持ち悪くない熊さんに狙いを定めてみたんだよ。



 どうっすか熊さん。自分、いい猫じゃないっすか。

 という気持ちを込めて見上げてれば、熊さんは太い眉を小さく下げ、口角を持ち上げた。



 そうして。




『―――――――? ――、―――』




 私が差し出したお皿へ、そっと追加の野菜を乗せてくれる。




 ……いやいや。別にお代わりの催促じゃありませんから。



 しかし熊さんは、微笑ましげに私が食べるのを待っていらっしゃる。




「……わ、わーい。ありがとうございます。いただきまーす」



 無邪気な眼差しに、負けた。


 い、いや。でもこれも考えようによっては、良かったのではなかろうか。お代わりを頂く事で、熊さんとのコミュニケーションが取れたわけだし。私が美味しそうに食べる姿に、熊さんもまた喜んでるようだし。



 うん、結果オーライだ。

 若干お腹一杯だが、オーライという事にしておこう。



 丸くなってきたお腹を撫でながら、もぐもぐ野菜を消費してると。





『――――? ミャーコ――』





「っ!?」


 私は、弾かれるように顔を上げた。


 熊さんと、目が合う。



「……く、熊さん。今……ミャーコって、言いました?」



 ミャーコ。


 それは私の――美弥子みやこの、あだ名だ。


 少し前までは、毎日友達から呼ばれてた。



 今では誰にも呼ばれない、私のもう一つの名前。




「あの、も、もう一回呼んで下さい。お願いします」


 咄嗟に、熊さんのズボンの裾を掴んだ。熊さんは戸惑うように両手を彷徨わせるが、お構いなしにズボンを引っ張る。


 周りのカンガルー達も、警察官的な男の人達も、何事とばかりにこっちを振り返る。でも私は気にせず、何度も何度も、ミャーコと、私の名前を呼んでくれと、頼む。



 すると、熊さんは、騒ぐ私を宥めるように、太い指で、そーっと背中を撫でた。それから、よく分からない言葉を、ぽつりぽつりと、呟く。



 そんなんじゃないんだ。私が欲しいのは。




 聞きたい言葉は、ただ一つ。





『…………………………ミャーコ――?』





 全身に、鳥肌が立つ。



 衝撃が、足から脳天を駆け抜ける。



 勝手に涙が滲んだ。たった四文字の言葉が、胸が苦しくなる程嬉しい。



 くしゃりと顔が歪む。

 それでも、私は笑った。




「っ、はいっ! そうですっ! 私、ミャーコですっ!」



 込み上げた気持ちごと、熊さんの足に、全身で抱き付いた。



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