第8話 地下迷宮へ

 安らかな寝息の、下半身が巨大蜘蛛のウィオラ姫の隣で、ユヅルは肉鍋で温まった体を青草の寝床に横たえた。

 廃村の納屋、月明かりがまだらに差し込む。


 修学旅行の帰りのはずが、異世界の王の処刑から逃れて、監獄塔から姫さまを救出。そして今夜、ご褒美を——突き出した手のひらをぐっと握った。


 夕食の片付けを終えたアニュレは、ユヅルの隣に身を沈めて。

 すべて終われば、身も心もあなたに差し上げますわ——ユヅルは、彼女のふくらみへ手を伸ばした。

 ぱしりと弾かれて、ユヅルは体を向ける。


「王城での取引、忘れてないよね」

「もちろんですの。でも、心の準備が……」

「そんなに、怖がらないで。僕も初めてだから緊張してるけど、ほら、体の力を抜いて——」


 アニュレは、赤面を両手でおおう。


「大胆ですわ。悪魔的ですの。殿下に見守られていたすのは——」

「えっ?」


 ウィオラの下半身の巨大蜘蛛腹から、白がほとばしる。

 白糸が首に巻き付いて、ユヅルは固まった。


「わらわの目の前で、何をいたすつもりなのじゃ」

「あー、足がむくんでるからみほぐして——」

「そなた、嘘が下手じゃの。言っておくが、貴種なるわらわと高貴のアニュレを街娘まちむすめと同じに扱うでないぞ」

「……」

とぎに誘うなら、甘い言葉と花束から——」


 べらべらと、少女たちは空想を語り始める。

 甘勃あまだちはえ、ユヅルは眠気に耐えられなかった。



 翌朝、手桶を両手にユヅルはウィオラと草深い道を行く。

 雪水を茫漠ぼうばくたたえる湖の畔についた。

 ウィオラは、もや水面みなもから半眼を向ける。


「そなた、道具もないのにどうやって魚を釣るのじゃ」

「まぁ、見てなよ」


 ユヅルは、短詠唱の紫電を静かな湖面に何度か撃ち込む。

 次々と白い腹が浮いて、ウィオラはぽかんと口を開けた。


「ほら、姫さまの出番だよ」


 ウィオラは巨大蜘蛛腹から吐き出した白糸で、魚をからめ取っていく。


「くっくっく、大漁じゃー」



 廃村の広場で、三人は塩焼きを堪能した。


「ほれ、中級の上まで写したぞ。三回も見直して、目が疲れたの」


 爆裂魔法の小さな写本——手のひらに収まるノートを、ユヅルは祭服のポケットにしまい込んだ。


「ありがと、ウィオラ」

「礼にはおよばぬ。わらわにできることなら、なんでもするぞ。これを——好きに使うがよい」


 アニュレから銀貨の詰まった革袋を受け取り、ユヅルは切り出す。


「僕らの秘密を守るため、都への往復を少なくしたい」

「そうじゃの、心細いが仕方あるまい」

「で、問題は君たちが奴らに見つかったら、なんだけど」


 ふむ、あごに指先を添えてウィオラは宙をみつめる。


「そなたがいる都へ逃げ込むしかあるまい。蛮人とはいえ、民草を巻き添えにしてまで爆裂魔法を撃ち込むとは思えん」

「正解。さすが、姫さま」

「くっくっく、わらわは腹立たしい胸だけのアニュレとは違うぞ」

「殿下、それはあんまりですの」

「じゃ、そういうことで。とりあえず、今日から二日おきに帰るよ」


 お待ちくださいまし——アニュレは、ユヅルの前で両膝をついた。愁眉しゆうびの顔を持ち上げて、


「昨日のユヅルさまから、わずかに女の香りを感じましたの」

「そうじゃ、そうじゃ。わらわという許嫁がおりながら、大胆極まりないぞ」

「そんな約束してないし、君ら怖すぎる」

「ユヅルさま、これを」


 手のひらの小瓶を、ユヅルはみつめる。少量の白い粉——まさか、毒じゃないよね。


「お酒に溶かして、ユヅルさまを利用しようとするやからに飲ませてくださいまし——」


 アニュレは、黒瞳こくとうをみつめて、


「身を守るための眠り薬ですわ」

「目立たぬように修羅場を切り抜けると。アニュレは、こういうの手慣れた感じだよね」

「うへへ、もっと褒めてくださいまし」

「ちょっとだけ、見直したよ。ありがたく、使わせてもらう」


 だらしなく崩れた顔に笑みを返し、ユヅルは祭服のポケットにしまい込む。

 ウィオラは、口元をほころばせ、


「あのな、焼き魚は美味じゃった。それでの、おかわりが欲しいのじゃ——」



 鮮魚であふれる手桶を両手に、アニュレは鳥竜にまたがる二人を見送る。


「さて、今日も仕事が山盛りですの」




 白い花を散らして、鳥竜は青空へ舞い上がった。

 二日後の夜の約束でウィオラと別れ、ユヅルは蒼々そうそうとした樹街道を行く。


「よぉ、兄ちゃん」


 騎乗の少女が、ゆっくりと近づいてくる。

 足を止めて、ユヅルは片手を上げた。初級パーティー『双頭の蛇』の荷物持ちとして雇ってくれた赤髪の——。


「ルージェ、わざわざ迎えに——」


 かすむ剣先が喉元に突きつけられて、


「兄ちゃん、何者だ?」

「れ、レベルゼロ」

「あたしは見たんだ。さっき、鳥竜が飛んでいったぞ」

「偶然——」

「昨日も見たぞ」


 沈黙が横たわり、ユヅルは宙をみつめた。ごまかすべきか、それとも——駄目だ、目立ってはいけない。


「兄ちゃん、なんか言えよ」


 ユヅルは、ゆっくり両手をあげた。


「やんごとない姫君と駆け落ちして、命を狙われていて、あはは、困ったなー」


 ルージェの冷たい白目に、ユヅルは切り札をめくる。


「毎日ご馳走するから、見逃して欲しいなー」


 剣をおさめて、ルージェはユヅルの顔をみつめた。


「貴族みたいに白くて……兄ちゃん、乗りな」



 初顔合わせとなった昼食の後、初級パーティー『双頭の蛇』の一行は、魔道具屋へ寄った。


「先の注文とは別に、魔力回復が二十本、身体加速が十本——」


 剣士の男は、ユヅルの肩をつかみ、


「おい、超高級品を大量に買う金がどこにあるんだよ。計算も満足にできないのか?」

「会計は別だから、問題ないけど」


 剣士の男は、鼻先で笑う。


「剣も魔法も使えないレベルゼロの荷物持ちには必要ないだろ。代わりに俺が使ってやる」

「知り合いの買い物なので、勘弁してください」


 舌打ちから肩を突き飛ばされ、ユヅルは苦笑い。レベルゼロを見下したところで、君のレベルが上がるわけじゃないのに。

 乱暴な扉の音がして、剣士の男は店外へ。

 トンガリ帽子に赤い服のルージェは、肩をすくめた。


「悪い奴じゃないんだけど、相性最悪みたいでごめんな」


 パンパンに膨らんだ麻袋を、ユヅルは背負った。縄が肩に食い込み——さっさとこいつらを放り出し、地下迷宮の底を目指す、やってられるか。



 冒険者ギルド本部で計画表を提出し、一行を乗せた馬車は夕闇の樹街道を行く。

 揺れる車内で仮眠を取った。



 一行は、篝火かがりびで赤々と輝く広場に降り立つ。

 天幕から出てきた生還の冒険者たちと抱擁を交わし、準備を整えた。

 崩れた石壁の斜路しやろを下り、赤錆の門を見上げて。

 衛兵十人がかりで、地下迷宮の闇が口を開く。

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