銀灰の楽土

再会

第17話 刹那の言い訳

 ゆるやかな目覚め、ユヅルは浴衣ゆかたのウィオラをのけて体を起こした。

 そばのアニュレは、毛布に埋もれたまま。

 温泉郷の朝はのどかだ。陽光と鳥のさえずりが、窓から差し込む。


 寝台に腰掛け、円卓にひろがるい合わされた羊皮紙を手にとった。


 現在地の温泉郷に目を止める。

 そこから北へ、大地を裂く峡谷の向こうの山々が、ウィオラやアニュレの故郷らしい。つまり、この地は魔族の庭というわけで。


 寝ぼけ眼をこすり、ウィオラはユヅルの背に抱きついた。肩越しにのぞき込む。


「おはよう」

「この森に住むのはどうかな」

「そこな、湖のほとりに蛮人の村があったはずじゃ」


 情報が足りないし、おなかも空いて——ぽっかり開いた口から牙がのぞくアニュレを起こしにかかる。


 スープにパンとチーズでお腹は膨れ、ユヅルは皿を下げる小太りの主に声をかけた。

 目当ての森の話を振る。


 十年ほど前、湖のほとりの村が赤目に囲まれた。

 住人は残らず逃げて、吊り橋が落ちた今では誰も近寄れない。


 銀貨を添えて、ユヅルは短く感謝した。


「もうひとつ、この地を治める領主の話を聞かせてよ」


 人懐こい主の笑みが、ゆがむ。



 荷馬車に揺られ、ユヅル一行は石壁に囲まれた街へ入った。

 大通りから、街の経済を一手に引き受けるという商会の敷地で降りる。

 樽や木箱を積み降ろす人夫をすり抜けて、石造りの建物から伸びる列に加わった。


 灰色に身を包む男は、机の書類から顔を持ち上げた。

 黒の祭服に黒の長衣の修道女が二人、ひとりは麻袋を抱きしめている。


「神父さま、どのようなご用件で」


 立ったまま、ユヅルは机に地図をひろげる。

 この峡谷から向こうの所有者はいるか。是非とも買い取りたい。

 ミヒエルの花押がしるされた身元保証の手紙を差し出す。


「たぐいまれなる魔法使い……どのような来歴で?」

「地下迷宮の冒険者です。たぶん、レベル256くらいの」


 商人は、鼻先でわらう。


「この推薦状は本物と認めますが、お引き取りください」

「くっくっく。わが半身は、地下迷宮の魔杖まじようを回収したのじゃぞ」

「ご冗談を」


 アニュレが抱える麻袋に手を突っ込み、ウィオラは机の上に金貨を積む。


「どうじゃ、ぬしらの腕自慢と勝負しようではないか。勝てたら、そっくりもってゆくがよい」


 灰色の男の目が、うすく光る。


「とても興味深い話ですね……では、あちらでお待ちを」


 暗い窓が見下ろす裏通りの一戦は、瞬きより速く決着がついた。

 三語の詠唱の銀のしやを浴びた剣士は、ぴくぴくと横たわったまま。

 ユヅルは、唖然とする灰色の男に向き直り、


「まだ足りないなら、街でも城でも消すけど」

「と、と、とんでもありません、神父さま。ご案内させていただきます。しばし、お待ちくださいませ」



 灰色の商人を先頭に、ユヅル一行はしんと沈む廊下を行く。

 番兵が大きな扉を開き、陽光があふれた。

 絨毯を挟み、列と並ぶ帯剣の黒服は十人もいない。


 商人はお辞儀と追従を繰り出し、本題に入った。

 一段高い玉座に腰掛ける金刺繍の紫服の領主は、片肘をついたまま耳を傾ける。


「土地は売らん。その代わり男爵の称号を金貨千枚で売ってやる。さっさと金を置いて出て行け」

「……」

「言葉がわからないのか、そこの平民」


 ユヅルは、小さく首を横に振る。異世界の王さまは、どいつもこいつも傲慢としか言いようがない。


「男爵の称号とか何の役にも立たない。土地を売ってよ」

「無学の平民、教えてやろう。せたこの地は辺境と呼ばれるが、兵までせているわけではない。蛮族の進入を防ぐ砦なのだ。だから売らない、わかったか?」

「それぐらいは知ってるよ。中学の歴史で習ったし」

「平民、言葉に気をつけることだ。さもないと首が飛ぶぞ」


 揃いの抜剣に、ウィオラはユヅルの腰に抱きついた。

 麻袋を抱えるアニュレは、主の背を固める。

 ユヅルの口の端が吊り上がり、


「領主さま、今なら金貨百枚で土地を買ってあげるけど」

「愚かな平民、冗談は顔だけにしておけ」


 紫服の領主は、もてあそぶ杖で床を突いた。

 剣を腰だめに、黒服の男どもが床を蹴る。

 ユヅルは、爆裂魔法の短詠唱を放つ。

 銀のしやに包まれて剣は弾け飛び、黒服どもは短く踊り狂った。

 玉座の周りに火球が泡立ち、紫服の王は杖を振る。


 幾条もの光芒こうぼうが走るも、短詠唱を繰り出すユヅルには届かない。


 火の粉が淡く溶けて、紫服の領主は声を失った。

 玉座へ、ユヅルは一歩を踏み出す。


「土地を売ってよ」

「馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な、ありえない、ありえない、ありえない——」


 数瞬、驕慢きようまん領主の絶叫が消えて——ユヅルの胸にちくりと痛みが走る。


 異世界の頭がおかしい人に対抗するには、自分も狂うしかないようです、父さん、母さん、不肖ふしようの息子をお許しください。


 突きだした指先から、光がほとばしる。


 紫電のしやが玉座を包み、紫服の領主は白目で天井を仰いだまま。


 尻もちの商人へ、ユヅルは淡い光を宿す手を向ける。


「金貨百枚で土地と徴税権を譲渡する契約書を、ここで作成してよ」

「はい、やります、今すぐやります」


 重い麻袋を左手で抱えたまま、アニュレは剣を拾い上げた。

 しずしずと、商人の下へ歩む。

 かすむ剣先を、商人の顔に突きつけて、


「金貨ゼロ枚ですの」

「は、はい、そのように」

「それだと、僕は強盗になってしまう」


 アニュレは、小首を傾げた。


「犯罪者になったら、街を歩けなくなる」

「はっ、いけません。では、金貨一枚ですの」

「たったの金貨一枚じゃ、強盗と変わらないんだけど」

「神父さま、当商会に残額を補填ほてんさせてください。その代わり、ひとつだけ仕事をお願いいたします」


 冷めた黒瞳こくとうが、両手を編んで祈る商人を見下ろす。


「ユヅルさま、お金は大事ですの」

「そうじゃ、そこだけは、腹立たしい胸だけのアニュレに同意するぞ」

「殿下、それはあんまりですの」

「神父さまなら、鼻歌で終わる仕事です」

「殺しはしないけど」


 灰色の商人の泣き出しそうな顔が微笑む。


「では、取引成立ということで」


 用意の書面に事項を書き込み、商人は気絶の領主の手を取って拇印を押した。

 契約書を仕上げた商人は、ユヅルの前で両膝をつく。

 胸元で両手を組み、


「神父さま、お願いします。可愛い盛りの、わたしの一人娘をここから連れ出してください」

「会って間もないあなたの言葉をどうやって信じろと」


 懐から取り出した小切手を、商人は両手で差し出した。


「娘を取り戻す報酬でございます」


 ユヅルの手より速く、白の手がかすめ取り、


「わぁー、金貨千枚ですの。ユヅルさま、是非やりましょう」

「じゃ、アニュレの仕事ということで」

「そうじゃの、その金でどこへなりと行くがよい」


 ユヅルとウィオラはきびすを返した。


「見捨てないでくださいまし!」


 しっかりと麻袋を抱えながら小切手を手に、アニュレは主の腰にアウアウとすがりつく。

 床を叩く鈍い音に、ユヅルは振り向いた。

 額に血をにじませ、商人が土下座を繰り返す。


「お願いします、お願いします、お願いします——」



 柱の影から、ユヅルは城門を抜ける馬車を見届けた。


「さて、始めますか」


 庭園を臨む柱廊を行く。

 尖塔の入り口を固める番兵に、黒の禁書を見せた。

 商人の話の通り、教師と勘違いされ、あっさりと中へ。

 らせん階段を上り、最上階の部屋へ入る。


「だれ?」


 窓辺の少女へ、ユヅルは歩み寄った。


「君のお父さんに頼まれてきた」


 おびえの色がにじむ天青の瞳に微笑みを返し、商人から手渡された妻の形見の、赤の貴石が連なる首飾りを少女の首にかける。


「いこうか」



 また一人、ユヅルが繰り出す銀のしやを浴びて衛兵が倒れる。

 小走り、ユヅルは少女の手を引いて厩舎きゆうしやに飛び込んだ。

 ユヅルの両手を包む青白い光におののく馬番に、用意をさせる。

 馬にまたがり、ユヅルは爆裂魔法の呪文を口ずさむ。

 腹に手が回る感触に、手綱を握る少女は馬の腹を蹴った。

 いななきが厩舎きゆうしやを飛び出し、城門へと一直線。


 ユヅルは、切り上げた爆裂魔法を放つ。


 とまれーっ、槍を構える番兵の絶叫ごと門が吹き飛ぶ。


 粉塵の紗幕しやまくを破り、二人を乗せた馬は跳ね橋を駆け抜けた。

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