第21話 奴隷市

 ゆるやかな目覚め、ユヅルは体を起こした。

 玉汗がにじむウィオラの額に手を当てる。

 寝台の端で落ちかけのアニュレを起こした。


 むにゃむにゃつぶやいて二度寝のアニュレをあきらめ、ユヅルはウィオラの毛布をはがす。

 うっすらとまぶたが開いて、


「体が寒くて重いのじゃ」

「寝汗の下着を替えよう、取ってくる」


 替えの肌着を置いて、ユヅルは濡れ布を差し出す。

 ぴくりとも、ウィオラは動かず。


「あのな、とてもだるくての」

「そのくらいは、できるでしょ」

「いいではないか、わらわは気にせんぞ」


 小さな唇に笑み、ユヅルはウィオラを抱き起こした。


「はい、ここまで。あとは自分でね」

「わらわは病人じゃぞ。濡れた下着は気持ち悪いのじゃ、はよ替えて汗をぬぐってたも」

「あの、口だけは病人のそれじゃないんだけど」

「なんだかすごく息苦しいぞ、ふーっ、ふーっ、ふーっ——」


 ユヅルは、ゆるくごっつんこして、


「見た目はともかく、心はお姉さんだと思っていたんだけどな」

「わらわは立派な大人じゃぞ」

「そうだ、着替えも一人でできる立派な大人だな」

「ーむ、当然なのじゃ」


 やれやれ——ユヅルは背を向けた。



 それなりに元気だし疲れからきた風邪だろう——だだをこねるウィオラを館に残し、級友たちに会うためユヅルは国境の街へいくことにした。


 ユヅルを乗せたアニュレの操る鳥竜は峡谷を越え、商会の敷地へ。

 飛び降りたユヅルは、舞い上がる鳥竜のアニュレに手を振る。

 騒ぎに血相を変えて飛び出してきた太りじしの男は、ゆるめた駆け足からもみ手を始めて、


「これは最強の神父さま、昨日の今日でどのようなご用件で」

「御者つきの小さな馬車を借りたい」

「はい、ではこちらへ」


 ユヅルは馬車に乗り込んだ。

 御者が扉を閉めるより前に、黒衣に乗り込まれて。


「貸し切りだよ」

「坊やの一人旅はとても危険なのだけれど」


 目深の黒衣はらりとのけて、切れ長の目の暗殺者は対面に腰掛ける。


「また、あんたか」

「ステラよ、あなたの心にわたしを刻んであげる。報酬は、あなたの信頼、でどうかしら」


 ユヅルは小さく肩をすくめた。


「取引成立ね——出してちょうだい」



 教会の十分の一税という理不尽な通行税にむしられて五日目の昼、ユヅル一行は国境の街へ到着した。

 満載の荷馬車が行き交う大通りに露店がずらりと並ぶ。

 ひときわ大きい声に、黒山の人だかり。


「さぁー、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。馬その他、馬その他、馬その他——」


「なんだ、あれ?」

「ああ、奴隷市なのだけれど」


 荷車の檻で泣き叫んでいる若い男女の群れ、よく見ると——ユヅルは駆け出した。


「おまえら、どうしたの? なんでこんなことに?」

「ユヅルくん、助けて!」

「ユヅル、ここから出してくれ!」


 級友たちのつかむ鉄格子がきしみをあげた。

 ユヅルは、売り言葉をまき散らす黒服へ迫り、


「彼らを今すぐ解放しろ」

「一頭あたり純銀貨百枚でございます」

「なにが一頭だ、ふざけんな!」


 ユヅルは、黒服の胸ぐらをつかんだ。

 指を鳴らし、屈強な男どもが動く。

 瞬きより速く、大きな杖を手にするステラが立ちはだかり。

 あたりの空気がずしりと重くなった。


「なんだぁ?」

「ぐふふ、捕まえて夜の玩具おもちゃにしよう——」


 大杖おおじようを振ったステラの周りに泡立つ氷塊が、短い夏の陽気を切り裂く。

 屈強な男どもは崩れ落ちた。


 ユヅルの手を振りほどいた悲鳴が、人垣へ逃げ込む。

 黒瞳こくとうは檻をぴたりと見据え、


「みんな、下がって伏せろ」


 魔弾が檻の上部を消し飛ばし、斜線上の教会は半壊。


 檻から石畳へ、級友たちが飛び降りる。

 抱き合い号泣の女子から、ユヅルは目を戻した。

 顔が腫れて痛々しい男子のひとりが、声を荒げる。


「ソウタ殺す、ソウタ殺す、ソウタ殺す——」

「落ちつけって、最初から話してくれ」


 ソウタ率いるエスカレーター組が宿に押し寄せ無理矢理の酒を呑まされた、目が覚めたら檻の中、ふざけんな。


 駆けてくる足音、ユヅルは体を向けた。

 指さす黒服に、帯剣の衛士ども。


「あいつです。あいつが俺の商品を強奪した。てめーは縛り首だ!」


 帯剣の一人が前に出る。


「神父さまが強盗とは……申し開きはありますか」

「人身売買は犯罪だよ」

「それは商品だ。人ではない!」


 人でなし、けだもの、恥を知れ——女子の超音波が沸き起こる。


「ええぃ、うるさい。やれーっ!」


 耳障りの抜剣に、野次馬の歓声があがる。

 腰だめの剣で衛士どもが石畳を蹴った。

 爆裂魔法の短詠唱を繰り出すユヅルに、剣先は届かない。

 銀のしやを浴びて、衛士どもは短く踊り狂う。

 隊長は舌打ちをこぼした。


「使い手を呼んでこい!」


 転瞬、ステラは隊長の鼻先に迫った。

 大杖おおじようの一閃で、隊長が吹き飛ぶ。

 目深の黒衣をはらいのけ、振り向いた。

 黒髪をなびかせ、ユヅルへ迫る。


「あなたの流儀の通り、殺してないの。褒め言葉が欲しいのだけれど」

「ああ、でもそうはいかないみたいだ」


 ユヅルは虚無きよむ魔法を唱え始めた。

 靴裏から石畳の震え、巨体の群れが駆けてくる。

 野次馬は逃げ出した。

 人影がにじむ距離で、騎乗の白服の群れが止まる。


 耳に届く合唱が途絶えると同時に、ユヅルは虚無きよむを完成させた。

 青白い光に包まれた両手を突き出す。


 撃った。


 ほとばしる無明のしやが、露店を呑み込み迫る炎の大蛇を千千ちぢに切り裂く。

 うねる虚空が稲光の絨毯を絶速で抜けて——静寂。


 ユヅル一行は、酒場に入った。

 どんちゃん騒ぎの一角で、赤ら顔が持ち上がる。


「お、ユヅルだ」

「レベル199の俺さまが殺してやる」


 ユヅルは銀のしやを繰り出した。

 エスカレーター組どもは、武器を手にしたまま椅子から崩れ落ちて。

 一歩、また一歩、ユヅルはうめく一角へ。

 撃ち続けた、ぴくりとも動かなくなるまで。

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