5.美弥子、カンガルー達を観察する。



 ここでの暮らしも大分慣れてきたなぁ。


 私は、ママのお腹の袋に入りながら、そんな事をしみじみと思う。



 あ、因みにママというのは、いつも私をお腹の袋へ入れてくれるカンガルーさんの事ね。我が子のように慈しんでくれる、聖母のような方でございます。しかもまつ毛がばっしばしに長くて、毛艶もつるんふわんな美人さん。親しみと感謝を込めて、ママと呼ぶ事にしたのです。



 そんなママは現在、普段寛いでる方とは違う広場で開催される、ちびっ子格闘教室的なものを、温かな眼差しで見守ってる。

 どうやらここに住む子カンガルー達は、大人のカンガルーにキックボクシングらしきものを教わってるようなのだ。



 しかも驚く事に、このカンガルー達、なんと魔法が使えるのです。



「グォウッ!」


 大人のカンガルーが、尻尾を大きく振る。すると、地面が勢い良く盛り上がり、丸太状の土の塊となった。

 それを見て、子カンガルー達も尻尾を振り回す。精度の違いはあれど、それぞれの前に土の塊が無事現れた。


「グルゥッ!」


 大人のカンガルーが、ボクシングのような構えを取る。子カンガルー達も、真似をして前足を胸の前で構えた。

 鋭い鳴き声を上げながら、自分で作った土の塊へ、右、左、と前足を突き出す。時折キックも挟み、中々本格的な型の練習をしていった。



 ここ数日観察した結果、恐らくこの場所は、警察犬みたいに、悪い奴らと戦う動物を訓練する施設なんだと思う。

 子供のカンガルー達は毎日こうして訓練をするし、ママ達大人のカンガルーも、日に三回前後、五・六匹のグループを作ってどこぞへと出掛けてく。帰ってくると、怪我してる時もある。そうでない時でも、若干草臥くたびれた様子で首や足を回し、そこら辺に寝転がるのだ。仕事帰りのお父さんみたいな顔で。



 そんなカンガルー達は、何故か全員お腹に袋を持ってる。



 最初、ここには雌しかいないのかと思った。でもよくよく見ると、半分位のカンガルーの後ろ足の間に、立派な玉が二つぶら下がってるのだ。どう考えても雄。なのに何で子供を育てる袋があるんだろうって不思議だったけど、まぁ、あるもんはあるんだから、いいか、と取り敢えず納得する事にした。

 いつかベストな答えを見つけてやりたいと思っております。


 後、全く関係ないけど、ここのカンガルーは、妙に可愛い。


 全体的に丸っこいのだ。勿論、筋肉とかはしっかり付いてるんだけど、私が知ってるカンガルーよりも、フォルムが長細くないというか、アニメっぽいというか。

 いや、全然駄目じゃないんだ。寧ろ可愛いからいいんだけどね。ただ、袋の件も相まって、あー、異世界なんだなーと、そうまざまざと見せ付けられてる感じがね。ちょっとだけ、心に引っ掛かるのですよ。



「グーゥ?」

「あ、ううん。何でもないよ、ママ。大丈夫」


 私を覗き込むママへ、笑い掛ける。ついでに鼻を撫でれば、ばっしばしなまつ毛に縁取られた瞳が、ゆるりと弓なりになった。



「グゥッ!」


 止めっ! みたいな声と共に、小カンガルー達は構えを解く。

 次は一匹ずつ前へ出て、大人のカンガルーとスパーリングを始めた。勇ましくも可愛らしい声を上げて、キックとパンチを繰り出してく。



「あ、兄ちゃんだ」


 恐らくママの子供であろう雄の子カンガルーが前へ出る。気合を入れて前足を構え、猛然と駆けてく。

 他の子よりも、心なしかパンチとキックが鋭い気がする。最後には尻尾も使って、大人カンガルーへ挑んだ。


 しかし大人カンガルーはあっさりと避け、逆に尻尾を掴んで投げ飛ばしてしまう。



「あぁっ」


 ドッテンゴロゴロと転がる兄ちゃん。大丈夫かと前にのめるも、兄ちゃんはすぐさま飛び起き、悔しそうに地面を踏む。どう見ても元気そうで、ほっと力が抜けた。



 次は、姉ちゃんだ。兄ちゃんの双子の兄弟で、恐らくママの娘。寝る場所が一緒だから、家族なんだと思う。


 そんな姉ちゃんが、弟の敵ーっ、とばかりの勢いで、突撃していった。

 攻撃の威力は並だが、スピードは桁違い。素早いステップで相手の懐へ潜り込み、連続パンチを繰り出す。


 けれど、しばらくすると動きが鈍くなってきた。どうやらスタミナ切れのようだ。

 明らかに弱くなったパンチを、大人カンガルーは受け止めると、あっさり姉ちゃんを転がした。大の字になってお腹を上下させる姉ちゃんに何やら言うと、残りの子カンガルーを振り返り、次っ! とばかりに鳴いた。



 そうして一通り訓練が終わると、大人カンガルーはどこかへ行ってしまった。子カンガルー達は倒れたり座り込んだりして、休憩をする。



 だがそれも、どこからともなく響いた笛の音で、終わった。



 文字通り飛び起きたかと思えば、子カンガルー達は一目散に駆け出した。ママもゆっくりと後を追い、柵の傍で固まる子カンガルー達の後ろで止まる。




 柵の向こうでは、大人カンガルー達と、数名の男の人がいた。男の人達は、揃いの茶色い軍服を着て、腰に剣を差してる。



『――――、―――――っ!』


 一際デカい熊みたいな人が口を開くや、カンガルー達は一斉に地面を蹴った。飛び跳ねながら、結構なスピードで前進する。



 柵の中を三周すると、カンガルーは広場の真ん中へと集まった。軍服を着た男の人達に見守られながら、さっきの子カンガルー達のように、スパーリングを始める。


「グルゥッ!」

「グァウゥゥッ!」


 低く鋭い声と共に、相手へキックやパンチを繰り出す。中には相手の首を抱え込んだり、ドロップキックをお見舞いしたりする者もおり、中々バラエティに富んでる。迫力も満点で、子カンガルーからは頻りに歓声めいた鳴き声が上がった。



 その中でも、特に大きな歓声を貰ってるのは、パパだ。



 ママの旦那さんで、私をここに連れてきた張本人。多分、カンガルー達のリーダー的存在なんだと思う。



「グルルルルゥ……」


 パパは、大きな体を低くし、自分を取り囲む相手を睨み付ける。

 パパだけは、カンガルー三匹と対峙してた。眉間には皺が寄り、どんどん眼光が鋭くなってく。あまりの迫力に、一匹のカンガルーの耳が、僅かに伏せられた。



 瞬間、パパが動く。



 怖気付いたカンガルーを、パンチ一つで吹き飛ばした。



 続けて左側から襲い掛かってきたカンガルーへ、鋭いキックを放つ。そのまま一回転し、最後の一匹へ尻尾を叩き付けた。



 倒れたカンガルー達は、それでもすぐさま起き上がる。もう一度パパを取り囲むと、今度は一斉に飛び掛かった。



「グルゥアァッ!」


 パパが、尻尾を大きく振った。




 直後、パパの前へ、高い土壁がそびえ立つ。



 突然の障害物に、カンガルー達の動きが一瞬止まる。

 その一瞬で、パパは全てを決めてみせた。

 瞬き一つするかしないかの時間で、三匹全員、地面へと叩き伏せる。



 子カンガルーの歓声と共に、熊みたいなデカい男の人が何かを叫んだ。それを合図に、大人カンガルー達の顔付きが緩む。真剣な空気も消えた。

 どうやら訓練は終わりらしい。和やかな雰囲気で、柵の外へと出てきた。



「キュッ!」

「クゥーッ!」


 子カンガルー達は、それぞれの親であろうカンガルーの元へ駆けてく。兄ちゃんと姉ちゃんも、パパの元へ向かった。飛び掛かるように抱き着き、興奮気味に何度も何度も鳴き声を上げる。


 私も行こうと、袋から身を乗り出す。ママの毛皮にしがみ付きながら、少しずつ地面へ向かった。



 籠城を止めてから、毎日上り下りの練習をしたお蔭で、随分と上手くなった。それでも、まだ筋肉なり握力なりが足りないのか、途中で力尽きる事もしばしば。今も、私がいつ落ちてもいいよう、ママがさり気なく前足を添えてくれてる。

 なんかすいません、ご迷惑をお掛けしまして。



 漸く下まで降りると、パパ達がこっちへやってくるのが見えた。走り寄って、兄ちゃん姉ちゃんと共にパパの足へ抱き着いてみる。


「パパ、お疲れ様。凄かったね」


 そう言って見上げると、パパは身を屈め、「グォウ」と私に顔を擦り付けた。

 当人としてはソフトタッチのつもりなんだろうけど、私からしたらただの優しい体当たりでしかない。


 コロンと後ろへ転がった私を、兄ちゃんと姉ちゃんが起こしてくれた。それからパパへ、『駄目じゃん親父ー』『女の子相手にサイテー』みたいな感じでパパの足を叩き始める。

 パパは、タグの付いた耳を困ったように伏せ、情けない鳴き声を上げた。



「グーゥ」


 はいはい、あなた達、その辺にしてあげなさい、とばかりに、ママが後ろからやってきた。私が怪我をしてないか、顔を近付けて確認すると、パパを振り返る。一際優しく鳴き、パパの顔へそっと自分の頭を擦り付ける。

 まるで、


『お帰りなさい、あなた。お疲れ様』

『あぁ、ただいま。お前もお疲れ様。いつも子供達の世話をしてくれて、ありがとうな』

『ううん、いいのよ。だってあなたとの子だもん。疲れたりなんかしないわ』


 とでも言わんばかりに、なんか甘く喉を鳴らしてる。


 うーん、ラブラブですなぁ。子供の前でも躊躇なくいちゃいちゃするなんて、流石は異世界。いや、異世界関係ないか。

 まぁ兎に角、お二人の仲が良くて、なんちゃって子供の私も非常に嬉しいですよ。



 とか思ってたら。




「……グ?」




 不意に、ママがパパから、ぱっと顔を離した。



 パパの肩口を見つめ、そこに付いてた一本の毛を、前足で摘まむ。



 じーっと毛を観察したかと思えば、つと、眉間へ皺を寄せた。




「…………グーゥ?」


 ちらりと、意味ありげな視線をパパへと向ける。

 どことなく刺々しい眼差しは、まるで夫の浮気を追及する妻のようであった。



『ちょっとあなた。なに、この毛。私のじゃないわよね? 一体誰の毛なの?』

『い、いや、それは、あれだよ。さっき、お隣のカンガルーさんとこの奥さんと、ぶつかっちゃってさ。その時に多分付いたんだよ』

『へーぇ、お隣のカンガルーさんの奥さんとねぇ?』

『ほ、本当だよ。俺が、お前以外の雌と、そんな、体を寄せ合うわけないだろ?』

『じゃあ、何でこの毛は、あなたの肩に付いていたのよ。お隣の奥さんは、私よりも小さいのよ? たかがぶつかった位じゃあ、こんな位置に付くわけないでしょ』



 責めるように、前足でつんつんと突くママ。パパはたじろぎ、それでも何かを言い募ってる。



 けれど、ママの疑いの目は晴れない。



 寧ろ、眉間どころか米神に青筋が立ってる。




 あ、こりゃあヤベェ。




「キュ」

「クゥ」



 と、思った直後、私は兄ちゃんと姉ちゃんに抱え上げられた。



『さぁさぁ、オイラ達は向こうに行こうぜ』

『ここからは、あんたにゃまだ早いよ』


 とでも言わんばかりに、さっさかこの場から離れてく。




 背後から怒る雌の雄叫びと、雄の悲鳴染みた鳴き声、そして痛々しい殴打音が上がったが、気付かなかった方向でいこうと思う。



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