6.デイモン、部下の意見を聞く。
執務室の扉がノックされる。
エインズワース騎士団の第四番隊隊長であるデイモンは、顔を上げ、入室を許可した。
「失礼しますだ」
「デイモン隊長、今日の訓練が終わったっぺ」
「ご苦労。何か問題はあったか?」
「あー、まぁ、これと言った問題は、特になかったっぺよ? 訓練中は」
含みのある物言いに、デイモンはテディを見やる。
「いやー、実は、訓練の後に、パーシヴァルとマリアが、夫婦喧嘩を始めちまってなぁ」
「……一体何があった」
「それが、パーシヴァルの体に、若い雌の毛が付いてたみてぇでな。それを見付けちまったマリアが、浮気かーって腹を立てて、ボコーンと鉄拳制裁だべよ。で、今はパーシヴァルが、へそを曲げたマリアのご機嫌取りをしてるとこだ」
全く、あいつは何をしているんだ。デイモンは溜め息を吐き出した。
「夫婦喧嘩の被害は出ているのか?」
「いんや。訓練場の土がちっとばかし抉れた位だべ」
「怪我人は?」
「そっちも特には。マリアが顔を顰めた時点で、皆一斉にパーッて離れてったからなぁ。取り残されちまった猫っ子も、ボウイとレディがすぐに回収したんで、大丈夫だったっぺよ」
ならば良かった。いや、良くはないが、被害がなかった点については、取り敢えず良かったという事にしよう、とデイモンは内心頷いた。
「それと、ほい。迷い猫のチラシが出来たべ。確認お願いしますだ」
テディが差し出したチラシを、デイモンは受け取る。
マリアの腹の袋から顔を出している子猫の絵が、小さく描かれていた。絵の下には、子猫の特徴や保護した場所、ブルーベリーの入った小さな袋を背負っていた事などが書かれている。
「もう少し猫の顔を大きく出来ないか? それと、全身像も載せた方がいいと思うぞ。猫の特徴も、もう少し詳しく書きたい所だな」
「そりゃあそうなんだけんど、でも、猫っ子自身がおら達に怯えてっからなぁ。近付こうとすっと、すぐにマリアの腹の袋に潜り込んじまうんだべ。離れてても、おら達の視線を感じると、近くにあるもんの影とかに隠れちまうし。今はこれが精一杯だっぺ」
「そうか……」
「ま、カンガルー達にゃ、随分と慣れたようだからなぁ。その内おら達にも慣れてくれるべ。こればっかりは、急いだ所でどうしようもねぇっぺよ」
「まぁ、そうだな」
「取り敢えずは、こんなんでもチラシを作って、こういう猫っ子が保護されてるだよーって事だけでも知らせとけばいいと思うだ。そんで猫っ子の様子見ながら、ちっとずつ絵とか情報とかを増やしてけばいいんじゃねぇべか。それまでは変にちょっかい掛けないで、気長に見守ってくべって、他の隊員とも話してただよ。こっちがそういう態度でいれば、猫っ子もその内気を許してくれんだろうからなぁ」
と、テディは、「あ」と思い出したように手を叩く。
「そだそだ。あの、デイモン隊長。他の奴とも話してたんだけんど、いつまでもあの猫っ子の事を、猫、猫、って呼ぶのは、ちっと可哀そうじゃねぇべか? おら達だって、人間人間って呼ばれんのは、あんまり気持ちのいいもんじゃねぇしよぉ。仲良くなるには、やっぱ名前を呼んだ方がいいと思うだ」
「そうは言っても、あの猫には首輪も名前札も付いてはいなかったんだぞ。なのにどうやって名前を知るというんだ。そもそも、あるかどうかも分からないだろう」
「なんで、まずは適当に色んな呼び方で呼んでみようかと思ってるっぺ。もしかしたら、猫っ子が反応する名前があるかもしれねぇしな。場合によっちゃあ、住んでた地域も特定出来んじゃねぇべか?」
成程。確かに一理あるかもしれないな。デイモンは腕を組み、一つ唸った。
「ならば、そのようにしてくれ。もし何か分かったら、また追って報告するように」
「了解だべ」
んじゃ、とテディは一礼し、踵を返した。
「あ」
ドアノブへ手を掛けたまま、テディは立ち止まる。
「あー……」と眉を下げ、どことなく申し訳なさそうに、デイモンを振り返った。
「あのー、デイモン隊長」
「何だ?」
「あのな、そのぉ……さ、さっきも、言ったんだけんどよぉ。猫っ子の事は、今は近付いたりしねぇで、待ちの体勢でいようなって、そういう話になってんだ。隊員の中では」
「あぁ。聞いたな」
「一日でも早く慣れて貰う為にも、おら達は友好的な態度で、猫から寄ってきてくれんのを兎に角待つんだ。いくら気になるからって、こう、グイグイ近付いてったり、じーっと見つめたりしちゃ、猫の警戒も解けねぇっぺ?」
「そうだろうな」
「急いだとこでどうしようもねぇ。だったらおら達に出来んのは、ただ見守る事と、静かにそん時を待つ事。それだけだ。デイモン隊長も、そう思うっぺ?」
「あぁ。全くだ」
「だ、だべ? そうだべ? だから、な。デイモン隊長」
テディは、巨体を縮めて、上目でデイモンを窺う。
「例え、周りにだぁれもいなかったとしても、やたらに迫ったりすんのは、どうかと思うべ」
デイモンの動きが、ぴたりと止まった。
「あ、いや、別に、猫っ子を可愛がるなとは、おらも言わねぇよ? 一人でこっそり見に行くのだって、全然構わねぇんだ。でもな、デイモン隊長。もしかしたら、薄々は気付いてっかもしれねぇけんど、その……ね、猫っ子は、デイモン隊長に、すっげぇ怯えてんだべ。
ほら、隊長って、ちっとばかし顔が、こう、厳ついっぺ? 背だってデケェし、目付きもこーんな鋭くて、そんな男が、何にも言わずにじーっと見下ろし続けてくんのは、普通の人間でも、正直ちっと怖いっぺよ。ただでさえ猫っ子は人間不信気味なんだべ? これ以上不安にさせちゃ駄目だっぺよ。安心させてやる事が、猫っ子にとっても、おら達にとっても、一番いいと思うんだ」
テディは、気まずそうに目を反らすと、取り繕うかのように笑う。
「そ、そういうわけなんで、お願いしますだよ、デイモン隊長。んじゃ、おらは、これで失礼しますだ」
固まるデイモンを他所に、テディはそそくさと執務室を出ていった。
扉の閉まる音が響き、しばしの沈黙が流れる。
「……そうか……怯えられていたのか……」
そう呟くと、デイモンは、ゆっくりと机へ突っ伏す。
重々しい溜め息を吐くと、そのままぴくりとも動かなくなった。
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