第14話 小さな決別
「ユヅルさま御一行をお連れしました」
侍女が扉を押し開く。
円卓と椅子だけの殺風景な白い部屋の奥に貴人が一人。大窓に切り取られた銀嶺は一幅の絵画のよう。
麗装のミヒエルがウィオラとアニュレに歩み寄り、監禁をわびる。
「もうよい、そなたの誠意は伝わった。わらわはお腹が空いたのじゃ」
円卓を前菜の小皿で埋めて、侍女は下がった。
酸味の効いた一品を食べながら、ユヅルはミヒエルの話に耳を傾ける。
地下迷宮からあふれた魔獣が街を襲い被害は甚大、魔獣を生み出す
戻ってきた侍女は、肉料理の大皿を配り主人の背中で控えた。
満面の笑みでほおばる少女らからユヅルへ目を戻し、ミヒエルは笑みを消す。
「さて、ユヅル殿。本題に入らせてください。
「無理、背中から撃たれる」
「では、単独で闇の世界へ潜ると? いくらユヅル殿でも、厳しいのでは」
「人数によらず視界不良がやっかいで、一層ごとに潜っていくのは現実的と思えないよ」
ユヅルは、大皿からはみでんばかりの一枚肉をナイフとフォークで食べる。舌の上でとろけた。
脂に濡れたアニュレの唇から、吐息がもれる。
カチャカチャと食器を奏でる音が流れて。
「空から地下迷宮へ潜ろうと思う」
ミヒエルの片眉が跳ねる。ナイフとフォークが止まる。
「縦穴ですか。しかし、岩肌に削られてもなお耐える荒縄を作るのは難しいです。それを結んで長くとなると——」
「鳥竜だ」
ミヒエルは、目を見開いた。
ウィオラの
「くっくっく。地に
「そんなわけで、地の底へ連れて行けるのは一人だけです。それと——」
ポケットから取り出したノートの一頁をちぎり、ユヅルは拾った金貨を添えて差し出した。
「この文字などから成る文を解読したい」
手にしたミヒエルの目が細まる。
「らせんの杖、それは千年王国の金貨。そして、今に伝わる魔法書の原典を
「……」
「——いいでしょう。明日の夕方までには、辞書を確保します」
小さく礼を述べて、ユヅルは明日の予定を告げた。
肉皿を半分残し、あくびをかみ殺す。
「ごめん。いろいろあって、とても眠い」
ミヒエルは、苦笑した。
「わかりました。続きは朝食の席でお願いします」
ユヅルは目覚めた。体を起こすと、ふかふかの寝台ではなく、ちくっとする
気にせず立ち上がり、大窓の向こうを眺めた。
青空を切り取る白の
「おはようございます、ユヅルさま。朝食のお時間でございます」
階下から侍女の声、ユヅルは寝相の悪い少女らを起こしにかかった。
日当たりのいい、こぢんまりしたバルコニーでの朝食。
白パンに詰める具材の小皿がずらりと円卓に並ぶ。
油漬けの魚、シーチキンが気に入ったのか、ウィオラがどこの市場で手に入れたのか、これはなんじゃ、と話が咲いて。
お腹も膨れて頃合いと、ユヅルは切り出した。
「空から地下迷宮の縦穴を確認したい。誰か道案内を頼める?」
「それなら、わたしがいきましょう」
侍女が、声を挟む。
「ミヒエル殿下、午後は強欲両替商との交渉がございます」
「わかってる。少し遅れるかもしれないけど」
「ーむ、そういうことなら、さっそくまいるとするか」
一行は、中庭に出た。
訓練の汗を流す級友たちが、木剣を放り駆けてくる。
「ユヅル、聞いたよ。俺らの自由を直談判してくれたとか。さすが、優等生、口だけソウタとは大違いだ、期待しちゃうぜ」
「ユヅルくん、わたしが心配で戻ってきてくれたのね。嬉しい」
ユヅルは、メガネ地味子の抱きつきをやんわりと押し戻す。
「ユヅル、聞いて。お風呂が三日に一回しか入れないの、しかもサウナ。まじありえない」
愚痴をこぼす級友の目に
教練士官は、人垣に割って入った。
「貴様ら、勝手に訓練を放り出すな」
「まぁ、よいではないですか」
「しかし、ミヒエル殿下。一日も早く地下迷宮の底の
「必要ない。ユヅル殿が一人で片をつける」
「……」
ウィオラの小さな唇がゆがむ。
「そこな、
教練士官は、ユヅルに目を向けた。おっとりした面差しで宮廷魔法使いを相手に玉座で大立ち回り——。
「大変、失礼しました」
胸元で手を組み、ウィオラとアニュレは祈り始めた。
鳥竜がくるまでと、ユヅルは級友の話に耳を傾ける。豪華な食事は初日の夕食だけ、しかも一日二食、寝床が湿っぽい、水あたりでお腹がゆるい——悲惨の一言につきる。
「よぉー、ユヅルくーん」
級友の輪に強引に割って入ってきたのは、ソウタだった。
ぞろぞろと取り巻きを引き連れて、
「さっそく、英雄気取りかよ」
「……」
「おい、無視すんな。そんなに偉くなったのか?」
以前の僕なら嵐が通り過ぎるのを待つだけ——ユヅルは微笑んだ。
「いや、君と話すことは何もないでしょ」
「なにヘラヘラ笑ってんだ、おらー」
「ああ、ごめん。よくわからないけど、ごめん」
ソウタは、木剣を突きつけて、
「まじ、むかつくわー、ユヅルくーん、勝負しよーぜー」
「はぁ」
「俺が勝つしかないけど、おまえは俺の奴隷な、あと、そこの女もロリも俺のもの」
ソウタの取り巻きが、はやし立てる。
ソウタ、ソウタ、ソウタ——気弱な級友たちは逃げた。
ミヒエルは、ニヤニヤと成り行きをみつめる。
いきなり振り上げた木剣は、とっくに三語の詠唱を終えたユヅルには届かない。
銀の
凍てついたユヅルの
「このままなら、彼は鳥竜に踏まれて死んじゃうけど、別にいいよね?」
小さな嵐が去って、級友たちが戻ってきた。
初めて見る鳥竜に、歓声が上げるも。
黒の長衣をまくり上げ、あらわになったウィオラの異形の下半身の巨大な蜘蛛腹に、静まり返る。
差し出された鳥竜の長い首の上を、ウィオラは多脚で駆けた。
巨大な蜘蛛腹に
ウィオラの
「さて、まいろうぞ」
黒の鳥竜は、青空を駆けのぼった。
冷たい風が耳を削り、峡谷の黒い森が
アニュレが操る鳥竜に
黒い森の
風切り音に負けじと、ユヅルは声を上げて、
「もう少し、寄ってくれ」
鳥竜は旋回しながら、高度を下げていく。
地層渦巻く縦穴を呑む闇が、大きな口を開けていた。
「ウィオラ、ここからいける?」
「こやつの恐怖を押さえ込んで操るとしても、底が見えないと無理じゃ」
「ーん、光る目標があればいい?」
「それじゃの」
王城へ帰還の合図——ユヅルは、掲げた手をくるくると回す。
傾いだ鳥竜の重力に負けまいと小さな背にしがみつきながらも、地下迷宮の攻略を想像する。
音を吸って輝く
祭服の懐を確かめた。
昨日と同じく、ユヅル一行にミヒエルと給仕の侍女ひとりがつく晩餐会。
この席だけは、級友たちの話とは違い豪勢だ。
前菜、魚料理、二皿の肉料理、食後のお茶でまったりしかけて。
ミヒエルは、侍女に命じた。
「ご所望の、魔文字の辞書です」
差し出された分厚い一冊、ユヅルはパラパラとめくる。解読をウィオラに手伝ってもらおう。
「それと、これはわたしからの報酬です」
膨らんだ革袋の群れが、円卓を飾る。
ユヅルは、それらひとつの口を開けた。
キラキラの金貨が、アニュレの
ウィオラのタレ目が細まり、
「ミヒエル殿、ユヅルに何をさせるつもりじゃ」
「そうですね、今はなにもありませんが、困ったときは頼らせてください」
「そこな、侍女と駆け落ちにしては、多すぎる報酬と思うがの」
ミヒエルは、笑みを浮かべた。
「お金はあっても困りません。どうぞお納めください」
じっと、キラキラの緑に紫の瞳にみつめられては、ユヅルの答えはひとつしかない。
「ありがたく、ちょうだいします」
ユヅルとミヒエルの掲げたグラスが、乾いた音を立てる。
「よい取引をしました。ユヅル殿、これからもよろしくお願いします」
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