第20話 商談中

 深い森のざわめきを破る爆裂魔法の轟音がとどろいた。

 土煙が引いて、ユヅルは一面の赤土に向かう。

 右手を見ると、連なる倒木の道。


「やっとつながった」

「ごくろうなのじゃ」


 短く祈り、ウィオラは鳥竜を呼び寄せた。


 ゆるりと弧を描く道の倒木に群がる男どもが手を振る。

 鳥竜は魔族の村の小さな広場へ舞い降りた。


 村長の白髯はくぜんの男を筆頭の出迎えに、ユヅルは飛び降りる。

 短く挨拶を交わし、切り出した。


「道を開いたから、取引のとおり、館のそばに三つの納屋を建ててよ」

「はい、もちろんですとも。しかし、わずか四日で開通とは驚きました」

「ーん。では、よろしく」


 蛮人が攻めてくる、逃げろー、悲鳴が村の奥から駆けてくる。


 ユヅルは、肩掛けの麻袋から小瓶を取り出した。魔力回復の琥珀こはく水を口に含むと、甘さに舌がもげる。

 飲み干して、森かげの村を見据える。ちょっぴり強引な領地譲渡の契約が成立してから一週間を待たず、強欲領主は兵を差し向けてきたか。もう一度気絶させて力をわからせたいが、遊んでいる時間はない。


「皆のもの、慌てるでない。わが半身の背に隠れるがよいぞ。蛮人の群なぞ、一掃じゃ!」


 一段高い鳥竜の背からウィオラの銀鈴ぎんれいの声が、村の混乱を沈めつつ。

 ユヅルは虚無きよむ魔法の詠唱を始めた。


 静けさを破る鎧の音が駆けてくる。


 撃て——ウィオラのきんとした声に、ユヅルは詠唱を切り上げた。


 かすむユヅルの指先からほとばしる無明のしやが、絶速で迫る氷杭の群を粉砕。


 音もなく虚空のうねりが村の奥へ走り抜ける。


 白の手に引き上げられて、ユヅルはウィオラの腰に手を回す。

 砂塵をまき散らし、二人を乗せた鳥竜は舞い上がった。

 黒い森をかすめ滑るように、峡谷へ向かう。


 たぎる血赤の瞳は千里眼が、地の裂け目をとらえた。


「さっきのは斥候せつこうじゃな。吊り橋の向こうにウジャウジャおるぞ」


 呪文を唱えながら、ユヅルはほくそ笑む。こちらから橋をかける手間が省けた。冬ごもりに備えて、買い出すものが山ほどある。


 向こう岸を埋め尽くす人影がはっきりと見えて、鳥竜は旋回。


 ユヅルは練り上げた虚無きよむ魔法を撃った。


 対岸からほとばしる幾条もの火線が霧散し、ゆがむ虚空が人影を押し潰す。


 生き残った悲鳴が駆け出した。

 ウィオラの小さな唇がゆがむ。


「くっくっく。逃さぬぞ」

「追わなくていい」

「なぜじゃ」

「奴らには恐怖を伝えてもらう」

「ーむ、そなたはやさしいの」


 ゆるりと旋回する鳥竜を、岩陰から見送る切れ長の目。

 黒衣の暗殺者は唇をなめた。



 街の大通りの悲鳴を奏でて、二人を乗せた鳥竜は商会の敷地へ降りた。

 馬が暴れて荷車がきしむ。


「なにごとだ!」


 建物から怒声が駆けてくる。

 血相を変えた出迎えに、ユヅルは飛び降りた。

 先頭の太りじしの目がいっそう細まる。


「これは最強の神父さま、ずいぶんと派手な登場で」


 商会を引き継いだ男へ、祭服のポケットから取り出した小切手を差し出す。


「食料、調味料、酒、それから——」


 冬ごもりの食料の予約、納屋を建てるに必要な資材と道具を注文する。

 鳥竜から降りたウィオラは、ユヅルの袖を引いた。


「おいしい卵を産む雌鶏を忘れるでないぞ」

「ああ、数羽ほど頼む。それから——」


 背中に硬い感触、ユヅルは固まった。


「ねぇ、あなたは一回死んだのだけれど」


 忘れもしない暗殺者の冷たい声が、首筋にまとわりついて。

 振り向いたウィオラは、大きな杖をつかんだ。


「また、おまえか。しつこいの」

「あら、あなたもついでに死んだのだけれど」


 面白がるような弾む声に、ユヅルは体ごと向き直った。


「商談中だから、後にしてよ」


 いきなり鼻先まで迫られて、息をのむ。

 目深の黒衣が払われてあらわの、黒髪に切れ長の目の甘やかな吐息。


「わたしもあなたと商談をしたいのだけれど、よろしいかしら」

「……はい」

食客しよくきやくとして、わたしをもてなして欲しいのだけれど」

食客しよくきやく? なにそれ?」


 杖を手放し、ウィオラは鼻を鳴らした。


「ただ飯食らいの居候じゃ」

「仕事は隙だらけのあなたの護衛、でよろしいかしら」

「ーん、前の雇い主との契約は?」

「アレはもう落ち目だから、こちらから破棄なのだけれど。それに比べて、さっきの無慈悲な攻撃魔法、久しぶりにゾクゾクしたわ」

「音もなく背後を取られる方が、ゾクゾクするんですけど」

「あら、喜んでもらえてうれしい」

「わが半身から離れろ、ぶっ殺すぞ」


 小さな牙で威嚇いかくする少女に、女は目をとめた。


「その小さな女の子は、あなたの妹かしら?」


 ウィオラはユヅルの腕に巻きついた。


「くっくっく。ユヅルはわらわのものじゃ、わらわはユヅルのものじゃ。わかったか!」

「契約が無理なら、あなたの家族にわたしを加えてくださらない?」

「いきなり現れて契約とか家族とか、ありえない」

「ふふふ、それもそうね。お土産を手に出直すとしましょう」


 目深に黒衣をかぶりなおした女は、靴音なく敷地を出て行った。


「辛気くさい面を二度と見せるでないぞ」


 ウィオラは小さな舌を突き出す。

 あなたは間違いなく命を狙われる存在になるのだけれど——女の最後のささやきがユヅルの耳朶じだの中で回る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る