行動が制限されている中、どうにかして会おうと必死ですね。
前にテレビで、スマホもケータイもなかった時代は、彼女と会ったり連絡を取り合うのに苦労したって言っていましたけど、千年前にも会うために苦労し、策を練っていたのですね。
初瀬詣の間もずっと、宇治に立ち寄ることで頭がいっぱいでソワソワしてたに違いありません!(^^)!
作者からの返信
目的はお寺参りではなく帰りの寄り道ですからね💦
お寺では上の空だったことでしょうね。
スマホやケータイのない時代ですら今では考えられないほど連絡をとるのが難しかったのに平安時代に気になる女の子に会うには相当の苦労を強いられたのでしょうね。
「どんなことをしても逢いたい」
この想いがにおちゃんを突き動かしているのでしょうね。
娘への教育、諭しでも、明石入道と宇治の八宮は違いが出ます。
裕福な明石入道の強さ、明るさ。
貧乏な宇治八宮は「憂し」なので、厳しく娘(特に大君)を縛ります。
弘徽殿大后により一時は東宮候補になった八宮。
しかし、光源氏の復権で、そんな望みも雲散霧消。
その「光」から弾き飛ばされ、京の屋敷は燃え、宇治で貧乏暮らしで訪れる人もほとんど無く。
宇治八宮の心に、光源氏の一族に対して嫉妬や恨みが残っていないとは言い切れず。
かと言って、貧乏暮らしで頼るしかないけれど、自分は「宮」なので、匂宮はともかく、薫には頭も下げきれず。
八宮も、また苦難と複雑です。
作者からの返信
八の宮と明石入道の対比ですか。
私にとっては「目からうろこ」のご教示です。
光源氏への嫉妬や恨みがないとは言えない。
このように解説していただけるとそういう想いもあるかもしれませんね。
八の宮も悟り切れずまた迷いも多く。
本当に舞夢さまの解説はわかりやすく簡潔でいつもいつも感謝しています。