第13話 玉座の一戦

 馬車が小さく跳ねて、ユヅルは仮眠から目覚めた。

 清涼の甘やかな匂いに染まった二人だけの車内、膝詰めで正面に座る優男やさおとこの金髪が垂れる。


「魔族の姫君らを拉致して申し訳ない」


 気品のにじむ顔を持ち上げて、優男やさおとこは言葉を続けた。彼女らを丁重に扱っている、信用して欲しい。ただ、他の取引を思いつかなかった、許して欲しいとも。

 また眠くなりそうなので、ユヅルは謝罪を受け入れた。


「それで、君の名前は?」


 長い家名を告げた白皙はくせきの青年が、短くミヒエルで呼んで欲しいと手を差し出す。

 握手を交わし、ユヅルは小さな窓の奥に目を向けた。


「いい匂いでしょう。そこから、ご覧になられては」


 のぞき窓から顔を出すと、頬をなぜる冷たい風。

 どこまでも続く低い丘陵きゆうりように小さな太陽のような黄色い花の群れがさざめいて。


 席へ戻る。たしかに素晴らしい、が。


「ところで、魔杖まじようてなに?」


 ミヒエルは、微笑みを消した。


「わたしの知る限りでお答えします——」



 そびえる城壁の影に沈む中庭に降り立ち、ユヅルは伸びをした。


「ユヅル殿、こちらへ」


 黄色い頭花を散らす紋章の壁掛けが垂れる玄関広間を抜ける。

 中央のらせん階段を上りきって、しんと沈む長廊。

 衛兵が大きな扉を開き、夕日があふれて。

 朱に染まった白亜の大広間に列と並ぶ帯剣の白服どもをべる長い絨毯の最奥、片肘をつく老王が一段高い玉座に腰掛けていた。


 ミヒエルは最前列へ、ユヅルは半ばで足を止める。魔杖まじようとは、魔獣を生み出すもの、らしい。ほぼ核兵器に近い破壊力を有するというウィオラの話とは違う。共通するのは、何かを生み出す莫大な力。


 老王は、手にする黒光りの杖を震わせて、


「ユヅルとやら、犯した大罪については見逃してやろう。そのかわり、魔杖まじようを一日でも早く回収しろ」

「はぁ?」

「貴様、不敬だぞ。言葉を選べ」

「先に、ウィオラとアニュレを解放してよ」


 老王は、杖を振った。


「これへ」


 鎖に引きずられ、目隠しに猿ぐつわのウィオラとアニュレが玉座のそばで崩れる。


 しわを深め、老王は冷笑を浮かべた。


災厄さいやくの爆裂魔法使いよ、魔杖まじようと忌まわしき魔族を交換してやろう」

「話にならない」

「ならば、それは生きたまま犬の餌だな」


 ユヅルは、老王のにごった瞳をぴたりと見据える。たった今、玉座からの冷たい言葉でわかった。平和な日本にあってこの世界にないもの、望む報酬はそれしかない。


「それをやったら、王城ごと消すけど」

「クソガキが……やれ」


 耳障りな抜剣に、ユヅルは両手を真横に突き出す。


 かすむ指先から白い光がほとばしり。


 三語の詠唱の銀のしやに、振り上げた剣は弾き飛び、光芒こうぼうが大広間を乱れ飛ぶ。


 崩れ落ちる白服どもに、老王は目を見開いた。


「馬鹿な——」


 剣を拾い上げ、ユヅルは床でもだえる少女たちの下へ一歩を。


「貴様——」

「やめろ!」


 ミヒエルの鋭い一喝に、白服の禿頭とくとうの踏み込みが固まる。

 悠然と呪文を口ずさみ、ユヅルは横たわる白服を踏み越えて。

 おびえる少女たちを背に、ミヒエルは片膝をついた。


「すまない、こちらの手違いだ。おさめてほしい」

「とにかく、ウィオラとアニュレを解放してよ」


 老王は、声なくわらう。

 転瞬、ユヅルは振り向きざまの一閃。

 剣先からほとばしる紫電のしやが絶速の氷杭を破砕し、杖を突きだしたままの白服が短く狂う。

 ゆっくりと、ユヅルは玉座に向き直った。

 声を失い、老王は地獄へいざなうように揺れる青白い剣先に目を奪われ。

 ミヒエルは、声を上げる。


「陛下、いえ父上! ユヅル殿が本気を出せば、われらは蒸発です」


 老王は、背もたれに沈んだ。


「放してやれ」


 するりと目隠しが外れ、猿ぐつわは床に落ちた。

 震える指先で、従者は手錠を外し。


 ゆっくりと、異形の姫ウィオラにアニュレは心に刻んだ英雄に迫る。

 ユヅルは、剣を放った。アニュレはともかく、下半身が巨大蜘蛛のウィオラに抱きつかれては命が危ない——ちょっとだけ腰が引ける。

 ウィオラとアニュレは、そっとユヅルの手をとった。

 紫瞳しとうに涙をたたえ、ウィオラは小さな唇を開く。


「そなた、どうして戻ってきたのじゃ。わらわを見捨て自由に生きる道もあったろうに」

「ほら、約束したでしょ。手をつなぎ花畑で踊るって」

「ぁ、ぁ、ぁ」

「ウィオラ、アニュレ、笑ってよ」


 潤んだタレ目をいっそうしならせ、ウィオラは微笑んだ。

 うつむいたアニュレの白い頬を、涙が伝い落ちる。


 ユヅルの冷たい目が、悄然しようぜんの老王をぴたりと見据え、


魔杖まじようの報酬は、僕らと級友の自由だ」


 玉座で控えるミヒエルのささやきに、老王は顔をゆがめる。


「ユヅル殿、それで、よろしく頼む」


 ミヒエルは、満足げにうなずいた。



 異世界初日で夜を過ごした尖塔の最上階、ユヅルは夕日に染まる部屋で寝椅子に沈んだ。地下迷宮で水薬をたくさん飲んだせいなのか、だるい。晩餐会に作戦会議——。


「ユヅル、遅いのじゃ」


 目覚めて顔を向けると、ひょっこり床下の階段からのぞく幼さの残るねた顔。


「ああ、ごめん」


 用意された着替えに伸ばした手を止めて、手招きする。


「二人とも、ちょっといいかな。地下迷宮で拾ったんだけど」


 懐から取り出したボロボロの黒い本を、めくって見せる。

 ゆったりした黒の長衣に着替えたウィオラにアニュレは、のぞき込んだ。


「なんじゃ、白紙ではないか」

「白紙ですの」


 ならばと、読めない異形の文字をノートに書き写す。


「ーん、わからん」

「見たことがありませんの」


 閉じた黒い本を、懐にしまい込んだ。

 かわりに、ポケットから一緒に拾った金貨を差し出す。

 指先でつまみ、ウィオラはしげしげと見つめた。

 紫瞳しとうが、うすく光る。


「らせんの杖——父さまに見せてもらったことがある、敵対する都市国家を無にかえして栄華を誇った千年王国の金貨じゃ。もしや、それは伝説の、虚無きよむ魔法の書やもしれぬぞ」

「……」

「選ばれしものだけが、呪文を読めるという。つまり、そなたは選ばれたのであろ」

「ユヅルさまは、歴代最強の魔王へ成るというのですね」

「僕は魔王とかやらないから。ただ、のんびりと暮らしたい」

「ーむ、欲がないの」

「そんなのめんどくさいし、見えない敵におびえて生きるなんて、疲れるだけ」


 ウィオラは、いっそうタレ目をしならせ、


「あのな、わらわはそなたの子供を千人産むつもりなのじゃ。魔王はともかく、お金をしっかり稼いでもらわないと困るぞ」

「一年で、えーと五十人? なにそれ、無理」

「ーん? そなたの天命は、三千年ではないのか」

「ちがうから、せいぜい百年だから」

「ーむ、それは困ったの」

「ユヅルさま、ならばわたくしの天命を三分の一ほど差し上げますわ」

「えっ?」

「そうか! わらわも三分の一を差し出すぞ。また牢獄に閉じこめられて、思い知ったわ。そなたがいない世界は暗闇じゃ」


 ウィオラにアニュレは、ユヅルの両肩にしなだれる。


「いやいや、そんなに子供はいらないから! あーっ、牙を立てないで!」


 引き結んだウィオラの唇が、小悪魔めいた弧を描く。

 

「あのな、わらわと千年交わるのじゃ。毎夜の天国じゃぞ」


 アニュレも、鋭い翠眼すいがんをしならせ、


「ユヅルさま、千年交わりましょう。毎晩、空になって……よろしければ殿下とご一緒に」

「あー、すごくいい!」

「たわけ! 貴種なるわらわは、動物と違う! 絶対にイヤじゃ——」


 咳払いが階下から届いて、


「あのー、盛り上がってるところすみませんがー、ミヒエル殿下が首を長くしてお待ちでございますー」


 侍女の呆れ声に、二人の少女は顔を赤らめた。

 黒の祭服のまま、ユヅルは立ち上がる。


「あー、ごめん。ほら、いくよ」

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