第16話 白の花びらを散らし

 二頭の鳥竜は、黒い森の峡谷を抜けた。

 夕日に染まった切り立つ岩壁と別れ、断崖に建つ白亜の城へと旋回する。

 ユヅルは、あくびを噛みしめた。地下迷宮の底で虚無きよむ魔法の連発は、さすがに眠い。

 千里眼の異能で疲れ果てたウィオラも、あくびを漏らした。


「湯につかり、泥のように眠りたいぞ」

「ーん、にぎやかな街で埋もれたい」

「蛮人の街は苦手じゃ。温泉郷でのんびり——」


 草原を抜け、横たわる監獄塔にさしかかった。

 手を振る一塊の級友らに、ユヅルは魔杖まじようを掲げる。

 歓声を追い越して、鳥竜は城壁の影に沈む中庭へ舞い降りた。



 桶に山盛りの魚を飲む鳥竜を残し、地下迷宮の底から生還した一行は、玉座へと絨毯を進む。

 列と並び剣をく白服どもの小さな感嘆と嫉視しつしを浴びながら、魔杖まじようを手にするユヅルは足を止めた。

 同行の白服が、玉座の前で片膝をつく。

 魔杖まじよう回収の報告に、老王はうなずいた。


「ユヅル殿、ごくろうであった。だが、地下迷宮でこの者への仕打ちはなんと説明する」


 舌打ちをこらえ、ユヅルは老王を見据える。


魔杖まじようの先約はウィオラなので、やむなく力を行使しただけです」

「どういうことだ?」

「こういうことじゃ」


 一歩前に出たウィオラは、黒の長衣の裾をつまみ上げる。

 のぞく生白い足に、どよめきが走った。


 ——腰から下は、巨大な蜘蛛だったよな。

 ——魔杖まじようの力で、解呪かいじゆしたのか。


 ユヅルは、老王に魔杖まじようを突きつけた。

 絡み合うつたのような、銀灰ぎんかいの杖が鈍く光る。


「取引の時間です」

「よかろう、らせんの杖をここへ」

「僕らの自由が先だ」


 老王は、手にする黒光りの杖を震わせて、


「あれを」


 白服の列を割って、黒衣の女が絨毯をしずしずと。

 うやうやしく差し出された麻袋を、ユヅルは手にした。

 口からのぞく金属板に刻まれた紋章と文字列は——。


「行商の許可証だ。どこへなりと行くがよい」


 ユヅルから受け取った杖を、黒衣の女は老王に捧げた。

 黒光りの杖を放り、老王はらせんの杖を手にする。


「おおお、魔力が滾々こんこんと流れ込む……素晴らしい、実に素晴らしいぞ」


 老王は、鈍色の杖を突きつけた。


災厄さいやくの爆裂魔法使いよ、気をつけることだ。らせんの杖が、いつでもおまえを狙っている。最強と思い上がれば身の破滅、ひっそりと山奥へ消えることだ」


 ウィオラの小さな唇がゆがむ。


「くっくっく、相変わらず、おつむが足りないの。蛮人の王は」

「なに⁉」

「地下迷宮の底で膝が笑っていたそこの白服よ、おかしいとは思わなんだか」

「何が?」

「坑道を埋め尽くす魔物のしかばねが——もが、もががっ」


 飛びついて、アニュレは主の口をふさいだ。挑発に乗る幼さを嘆きつつ。

 ありがと——ウィオラを羽交い締めの背に、ユヅルは小声をかけた。虚無きよむ魔法は秘密だぞ、と約束したのに……小さな姫は妙に頭が回ると思えば抜けてるし、染みついた王女の気質なのか。


 ユヅルは、微笑の顔を持ち上げた。

 老王の濁った目を、ぴたりと見据えて、


「冷酷非情の王さま、二度と会うことはないでしょう」


 きびすを返し、決別の一歩を踏み出した。



 ミヒエル殿下と連れ立ち、ユヅル一行は暗く沈む長廊を行く。

 ちらとユヅルの腕に絡む黒髪の少女をみやり、ミヒエルは口を開いた。


「ずいぶんと仲がよろしいのですね」

「くっくっく。将来を誓った仲なのじゃ」

「お似合いですよ。結婚式には招待してくださいね」


 ぐいぐいと腕に巻きつくウィオラに取り合わず、ユヅルは口を開いた。


「ところで、温泉のお勧めはあります?」

「そうですね——」


 玄関広間を抜けて、中庭へ。


「これでお別れは名残惜しいですが、約束の報酬です」


 ミヒエルの影に控える侍女から、ユヅルはずしりと重い麻袋を受け取った。

 報酬の金貨が詰まったそれをアニュレに手渡すと、鋭い翠眼すいがんがとろけて。ああ、これは駄目だ、危険、一発退場のレッドカード、彼女に財布を預けてはいけない。


 歓声が駆け迫り、級友たちに囲まれた。だが、ソウタが率いるエスカレーター組の姿はない。

 麻袋から行商の許可証を配る。


「ユヅル、ありがとうな」

「これからどうしよう。ねぇ、わたしたちと一緒に行こうよ」


 メガネ地味子が、ユヅルに迫り、


「ユヅルくん、みんなを自由にしてくれてありがと」


 伸びてきた白い手を、幼い手が振り払う。


「そこな野良猫、わが半身に触れるでない」


 メガネの奥、地味子の瞳がきゅっとすぼまった。


「なに、この子」

「ユヅルは、わらわのものじゃ」


 ユヅルの胸に埋もれ、ほおずりの少女に、メガネ地味子の額が陰る。


「ユヅルくん、小さい子が……そういう趣味なんだ」

「あ、いや。そういうわけでは」

「なんじゃと! わらわがこんなに好いておるというのに」

「ウィオラ、怒った顔も可愛いよ」

「くっくっく。わが半身は、わらわの永遠の美貌に夢中じゃぞ。下がれ、野良猫」


 メガネ地味子は、愁眉しゆうびの顔を持ち上げた。


「ユヅルくん、自由になったのはいいけど、無一文でどうしよう」


 全員の目が、アニュレの抱きしめる麻袋に釘付けとなり。


「ユヅルさま、身の危険を感じます。急ぎましょう」

「ねぇ、ユヅルくん。それ、お金だよね。少し分けてよ」

「俺たちを自由にした責任が君にあるぞ」

「そうだ、そうだー」


 ニヤニヤ笑いのミヒエルに、ユヅルは目を向ける。確かに、責任はあるかもしれない。級友たちが暗黒面に落ちるのは見たくない。


「この人数が街で半年過ごすなら、どれくらい?」

「そうですね。金貨百枚で十分でしょう」

「アニュレ、それを」

「これは、わたくしのものです」

「はぁ? それは僕らのお金だぞ」

「ユヅルさま、これはわたくしへのご褒美ではないのですか?」


 真顔のアニュレに、ユヅルは吐息をついた。やはり彼女はポンコツ、と思い知らされ。


「アニュレ、怒るよ」


 あーうーと身悶えるアニュレにかまわず、麻袋の口を開ける。

 金貨を分け与え、ミヒエルと握手を交わした。


「ユヅル殿、息災そくさいで」


 鳥竜にまたがるウィオラの手に引き上げられ、腰に手を回す。


「俺らのこと忘れるなよ」

「ユヅルくん、はやく迎えにきてね」


 級友らの惜別に、手を振って応える。

 ウィオラの紫瞳しとうが血赤に染まり、黒の鳥竜は翼をひろげた。

 舞い上がる風に混じり、ユヅルは弾んだ声を聞く。


「いつの日か、また会いましょう、虚無きよむ魔法使いのユヅル殿」



 二頭の鳥竜は、温泉郷へと夜空を滑っていく。

 青い月光が降り注ぎ、玉ときらめく花の海に舞い降りた。

 先に降りたユヅルの胸に、ウィオラは飛び込んで。

 白の花びらを散らし、ユヅルの腕の中でウィオラがくるくると舞う。

 なびく黒の長衣からのぞく雪肌せつきが、まぶしいほどに輝く。


「わらわは、そなたのものじゃ。そなたは、わらわのものじゃ」

「殿下、わたくしもユヅルさまと踊りとう存じます」


 ウィオラの手拍子に合わせ、つかず離れず舞うアニュレに抱きすくめられて。


「ユヅルさま、今宵わたくしを捧げとう存じます」

「あの、骨がきしんで痛いんですけど……」

「そこな、わらわの前で発情するでない」


 ウィオラは、アニュレに突進する。

 もつれた三人は、花の群れに埋もれた。

 ごろりとユヅルは仰向けになるも、胸にやわらかな重み。

 星辰せいしんのきらめきも、いっそうしなるタレ目の花咲くような笑みにはかなわない。


「わらわは、そなたと巡り会えて幸せじゃ」

「ーん」

「あのな、世界一愚かな父さまのせいで、わらわの時は十年止まったまま。じゃから——」


 ユヅルは、涙をたたえる紫瞳しとうをみつめた。


「いろいろと、待って欲しいのじゃ」

「ーん、待つよ」

「ぁ、ぁ、ぁー」


 ユヅルは、立ち上がった。

 泣き笑いの少女の白い手を引いて、


「ウィオラ、踊ろう」

「ふへへ、黒より黒いその瞳に、天使の舞を焼きつけるがよいぞ」


 英雄の腕の中で笑顔の我が主——アニュレの胸裏に万感が迫る。こんな日がくると信じて、やっと報われた。


「ユヅルさま、殿下、わたくしを忘れないでくださいまし」


 長衣をひらめかせ、ウィオラにアニュレはユヅルに巻きついて踊る。

 白い花の甘やかな匂いに溶ける銀鈴ぎんれいの歌声が、ユヅルの奥底まで染み入った。

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