4.デイモン、隊員に呆れる。



「ん?」



 前方に、何やら人だかりが見える。



 獣舎へ続く扉の前に、エインズワース騎士団第四番隊の隊員が集まっていた。今週の飼育当番だけでなく、休憩中や非番の者の姿まで。


 彼らは、薄っすらと開けた扉の隙間から、一様に何かを窺っていた。



 ……あいつらは、一体何をしているんだ? デイモンは片眉を持ち上げる。

 最初は、広場で寛ぐ隊獣たいじゅうのカンガルー達を眺めているのかとも思った。だがそれならば、何故ああも覗き魔のような真似をしているのか。堂々と見ればいいものを、何故そうはしないのか、と内心首を傾げる。


 デイモンは、不審極まりない隊員達の元へと近付いた。



「おい、お前達。ここで一体何を――」

「しぃっ、デイモン隊長静かにっ。今いいとこなんだっぺっ」


 第四番隊一の巨体を持つ鬼人おにびと族のテディは、デイモンを振り返る事なく、そう小声で怒鳴る。他の隊員も、決して扉の隙間から目を離さないものの、黙っていろと言わんばかりの空気を醸し出す。


 私はお前達の上司なんだが、という言葉を飲み込み、デイモンは、隊員達の後ろから扉の隙間を覗いた。

 そこには案の定、獣舎の前にある広場で、隊獣のカンガルー達が思い思いに寛いでいた。



 しかし、いつもと少々様子が違う。



 大人から子供まで、一様に同じ方向を気にしているようなのだ。



 一体何があるのだろう。

 デイモンも、カンガルーの視線の先を見やる。




「……マリア?」




 そこには、群れのリーダーであるパーシヴァルの妻・マリアがいた。彼女の子供のボウイとレディもいる。


 三匹が向かい合って、何かをしているのか、とも思うも、すぐに違うと気付く。

 三匹は、お互いではなく、マリアの腹を見つめているのだ。



 よく見ると、マリアの腹の袋から、黒いものが少しだけ飛び出ている。




 あれは、二か月程前、パーシヴァルが巡回中に拾ってきてしまった子猫の耳だ。



 片手に乗る程しかない、小さな小さな黒い子猫。獣医の話では、恐らく生後二か月前後だろうとの事だ。

 人間にもカンガルーにも異様に怯え、殆ど袋から出てこないのだが、どうした事か。珍しく自分の意思で顔を現したらしい。



 しかも、ただ顔を現しただけではない。


 下を見つめながら、何やらもじもじと前足や頭を動かしているではないか。



「……もしや、出るつもりか?」


 外へ。


 音にしなかったデイモンの声は、周りの隊員にも伝わったらしい。扉の隙間から、一層熱い視線を送る。



 子猫は、何度も身を乗り出しては戻るを繰り返す。

 それはそうだろう、とデイモンは息を吐く。子猫からすれば、地面までがさぞ遠いに違いない。デイモンとて、自分の身長の三、四倍も離れた場所へ命綱なしで降りろと言われたら、恐怖を感じずにはいられないだろう。


 それでも子猫は諦めず、地面を見つめている。恐怖心と戦うかのように。



 そんな子猫を助ける為か。


 徐に、マリアが体を横たえた。


 腹の袋の口を、地面へと寄せる。



 その母性溢れる姿に、デイモン達の口から、自然と感嘆の声が零れた。



 子猫は、ゆっくりと這い出てきた。マリアの胸元にしがみ付きつつ、後ろ足を片方降ろす。続けて反対の足も、慎重に地面へ伸ばした。


「頑張れ……っ」


 誰かの呟きが、この場に落ちる。隊員達は拳を握り、固唾を飲んで見守った。



 そして遂に、子猫が地面へと降り立つ。

 この場にいた全員の口から、安堵の息が落とされた。




 だが、事態はそれだけでは終わらなかった。




 子猫は、ボウイとレディを見上げると、ぽて、ぽて、と少しずつ近付いていったのだ。相手を窺うように、吟味するように見つめながら。



 ボウイもレディも、決して動こうとしない。ただ子猫が辿り着くのを、じっと待った。群れの中でも特に落ち着きのない、一番年若い、あの二匹が、だ。

 その光景にデイモンが驚いている間にも、徐々に子猫はボウイ達との距離を縮めた。



 そうして、レディの尻尾へ、そっと触れる。



 子猫からの、初めての触れ合いだった。



 ボウイとレディは、大層嬉しそうに耳を立てた。頻りに飛び跳ね、勇気を振り絞って歩み寄ってみせた子猫を、遊びに誘う。


 追いかけっこを始めた三匹の周りへ、他の子カンガルー達も徐々に集まる。

 大人のカンガルー達は、どことなく安心したように耳や尻尾を揺らした。マリアも、嬉しそうに子猫を見つめている。



「よしっ。よくやったぞ猫、よくやった……っ」

「頑張ったなぁ。一時はどうなるかと思ったけど、これでどうにかなりそうだな」

「うぅ、よ、良かった。良かっただぁ……」

「おいおい、泣くなよテディ」

「だ、だっでぇ、あの猫っ子、ずぅーっと悲しそうに鳴くんだっぺよ? ぶるぶる震えながら、ミューミュー言ってよぉ。パーシヴァルもマリアも、そりゃあもう心配して。そんな姿見てたら、おらもなんか、胸がぎゅーってしてよぉ……っ」

「分かるっ、分かるぞテディッ。そうだよな。猫の怯える姿見てると、こいつは一体どんな怖い目に合ってきたんだって考えちまってさ。そうすると、もう、夜も眠れなくってよぉっ」

「くっそ、涙で前が見えねぇわ。こんな日は、祝い酒でも飲まなきゃやってらんねぇぜ」


 静かに盛り上がるという器用な真似をする隊員達に、デイモンは呆れ混じりの溜め息を吐く。

 確かにめでたいとは思うし、感動する気持ちは分からなくもないが、しかし、抱き合って分かち合う程の事だろうか。



「全く。これしきの事で泣くなんて、しょうがない奴らだな」



 そう言って、デイモンは小さく鼻を啜った。

 さり気なく目元も拭い、込み上げたあれこれを誤魔化す。



「……まぁ、何にせよ、猫が出てきたのはありがたい。これで漸く飼い主の捜索も進むだろう」



 ついでに、里親探しも行っていかなければならない。



 エインズワース騎士団の隊舎内では、基本的に隊獣以外の動物を入れてはいけない決まりになっている。

 一応、迷子のペットなどを保護した場合ならば問題はないのだが、それでも扱いは取得物となる。つまり、隊舎へ置いておけるのは、保管期間である六か月の間だけ。それまでに元の飼い主なり里親なりを探し出し、引き渡さなければならないのだ。


 けれど、これが中々大変だった。毎回難航を極める作業に、デイモンは小さく溜め息を吐く。それでも、保護してしまったものはしょうがない。


 兎に角、無事に引き取り手が見つかる事を祈りつつ、残りの四か月を過ごしていくしかない、と毎回思っている事を、改めて思い直す。




「……しかし」




 と、デイモンは、小カンガルー達と戯れる子猫を、じっと見つめた。覚束ない足取りで動き回る姿に、内心首を傾げる。




 ……猫という生き物は、あれ程長い間、が出来るものだっただろうか?



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