第9話 空中回廊は落ちて

 前衛は剣と槍、真ん中は支援魔法使いで作戦を担うトンガリ帽子のルージェ、後衛は炎の魔法使いに荷物持ちのユヅルで、地下迷宮を順調に潜っていく。


 魔獣の小さな群を片づけて、13層へ足を踏み入れた。

 計画通り、未踏区域へと回廊を進む。

 床に埋まる蛍石けいせきが音を吸って光を放ち、にじむ緊張を淡く照らして。

 空中回廊の半ば、前衛が足を止めた。


「悲鳴だ」


 一行は、首を巡らせる。

 靴底から強まる震えに、ルージェは舌打ちをこぼし、


「退避だ」

 

 一行は、空中回廊の端へ駆け戻った。

 大きな杖にすがり、炎の魔法使いの女は肩で息をつく。


「また誰かが魔獣の巣を破壊したんじゃ」


 空中回廊の最奥、闇に映える赤目の大群が現れた。

 パーティーから離れて柱の影、ユヅルは荷を下ろす。肩がけの麻袋から取り出した琥珀こはく水の小瓶を手に、爆裂魔法の初級の中の詠唱を始めた。


 緑ゴブリンの波が、空中回廊に押し寄せて。

 呑み込まれまいと、必死に駆ける不運の冒険者たち。


「助けてくれー」

「こないで、こないでー」

「みんな、逃げろ。ミノタウロスだぁー」


 恐怖の名前に背を向けて、パーティーの面々は全力疾走を始める。

 独走のルージェは、振り向いた。

 柱の影から飛び出した荷物持ちが、空中回廊に向け両手を突き出す。


「はっ?」


 冒険者たちが脇を抜けるのを待って、ユヅルは練り上げた魔弾を撃った。


 閃光が空中回廊を走り抜けて——緑ゴブリンの波は蒸発。


 振り向いて足を止め、白くもやがかかる空中回廊を唖然とみつめる冒険者の顔、顔、顔。


「あああぁぁぁー、ミノタウロスがきたー」


 空中回廊の最奥に、赤目の巨影がニつ。

 再び、全力疾走を始める冒険者たち。


 ユヅルは、空の小瓶を放った。体の芯から魔力がこる。

 でかくて速い——半身で片手を突き出し、爆裂魔法の短詠唱を繰り出す。

 逃げ場なく紫電のしやを浴び続けて、巨体の足が鈍り。

 ゆるみなく、ユヅルは爆裂魔法の短詠唱を続ける。


 空中回廊半ばで、一頭は尻もちをついて、手から斧が滑り落ちる。もう一頭は前のめりで倒れ、ぴくぴくと。


 悠然と距離を取りながら、ユヅルは爆裂魔法の初級の中を完成させて。


 練り上げた魔弾を放つ。


 轟音——ミノタウロスは跡形もなく消えた。



 黒の祭服の仄白ほのじろい歩みに、冒険者たちはかける言葉を失い。


「兄ちゃん、すげー強いんだな」


 両手を腰に、ルージェは行く手に立ちはだかる。

 ユヅルは、手の甲を振った。


「悪い、時間ないんだ。どいてよ」

「兄ちゃん、あたしを連れてけ」

「足手まといはいらない、ごめん」


 ルージェは、胸元に片手を押しつけた。


「あしたが、荷物持ちをする。あたしの身は、あたしで守る。それならいいだろ」


 剣士の男は、ルージェに駆け迫り、


「待てよ。そいつは『双頭の蛇』の荷物持ちだし、おまえはパーティーの頭だろ」

「あたしはパーティーを抜ける。じゃあな」

「ふざけんな!」


 抜剣に、ルージェはユヅルの背に逃げ込んだ。


「おい、レベルゼロ。ルージェを返せ」

「パーティーもルージェもどうでもいい」

「兄ちゃん!」

「わかった。君は補償金が欲しいのか?」

「ちがう!」


 唇を震わせて、男は剣を放った。


「ルージェ、ずっと好きだった。いかないでくれ」


 茶色の瞳が、キュッとすぼまり、


「はっ? えっ!」


 回廊の奥から押し寄せる固い足音の波へ、一同は目を向けた。


 その最後尾、薄闇に映える白服の一行。


 冒険者たちは、声を失い。

 ルージェは、震え上がった。ミノタウロスから逃げ回ったあの時と同じ、足下からせりあがる原始の恐怖。

 麻袋から取り出した灰白かいはく色の身体加速、ユヅルは飲み干した。涼やかなミント味に喉が凍る。

 平和な日本から三日目の異世界で、見殺しとか無理——空の小瓶を壁に強く投げつけて。


 砕け散る尖った音。


 その意味に気がついた冒険者たちは、ユヅルに殺到。ひったくるように身体加速を飲み干し、空中回廊へ駆けていく。


 ユヅルは、剣士に小瓶を放った。


「飲めよ。死んだら、終わりだ」

「借りだとは思わないぞ」

「どうでもいい」

「兄ちゃん、助けて!」


 しがみつかれ、ユヅルは舌打ちこらえた。そのまま少女を背負い、剣士の後を追う。


「いたぞー! 皆殺しでかまわん、やれー!」


 飲み干した小瓶を放り、兵士どもは追走を始める。


 空中回廊半ばにさしかかり、迫る荒い息。

 背の中のルージェは振り向いた。


「兄ちゃん、うしろ、うしろ!」


 ユヅルは左手で背中の少女を支え、右手を後ろに突き出す。


 爆裂魔法の短詠唱を放った。


 虚空をう極太の紫電のしやが、駆け迫る兵士どもをからめとる。

 力を失った体につまずいて、肉の壁が盛り上がり。


 長い空中回廊を渡りきって、ユヅルは体ごと振り向いた。

 兵士どもが、仲間の死体を峡谷に投げている。


「援護を頼む」


 肩越しに、ルージェは小さな火球を繰り出す。

 全力疾走の兵士どもが、ひるむことはなく。

 爆裂魔法の初級の中の詠唱を切り上げて、ユヅルは斜め下を撃ち抜いた。


 ゆっくりと、空中回廊の絶叫が峡谷の闇に呑まれゆく。


 断崖に届く白服の合唱に背を向け、ユヅルは少女を背負ったまま駆け出す。

 奥に影の塊——せっかく拾った命を。


「バカ、逃げろ!」


 横断の回廊へ飛び込んだ。

 鍔広つばひろのトンガリ帽子を散らし、炎の大蛇が影の悲鳴を呑み込んで。


 ユヅルは、ルージェを下ろした。


「やだよ、おいてかないで」

「いいから、後ろを頼む」


 魔力回復の琥珀こはく水を飲み干し、ユヅルは胸ポケットから小さなノートを取り出す。

 頁をめくり、爆裂魔法の中級の上の詠唱を始めた。


 宮廷魔法使いどもの禍々まがまがしい合唱が、途切れることはなく。


 最後の一節が唇をかすめ、ユヅルは回廊の交差に飛び出す。

 絶崖ぜつがいへ突き出すかすむ両手から、閃光がほとばしり。


 雷轟らいごうの大槍が、大口を開ける炎の大龍を切り裂いていく。


 階層が激しく揺れ、岩屑の粉雪が薄闇を舞った。


 静寂——ルージェの唇から、半笑いがこぼれて、


「兄ちゃん……なんだよそれ、本当のレベルはいくつなんだよ」


 眩光げんこうに包まれながら、ユヅルは口の端を吊り上げる。体の芯は熱いが——どうせ。


「レベルゼロ」


 ルージェは、腹を抱えて笑い。

 燃え残りの鍔広つばひろに目をとめて、


「あたしが弱くて、ずるかったから、みんなを——」


 抱きつかれ胸を叩く意味をなさない声の塊に、ユヅルは燃えるような赤髪をゆっくりといた。

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