第15話 ぐるぐる回って落ちていく

「ユヅル、死ぬなよ」

「ユヅルくんだけが、わたしたちの希望なの。お願い——」


 級友らの切なる眼差しに、ユヅルは二指の敬礼を返した。

 陽光まぶしい中庭で、黒光りの鳥竜にまたがるウィオラから差し出された白い手をとる。

 華奢きやしやな外見とはうらはらに軽々と引き上げられて、異形の姫の巨大な下半身の蜘蛛腹にまたがり、腰に手を回す。

 ウィオラの紫瞳しとうが血赤に染まり、鳥竜は青天へ舞い上がった。



 先を行くアニュレの操る鳥竜と入れ替わり、耳を削る冷たさがやわらいでいく。

 地下迷宮をはらむ遺跡の上空で、鳥竜は旋回を始めた。

 地層渦巻く縦穴の闇は、まさにブラックホール。

 吸い寄せられるように、鳥竜は高度を落とし旋回半径を縮めていく。

 ユヅルは、ウィオラと五日がかりで解読した虚無きよむ魔法の上級の上の長い詠唱を始めた。試し撃ちで判明した中性子のような貫通力——水分を含む生物だけを冥界送りに。

 出し惜しみなし、最初の一撃で地獄を破壊してやる。


 しぼむ青空を背負い、ぐるぐる回って落ちていく。


 ウィオラは鳥竜の恐怖を異能で押さえ込みながら、冷気がせりあがる闇をみつめる。


「異形なるものが、底にうじゃうじゃとおるぞ」


 ウィオラを右腕できつく抱きしめ、ユヅルは左手を真横へ。

 虚無きよむを撃つ合図に、ウィオラの血赤の瞳がたぎり。

 甲高い悲鳴を上げながら傾いだ鳥竜は失速、真下を向いたユヅルの指先が闇を切り裂く。

 長い詠唱の最後の一節が、ユヅルの唇からこぼれて。


 かすむ指先から無明のしやがほとばしり、虚空のうねりが底へと走った。


 骨に響く金属めいた擦過さつか音が縦穴を震わせ、濡れ色の岩肌をう青白い雷光。


 き上がる咆哮ほうこう濁流だくりゆうに、異形の姫の幼い顔がゆがむ。

 鳥竜を立て直し、ウィオラはほの明るい底をにらんだ。


「蜜に群がる蟻のようじゃ。きりがないぞ」


 肩掛けの麻袋に手を突っ込み、ユヅルは魔力回復の小瓶を続けて三本をあおった。いつまでも全力疾走はできない、ウィオラの異能には限界がある。


「千里眼をやめて、力を温存しよう」

「ーん、そなたの思うがままに」


 再び、ユヅルは虚無きよむの長詠唱を始めた。


 地獄の底へ、ぐるぐる回って落ちていく。


 ウィオラは、眼下に目を凝らした。

 山のようなむくろい上がる異形の——。


「いかん、魔物が翼をひろげとる。飛ばれたら終わりじゃ、はよう撃ってたも。この姿で死にとうない——」


 ユヅルは、ウィオラを強く抱きしめた。

 その合図に、異形の姫の血赤の瞳がたぎる。

 鳥竜は闇を切り裂く両翼を折りたたみ、数瞬の無重力。


 ユヅルは、虚無きよむを撃った。


 色をねじ曲げるしやが縦穴を駆け下り、地の底の絶叫を踏み潰す。


 ウィオラの血赤の瞳が燃えて、鳥竜は旋回飛行を取り戻した。


 静寂——ぐるぐる回って、落ちていく。


 詠唱を切り上げた爆裂魔法で、ユヅルは異形のしかばねを一掃した。

 二人を乗せた鳥竜は、白煙くすぶる地の底へ舞い降りる。

 またがったまま、ウィオラは首を巡らせた。

 血赤の瞳をたぎらせての千里眼で、魔杖まじようを探す。


「くっくっく、みつけたぞ」


 ウィオラは、ユヅルの手を取った。

 斜め上に持ち上げ、指先をからめて。


 ユヅルは、空瓶の十五本目を放る。短時間で虚無魔法の上級の上を五回もぶっ放した。


「そろそろ限界かな」

「ーむ、魔杖まじようを手にしたまま動かない。くたばったかの」

「それじゃ、覚悟を決めますか」


 地の底へ飛び降り、ユヅルは右手を天に突き出す。合流の合図に爆裂魔法の短詠唱を繰り出し、閃光が縦穴を駆け上った。



 眠る鳥竜を残し、ユヅル、ウィオラ、アニュレに剣をく白服の一列で、坑道を行く。

 松明たいまつの炎がかたどる不気味な影よりも、異形の死体の絨毯と化したグニャリと沈む足下に目を奪われつつ。

 数えるのをやめた分かれ道にさしかかり、ユヅルは足を止めた。

 ウィオラの瞳から血赤が薄れていく。


「右じゃ、その先の洞窟に魔杖まじようの主がおる」


 ウィオラは、一歩を踏み出したユヅルの手をつかまえた。


「ありがと、化け物のわらわの願いを聞いてくれて」


 ユヅルは、体ごと向き直る。


「どうしたの?」

魔杖まじようの一閃で、あっさり死んでしまうやもしれん。だから、ありがと、ここまで連れてきてくれてありがと——」

「涙は呪いを解いてからにしよ」

「ちがう、わらわは、ぁ、ぁ、ぁー」

「おい、怪物ども。さっさと進め」


 白服の冷たい声が割り込んだ。

 鋭く踏み込んだアニュレに、ユヅルは一喝。


「やめろ!」

「ですが、ユヅルさま。かような侮辱、ゆるせません」

「お偉い宮廷魔法使いさん、そんなに魔杖まじようが大事なら先に行きなよ」

「馬鹿どもが、おまえらは俺さまの盾だ。さっさと行け」


 腰に手をかける白服から目を戻し、ユヅルはウィオラの目元をぬぐう。

 ウィオラのタレ目がいっそうしなり、泣き笑い。


「ふへへ、そなたとなら地獄も平気じゃ」

「さあ、いこう」


 白の手を引いて、薄闇に一歩を踏み出した。



 一行は、長い坑道を行く。

 薄明かりに混じり、肺がきしむような冷気が押し寄せる。

 その果てへ踏み入れると、淡い緑のきらめきが氷壁からにじむ洞穴の、丘のようなむくろの頂に、杖を手に立つ異形——四本の腕に角めく頭、上半身はかろうじて人の形も、下半身は巨大蜘蛛。

 ユヅルは、爆裂魔法の短詠唱を撃った。


 閃光が凍りついた空気を切り裂く。


 紫電のしやに抱かれ、魔物は崩れ落ちた。


 脇から白影が抜けて、ユヅルは三語の銀のしやを浴びせる。

 短く踊り狂い、宮廷魔法使いは倒れた。


「ウィオラが先約だ」


 しかばねの丘に登り、ユヅルは魔杖まじようを拾い上げた。

 手にした瞬間、流れ込んだ魔力が体の奥で渦を巻く。

 らせんの杖——圧倒的な魔力を残したまま、魔物はただ最後を受け入れた。

 疑問を頭の隅に追いやり、ウィオラを抱き寄せる。


「お姫さま、目覚めの時ですよ」


 ウィオラは、目をつむった。

 誘われるように、ユヅルは小さな唇をついばむ。


 荒ぶる魔力がウィオラの細い喉へ流れ込み、異形の下半身が眩光げんこうに包まれ。


「ぁ、ぁ、ぁ」


 光は霧散、ウィオラはユヅルの胸にしがみついた。


「足じゃ、足じゃ——」


 胸にうずもれ号泣の小さな姫を、ユヅルはゆるく抱きしめた。

 主の腰にすがりついて、アニュレは涙をこぼし。


「ウィオラ……」


 ひび割れた声を聞いた。


「よかった。わしは……」

「父さま!」

「魔王さま!」


 よろめく足で、ウィオラは横たわる異形にすがりついた。

 両膝をついて、アニュレは土色の手を握る。

 うつろな目に、涙に濡れた幼い顔がおさまる。


「少し大人びて、母さんにそっくりだ」


 ユヅルは、死に行く男をみつめる。娘を地の底で待っていた、だから魔杖まじようの力を。

 息も絶え絶えの魔王は、白い頬を震える手でなぜた。


「幸せにな、世界一可愛い我が娘よ」


 ウィオラの慟哭どうこくが、氷窟ひようくつを満たして。



 魔王のボロボロの服のポケットから折り畳まれた紙を、アニュレは涙の主に渡す。


 食い入るように手紙を読むウィオラの肩が震えだし、破り捨てた。

 すくっと立ち上がり、


「わらわの十年を返せ、死ね、死ね、死ね——」


 死体蹴りの主を、アニュレは羽交い締め。


「おやめください、もう死んでますから」


 ユヅルは、拾った手紙をつなぎあわせ読む。


 魔王の遺書だった。


 思い出がつづられて、人族への恨みつらみ。

 せめてかなわぬならと異形に成り果て、地下迷宮の底で魔物を産みだす日々。


 どうでもよさそうなので、読み飛ばす。


 どうしてもゆるせない、初夜を迎えて、妻が処女じゃなかった。

 詐欺だ。

 この悔しさを、娘の伴侶に味わって欲しくない。

 だから、娘には結婚するまで純潔を守れるように、下半身を蜘蛛に変えた。

 どうだ、わが娘よ。

 魔王であるこのわたしを打ち負かした最強の伴侶と幸せにな。


 ユヅルの唇から笑みがあふれた。


 努力の方向が間違っている、コロナウイルスを恐れるあまり防護服でコンビニへ出かけるような。


 アニュレを振り払い、タレ目を吊り上げてウィオラはユヅルに迫った。


「そんなに笑うでない。それより、手紙ごとそれを消してたも」

「それって……最後のお別れはした方がいいよ」

「そうであるが……わらわの十年を奪ったのじゃ、絶対にゆるせん!」

「殿下、いけません。これで最後なのですよ」

「……わかったのじゃ」


 父のむくろの下で、ウィオラは両膝をついた。

 安らかな顔をみつめ、まぶたを落とし額に口づけ。


「世界一愚かな父さま、さらばじゃ」


 気絶の白服を蹴り起こし、一行は洞窟の入り口に下がった。


 らせんの杖を振り、ユヅルは練り上げた爆裂魔法を撃つ。


 閃光が白く弾け、しかばねの丘は蒸発した。

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