第19話 燃える石

 ユヅル一行は、朝靄あさもやの温泉郷から、ゆるやかな山道を登り、ひらけた野原で足を止めた。

 ウィオラとアニュレは胸元で両手を組み祈り始める。


 咲き残った花びらを散らし舞い降りた二頭の鳥竜は、黒い翼をひろげてギャーギャーとわめき始めた。

 ご機嫌取るため、ユヅルは魚の干物をくちばしへ放り続ける。言葉はわからなくとも、王城から丸三日の飛行で休みがたったの一日ふざけんな。気持ちはわかるが、イカれた暗殺者から逃れるにはしかたない。


 ようやく落ち着いて、ウィオラとアニュレは鳥竜にそれぞれまたがった。

 ユヅルもまたがり、ウィオラの腰に両手を回す。

 小さな姫の紫瞳しとうは血赤に染まり、鳥竜は青空へ舞い上がった。


 かすむ峡谷を越えて、鳥竜はひろがる黒い森の上空を滑っていく。

 青空を切り取ってそびえる銀嶺が、ゆっくりと迫る。

 きらめきは湖に変わり、集落の人影が走り出して。


 湖のほとりに鳥竜は舞い降りた。

 槍を手に、短衣の男どもが駆けてくる。

 ウィオラが目深の黒衣を払うと、どよめきは歓声に。


「姫さま!」

「アニュレさま!」


 ユヅルも、鳥竜から降りた。



 すがりつくように泣いているジジババ、くるくる踊る若者たちが、冷めた黒瞳こくとうに映る。

 主のそばで、アニュレの背中が雄弁に語り続けて、


「——ついに、殿下の呪いが解かれたのです。英雄ユヅルさまの口づけで」


 振り向いたウィオラとアニュレの誇らしげな笑みに、凍りついた衆目。

 沈黙が流れた。

 ウィオラは、ユヅルの下に小走り。腕に巻きついて叫ぶ。


「ユヅルは蛮人ではないぞ!」


 白髯はくぜんの男が一歩前に出た。


「姫さま、蛮人はいけません。われらの身の破滅をお忘れですか?」

「ちがうぞ、父さまが馬鹿だったのじゃ。燃える石に夢見て、全てを失った。それだけじゃ」

「蛮人は狡猾こうかつです。実入りの少ないこの村さえ食い物にするでしょう」


 アニュレは、足下の金貨が詰まった麻袋を抱えた。

 きらめく音に、幾条もの鋭い視線が突き刺さる。


「そんなことはありませんの。ユヅルさまは優しく聡明ですわ」


 白髯はくぜんの男は、首を横に振る。


「姫さまアニュレさまがおっしゃられても、その御仁を迎え入れることはかないません。これは、われらの総意です」


 短衣の男どもが、槍を構える。

 ユヅルは肩をすくめた。


「邪魔してごめん。すぐ消えるよ」


 ユヅルさま、殿下、待ってくださいまし——足を掛けられ、アニュレは転んだ。

 眼前にかすむ槍先。


「全部とは言わない、それを分けてくれ。姫さまの十年と同じくらい、俺たちも苦しんだ」


 振り向いたユヅルの目に飛び込む、地赤に染まりつつある鋭い翠眼すいがん


「アニュレ、やめろ!」

「ユヅルさまと殿下とわたくしのお金です。誰にも渡しませんの」


 ユヅルは、亀のように丸まったアニュレの下へ駆け寄った。

 両膝をついて、彼女を起こす。


「お金は失っても稼げばいい。けど、腕や目を失ったらそれきりだぞ」

「お金は大事ですの」

「命より大事なのか?」

「はい、もちろんですの」


 ユヅルはアニュレをゆるく抱きしめた。


「お金で理性を失うアニュレでも、何かあったら悲しいよ」

「ユヅルさま……」


 ついと差し出された唇に、ユヅルは立てた人差し指を当てる。

 指しゃぶりにかまわず、アニュレが抱き抱える麻袋に手を突っ込み一握り。


「なぁ、これでいいか」


 槍を突きつける男は、鼻先でわらう。


「羊、鶏、薬、とにかくもっとだ」


 ユヅルは金貨の小山を築いた。

 殺到する手から逃れて、ウィオラの下へ。


 寂しい見送りが両手を振る。

 三人を乗せた二頭の鳥竜は、青空へ舞い戻った。



 銀嶺のふもとへと、二頭の鳥竜は黒い翼をひろげ滑空する。

 ウィオラの愚痴が止まらない。


「——あいつらは、蛮人と同じアホじゃ、大アホじゃ」


 ユヅルは、小さな姫をぎゅっと抱きしめた。


「ところで、どこへ向かってるの」

「ーむ、わらわの別荘じゃ。夏の間だけ滞在したおぼえがあるぞ、小さな湖に牧場もあったはず」

「なるほど、冬になったら暖かい地へと」

「……」

「このあたりは冬になるとすごいの?」

「そうじゃ、が……そなたがわらわを温めるであろ」

「あー、寒いのか。寒いのは苦手だ」


 黒い森をかすめて、鳥竜は一面の下草へ舞い降りた。

 荒れ放題の庭に、三人は並び立つ。

 三角屋根の館は緑にのまれていた。


「十二年ぶりですの」

「お化けが出そうだな」


 アニュレは、ユヅルに抱きついた。


「ユヅルさま、怖いですぅ」

「そこな色ボケよりお昼じゃ。大きな雄鹿がおるぞ」


 ウィオラはユヅルの右手を持ち上げた。

 ユヅルはその先を見るも、鬱蒼うつそうと茂った木立の静けさだけ。


「そなたの魔弾で、撃ち抜いてたも」


 ユヅルは爆裂魔法の短詠唱を放った。

 荷を下ろし、アニュレは駆け出す。



 小さな爆裂魔法で庭の雑草を一掃し、三人は丸太に腰掛けて湯気の立つ鍋をみつめる。

 後ろでギャーギャーとわめく二頭の鳥竜の前に、アニュレは火を通した臓物の桶を置いた。


「このままでは、あやつらは野生を忘れて犬になってしまうぞ」

「それは困りますの。餌の準備だけで、日が暮れてしまいますわ」


 脂の匂いがひろがり頃合いとみて、アニュレは鹿汁を椀によそって配る。



 ユヅルは残った骨を次々と鳥竜に放った。

 こびりついた肉をついばむくちばしに背を向け、吐息をつく。


「君ら、食い過ぎでしょ」


 雄鹿一頭を食べきったアニュレにウィオラは振り向くも、まぶたは落ち始めて。


「おなかいっぱいで動けないのじゃ。抱っこしてたも」

「見ればわかるよ。館へ入ろう」


 玄関そばの大岩を転がして、アニュレは布を掘り起こした。

 桶の水で手と鍵を洗う。

 ギィーと音を立てて、赤錆の扉が開くとカビの臭いがあふれた。


 一階は暖炉付きの大広間、窓辺に寄せられた長机と椅子は晩餐ばんさん用か。

 廊下を挟んで厨房と浴室兼トイレ、二階へと狭いらせん階段を上る。

 小さな客室が四部屋、寝台の毛布にうっすらとホコリが積もり。

 最上階の三階の部屋は、大窓から差し込む陽光がまぶしい。

 暖炉付きのぶち抜いた主室、毛足の長い絨毯に靴が沈む。

 円卓に椅子と寝椅子、最奥に天蓋てんがいつきの寝台があった。

 おおーっ、ユヅルは感嘆をもらして。


「くっくっく。ここが、わらわとそなたの愛の巣じゃ」

「殿下、わたくしも混ぜてくださいまし」

「色ボケは一階広間で転がるがよいぞ」

「まずは掃除だな」

「ーむ、わらわはそなたを抱き枕に一眠りするぞ」

「アニュレ、手伝うよ」

「はい、ユヅルさま」


 まて、どこへいくのじゃ——わがまま姫を残し、二人はらせん階段を下りる。


 貴種なるわらわの仕事ではない——背中の愚痴を聞き流し、ユヅルは寄せ木の床を雑巾掛けする。

 カビ臭さは残るものの、ホコリは消えて館は生き返った。


 広間に長机と椅子を並べ、干し果物を茶菓子に一休み。

 口にひろがるねっとりした甘さに、ユヅルの頭が回り出す。


「ウィオラ、燃える石ってなんだ?」

「燃やすと異臭がして頭が痛くなるのじゃ。臭いを取るため怪しげな錬金術師にむしり取られた父さまは、アホとしか言いようがない」

「それを燃やしてみたいんだけど」

「駄目じゃ、父さまと同じ破滅の道をいくでない」

「一回だけ、試してみたいんだ」


 ウィオラとアニュレは顔を見合わせた。


「頼む、一回だけ」


 ユヅルの懇願に、ウィオラは渋々うなずいた。



 庭に出て、ユヅルは土鍋を火にかける。中身は土と燃える石こと黒の石、蒸し焼きにして不純物を飛ばすのである。

 火番をアニュレに頼み、鳥竜にまたがった。

 ウィオラの紫瞳しとうは血赤に染まり、鳥竜は夕空へ駆けのぼる。



 眼下の夕日に沈んだ露天掘り、旋回する鳥竜の背でユヅルは声をあげた。


「すごいな。鉱床の深さはどれくらい?」

「ーむ、しばし待つのじゃ」


 たぎる血赤の瞳は千里眼が、円錐の底をみつめる。

 鳥竜は、ゆるりと一周した。


「地下迷宮の縦穴で例えるなら、三十層くらいまでかの。それ以上は、わからん」

「おおー、素晴らしい」

「そなた、何を考えておる」


 ユヅルは、小さな姫をぎゅっと抱きしめた。



 夕闇を切り裂いて、二人を乗せる鳥竜は館の庭へ戻った。


 夕食にお風呂をすませ、ゆったりした寝間着の三人は主室でくつろいで。

 暖炉に火を入れようとしたアニュレを制して、ユヅルはらせん階段をおりる。

 篝火かがりびが照らす庭、土鍋を指腹で触るとすっかり冷えて。


 土鍋を手に、ユヅルは主室に戻った。

 蓋を開けて、土に埋もれる黒い石を箸で暖炉にべる。

 小さな悲鳴に振り向いて、虚空を両手で押さえつけた。


「大丈夫、臭いはしないから」


 静かに燃える石が、ひろい部屋を暖めていく。

 寝椅子でくつろぐユヅルは、笑みを浮かべた。莫大な石炭は金稼ぎの柱だ、級友たちを呼び寄せ、のんびり楽しく。

 アニュレは隣に腰掛け、しなだれる。

 寝台で毛布をかぶっていたウィオラも、隣に腰掛けた。


「なんで異臭がないのじゃ」

「ふふん、不純物を取り除いたからさ」

「不純物? よくわからんが、その黒い石から臭いを取るのに木片で燃やすのは本末転倒、暖めるなら木を燃やして十分であろ」


 ユヅルは立てた指を振った。

 円卓の土鍋に箸を突っ込み、固まった土を持ち上げる。


「それがどうしたのじゃ」

「黒い石には、土を固める成分がある」


 ウィオラは、目を見開いた。


「砂を固めて城を築いたり!」

「ーん、正解。頭の回転が相変わらず速い、素晴らしい」

「くっくっく。もっと褒めるがよいぞ」

「他には、物を爆発させる成分もある」

「くっくっく。調子づいてる蛮人どもを、ぶっ殺すのじゃな」

「なんでそうなるの、そんなことはしないから! 威力を自在に操り穴を掘るの」

「穴を掘ってどうするのじゃ」

「ユヅルさま、わたくしを褒めてくださいまし。地面をえぐって水瓶を作るのでしょう。そこから田畑へ水を引いて、安定した収穫を、それは安定した生活を、それは悠久の平和を!」

「おおー、素晴らしい」


 ユヅルはアニュレに抱きついた。

 鋭い翠眼すいがんはとろけて。


「ああ、いけませんのー」


 負けじと、ウィオラもユヅルに抱きついた。

 ひとしきりじゃれあい、立ち上がる。

 腰に手をあて、黒瞳こくとうをのぞき込む。


「そなたは燃える石の扱い方を知っておったな。おそらく蛮人も知らぬ知識をどうやって得たのじゃ」


 真実を告げる時——真剣なタレ目に微笑みを返し、ユヅルは寝台を指さした。


「アニュレが干してくれたお日さまの寝床で話そう——」

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