第18話 暗殺者

 軽やかな脚運びで、少女とユヅルを乗せた馬は大通りから商会の敷地へ入った。

 手綱を引いて飛び降り、少女は父の胸に飛び込む。

 ユヅルも馬を降りた。

 ウィオラとアニュレが駆けてくる。


「心配したぞ、遅かったではないか」

「ユヅルさま、ご無事で何よりです」


 仕事の依頼主が、少女の手を引いてやってくる。


「ユヅルさま、ありがとうございます」


 父娘は深く頭を下げた。

 ユヅルは微笑む。強欲領主はとんでもないロリコンで、人間をやめていた。手加減するんじゃなかった、小さな後悔が胸に渦巻く。


「跳ね橋を落としたから、追っ手はしばらくこないと思う」

「おお、なんと手際のいい! 感服いたしました」

「さっそくだけど、報酬を頂きます」


 石造りの建物の一室、商人は机に金貨の山を築いた。


「ーん、いくら怪力のアニュレでも全部は無理か」

「そんなことはありませんの、これくらい背負ってみせますわ」

「買い物もあるし……残り半分を小切手にしてよ」

「はい、そのように」


 使用人ら大勢の見送りの門前で別れ告げ、きびすを返したユヅルに小さな衝撃。

 振り向くと、微笑みの顔を持ち上げる少女。


「お兄ちゃん、わたしを監獄から連れ出してくれてありがとう」


 ユヅルは、片膝をついた。

 ゆるく抱擁を交わし、


「元気でね、お嬢さま」

「お兄ちゃん、また会えるよね?」


 短くうなずいて立ち上がると、ふくれっ面のウィオラとジト目のアニュレに迫られて。


「な、なんだよ」


 じー、とただみつめてくるだけで唇は引き結んだまま。

 こんな小さな娘にまで嫉妬なのかと呆れつつ、二人の手を取った。


「じゃ、みなさん、また会う日まで、ごきげんよう」


 ユヅル一行は、熱々の串肉やしっとり甘いパイを食べ歩きしながら市場を回る。

 夕日色に街は染まり、アニュレが背負う麻袋はパンパンに膨らんで。

 貸し切りの馬車で、温泉郷へ戻った。



 その夜のおそく、ユヅルは男湯を独り占めし、天を見上げる。

 黒い林に円く切り取られた星辰せいしんのきらめきがあった。


「極楽だなー」


 体の芯が温まるより前に、湯煙になびく赤目が駆けてくる。

 月明かりを浴びて純白の雪肌せつきがあらわに。

 アニュレはしっかりと金貨の詰まった麻袋を抱えているけれど。

 一糸まとわぬ少女たちは、飛沫しぶきを立てた。

 ウィオラはひしと抱きついて、


「助けてたも!」

「強欲領主の追っ手ですの!」


 ユヅルは青ざめた。理系脳の直感が、電解質に満ちた水辺まして詠唱者がズブ濡れは危険と告げる。


「どうしたのじゃ、いつものように一撃で蹴散らしてたも」

「ユヅルさま、真っ白の一発をわたくしの中に」

「二人とも、裏の林に隠れろ」


 麻袋を手放し、アニュレは主を抱き抱えた。

 鋭い翠眼すいがんを血赤に染め、豹のような身軽さで木を伝い登る。

 麻袋に手を突っ込み、ユヅルは金貨を一握り。

 濡れそぼった全裸で石畳に仁王立ち、虚空を見据えて虚無魔法を口ずさむ。


 撃て——ウィオラのきんとした声に、ユヅルは小さく飛んで詠唱を切り上げた。


 無明のしやが、絶速で迫る氷杭の群を破砕し、闇をねじ曲げる。


 紫電が走った濡れ色の石畳に着地、ユヅルは戦慄せんりつした。やばい、やばい、やばい、飛んでなかったら死んでいた。この状況は危険すぎる。


 葉擦はずれのざわめきに負けじと、ユヅルは声を上げた。


「おーい、取引しよう」


 こたえのない闇に、かまわず続ける。


「なぁ、僕は殺したくない。それに、君らは命をかけるほど報酬をもらっているのか? あの強欲領主が、手柄に金一封を差し出すのか? とても、そうは思えない。こんなことは、報酬と釣り合っていない。僕が今日の報酬を君らに払う。適当に結果を報告して、街で一杯ひっかけた方が楽しいぞ。わずかな報酬で、自分の人生を売り渡してはいけない。そう、思わないか?」


 横たわる沈黙は、予想とは違う澄んだ声に破られて。


「いくら、出してくれるのかしら」

「金貨二十枚ほど」

「そうね、今夜は買われてあげましょう」


 湯煙の紗幕しやまくから、黒衣の女が現れた。

 瞬く間もなくユヅルに迫り、大きな杖でそれをついて、


「可愛い顔して、ずいぶんと立派なのね」


 くすくす、氷刃のような鋭い眼が笑っていない——ユヅルは凍りついた。


「あらら、ちっちゃくなっちゃった——奥が熱くうずく夜なのに、とても残念」


 黒衣の女は、ユヅルの手から金貨をもぎ取り、


「また会える日を楽しみにしているわ」


 闇に溶けて消えた彼女、ユヅルはへたり込む。暗殺者——恐怖が心に刻まれた。


 三人は、湯に浸かりなおした。

 少女たちは、ぴたりとユヅルを挟む。


「ウィオラの千里眼をすり抜けるとか」

「そうじゃ、信じられん」

「ユヅルさま、熱くて大きくて硬いものを」

「ちょっと、アニュレ。しごかないで」

「そこな、発情するでない」

「明朝、峡谷の向こうへ渡ろう」

「そうじゃの、あんなのに狙われては、命がいくつあっても足りない」


 アニュレは立ち上がった。もじもじと脚をくねらせ。


「そんなに見つめないでくださいまし。恥ずかしいですわ」


 ユヅルの瞳に、全てが焼きついた。

 立ち上がり、ウィオラは腰に手をあてる。


「どうじゃ、わらわの全てを見た感想は?」


 ユヅルの瞳に、全てが焼きついて。


「ハイ、どっから見ても女の子です」

「ユヅルさま、わたくしは?」

「ハイ、どっから見ても肉です」

「くっくっく。わらわの勝ちじゃな」


 そんなことはありませんの——アニュレに抱きつかれ、ユヅルの顔はだらしなく崩れた。


 あっ、あーっ

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