第10話 はめられ、はめる

 壁はげて黒焦げの回廊にう紫電のしやから、ルージェは半眼を向ける。


「兄ちゃん、何してんの?」


 以前より太くなった稲妻に、ユヅルは詠唱を止めた。炎の宮廷魔法使い一行を倒して、レベル上昇は間違いない——だとしたら。

 爆裂魔法の短詠唱の三節をニ節に略して、回廊へ放つ。

 ルージェは、目を見開いた。


「あっ、雷が細くなった」


 ユヅルは胸ポケットから取り出したノートをめくる。発見した最小の呪文よりも、一呼吸で発動する爆裂魔法が欲しい——階層が深くなるにつれ、まばたきを許さない敏捷びんしようの魔獣が潜んでいるに違いない。


 試行錯誤の十回目、三語の詠唱を放つ。


 ルージェは、息をのんだ。


 銀のしやが虚空に揺らめいて——。


「粉雪だ」

「触ってみる?」

「はぁ? 死んじゃうから」



 二人は、すすけた回廊を行く。

 床一面にひろがるさっきまで一緒だった仲間たちの白い砂に溶けた剣に鎧、短く祈りを捧げ前を向く。

 突き当たりの分かれ道、ルージェは右を指した。


「人の声がする」


 歩を進めると石畳は消え、坑道の闇が大きな口を開ける。

 風に乗って、高笑いが耳に届き、


「いってみよう」


 暗い斜坑しやこうを上ると、地層渦巻く巨大な縦穴が目に飛び込む。

 そこから降り注ぐ月光のしやを浴びて青白の祭壇めいた一段高い広間、黄金の宝とたわむれる冒険者たちがいた。

 男が大きな杖を突きつける。


「俺らのものだ。出て行け」


 彼らから地下迷宮の秘密を聞き出したい——ユヅルは、一歩を踏み出した。

 白骨の散る表土が、尖った音を奏でる。

 ルージェは、頬を膨らませ、


「兄ちゃんが魔獣を全滅させたから、この洞窟のお宝はあたしのものなのに」

「なんかちがうぞ」

「お金持ちの兄ちゃんは、お宝に興味ないだろ。それより……あやしい」


 祭壇の下から、ユヅルは声をかけた。


「邪魔してごめん。ただ、さっきの地震で空中回廊が落ちた。地図がなくて困ってる」

「しらねえよ——」


 そう、かっかするな——長剣を禿頭とくとうは、軽やかに飛び降りた。


「君らは、初級パーティーだな」


 そうだ——ルージェの即答に、禿頭とくとうの両頬の大きな傷跡がゆがむ。

 その冷笑に、大きな杖の男も頬をゆるめて。


「空中回廊が落ちたとなると、地上へ戻るには27層からだ——なんなら、一緒にいくか? 俺らも仲間は多い方が心強い」


 見上げる茶色の瞳に、ユヅルは短くうなずいた。

 禿頭とくとうは、ユヅルがまとう黒の祭服に目をとめて、


「このパーティーの頭のグニエフだ。よろしく、神父さま」


 ユヅルは、差し出された厚い手をみつめたまま。


「僕はただの荷物持ちだし、ご挨拶なら頭の彼女へ」


 グニエフは、鼻先で笑う。

 一歩前へ、赤髪の少女は握手を交わし、


「ルージェだ。よろしくな、ハゲ」



 作り笑いを浮かべ、ルージェは巧みに話を引き出していく。


 大所帯の上級パーティー『銀の槍』は、氷の魔法使いをずらりと揃えている。

 普段は中層の未踏区域を掘り下げている、らしい。

 超級パーティーにかつて所属していた頭のグニエフは、58層からの生還を誇らしげに語り始め——。


 双頭の魔犬の群を片づけて、27層へ足を踏み入れた。

 回廊を進み、突き当たりの分かれ道にさしかかる。

 一行は、足を止めた。

 先導のグニエフは振り返り、肩をすくめて、


「申し訳ないが、俺たちは予定を変更して、31層を目指すことにした」


 見上げる茶色の瞳に、ユヅルは短く首肯。


「わかった。うちらは、どっちに行けばいい」


 グニエフは、薄い一冊を差し出す。


「左に行けば、地図に載っている区画へ出るぞ。気をつけてな」

「ありがと、ハゲ。見た目と違っていい奴だな」


 グニエフは、片頬で笑った。



 回廊を進むと、石畳は途絶えた。

 その先は、坑道の大きな闇がひろがり。

 ルージェは、足を止める。


「はめられた」

「——だな、戻るか」


 振り向いた瞬間、ユヅルの頭上を銀の一閃。

 とっさにルージェの手を引いて、岩壁に張り付く。


 ただ、岩を穿うがつ音が響き。


 岩壁に背を預け直し、ユヅルは麻袋から魔力回復の小瓶を手に取る。爆裂魔法の中級の上の詠唱を始めた。


 途切れなく、氷の大槍が視界を横切って、坑道を震わせる。

 ルージェは、結んだ手をぎゅっと握りしめて、


「兄ちゃん、お宝は残してね」

 

 長い詠唱が完成、ユヅルは坑道の闇に向けて特大の魔弾を撃った。


 雷轟らいごうの一閃は、あたりを白く塗り潰し。


 階層が激しく揺れて、岩屑が降り——静寂。


 靴底から伝わる重い足音——生き残りがいる。


「照らしてくれ」


 ルージェは、短く唱えた。

 淡い光球が、大きな坑道へ昇る。


 最奥から、のそりと単眼の青い巨人が三頭。


 強くからむ指先、ユヅルは長詠唱を切り上げて魔弾を放った。


 轟音——先頭の青い巨人がばったり倒れる。


 風がうなり声を上げて。


 数多の氷槍が薄闇を切り裂き、青い巨人どもを鋭くえぐっていく。



 岩壁にもたれ、ユヅルは琥珀こはく水を飲み干した。

 上級パーティーの満面の笑みが、坑道の奥へと横切っていく。

 ルージェは、唇を尖らせて、


「あたしのお宝が——、兄ちゃん、いいのかよ」

「お宝は、あのハゲだ」

「えっ? 兄ちゃん、そういう趣味なの?」

「なわけないだろ」


 帯剣の禿頭とくとうが横切る。

 ユヅルは、空の小瓶を放った。


「おい、グニエフ」


 岩壁から背を浮かせ、ユヅルは一呼吸の三語を唱える。


「これは、腰抜けの神父さ——」


 銀のしやに包まれる禿頭とくとうの肢体がデタラメに踊り、崩れ落ちた。


 異変に気づいて振り向いた面々に、同じく銀粉を浴びせて、


「剣を——」


 うめく禿頭とくとうに、ルージェは奪った剣を突きつける。


「よくも、うちらをハメたな」


 苦しげな禿頭とくとうの両頬の傷跡が、ニヤリとゆがむ。

 転瞬、坑道の奥へと手刀を切るユヅルのかすむ指先から、閃光がほとばしり。


 紫電が薄闇を切り裂いて、砕け散る氷槍の尖った音。


 声を失った禿頭とくとうに、ユヅルは青白い残光の右手を向ける。


「グニエフ、58層へ先導しろ」


 禿頭とくとうは、両手を上げた。


「無理だ。あそこへ潜るには準備が足りない」


 獰猛どうもうな笑みが、ユヅルの口の端をかすめて、


「いま、灰になるか?」


 光の速さで膝立ちのグニエフは、勢いよく首を横に振った。


「是非とも、お供させてください」


 ユヅルは、あご先で促した。

 グニエフは、黒の祭服のユヅルに祈りを捧げる。


「神奇な魔法を操る無敵の神父さま。下賤なるわたくしめに、高貴なあなたさまの神名を教えてください」


 ユヅルの黒瞳こくとうに、苛立ちがひらめく。バリバリの理系が信じる神は、現世を組み上げる数式のみ——だけど、なぜかこの一節は覚えていた。


「名前に意味はありません。立ちなさい、あわれな子羊よ。回心を呼びかけておられる神の声に心を開いてください——」

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