魔王の遺書

第7話 レベルゼロのまま

 白い花びらを散らして、ウィオラの操る鳥竜は晴天へ舞い上がった。

 木立に囲まれた野原で見送ったユヅルは、鬱蒼うつそうとした樹街道を行く。

 王城を脱出して半日、雲海の絶景よりもウィオラの懇願が耳に残ったまま。


 最強の道を歩む爆裂魔法使いのそなただけが頼りじゃ、一振りで都が無にかえ魔杖まじようが蛮人の手に渡れば世界が終わる——つまり核兵器、男の子の夢が詰まってるし。


 後ろから馬車の音が近づいてくる。足を止め、両手を振った。



 荷台で揺られて、ユヅルは都についた。

 農夫に礼を言って別れ、大通り沿いの冒険者ギルド本部の自在扉を押し開く。

 場違いな祭服が珍しいのか、好奇の視線が刺さり。


「地下迷宮を探索したいのですが——」


 受付のお姉さんは、微笑んだ。


「では、いくつか質問を——」


 名前はユヅル、年齢は十七歳、来歴は修学旅行の帰りじゃなくて田舎から出てきたばかり、と。


「こちらの水晶玉に手をつけて——」


 手のひらがヒヤリとして、水晶玉が淡く発光する。


「ごくろうさまでした。残念ですが実力不足なので、許可証を発行できません」

「えっ? なんで?」


 ユヅルは、食い下がる。


「——ですから、あなたはレベルゼロです。せめてレベル1なら、荷物持ち限定許可証を発行できますが」

「あんちゃんよ、後ろがつかえてんだよ」


 突き飛ばされ、ユヅルは冷笑を浴びた。僕は監獄塔から姫さまを救い出して王城から脱出したんだぞ——言えるわけがない、目立ってはいけない。

 固めた両拳をゆるめ、冒険者ギルドを後にした。



 通りを臨む席で、遅い昼食の肉皿とパンを待っていると、


「兄ちゃん、元気だせよ」


 後からやってきて相席のトンガリ帽子少女は、ニカっと笑った。

 小さな八重歯に、ユヅルの口元がゆるむ。よかった、アニュレみたいな怪力の魔族じゃない。


「さっき、ギルドで僕を笑った?」

「なかなかいないよ、レベルゼロは」


 肉皿に手を伸ばし、少女は続ける。


「荷物持ちが大怪我してさ、うちのパーティー困ってるのよ」

「知らないし、勝手に人の飯を食うな」

「えー、いいじゃん。困ったときはお互いさまだろ」


 肩をすくめ、ユヅルは追加の肉皿を注文した。


「兄ちゃん、地下迷宮で一攫千金を狙ってるんだろ」

「ああ、そうだ」

「ならさ、うちらの荷物持ちをしなよ」

「あ、いや。重いのはちょっと」

「兄ちゃん、やる気あんの?」

「いきなり重いのはちょっと」

「よし、契約成立。あたしはルージェ」


 円卓を挟んで握手、ユヅルは名を告げた。

 ルージェの怪訝な顔は、数瞬で崩れて、


「店員さーん、鹿肉の煮込み——」


 食事をしながら、ユヅルは話を聞く。


 自己紹介——冒険者を始めて二年目のレベル7の支援魔法使い、初級パーティー『双頭の蛇』の頭。恋人は、お金。

 地下迷宮——13層で魔獣の巣に遭遇したときは、死ぬかと思った。


「やー、久しぶりに食った、食った」


 ルージェは、膨れた腹をさする。

 会計をすませて、ユヅルは席を立った。


「じゃ、明日の昼に、またここで」

「えー、もういっちゃうの?」


 小さく手を振って、ユヅルは通りから市場へ。


 アニュレの買い物——料理道具一式、塩に砂糖それから果実酒を麻袋に詰めた。

 ウィオラの買い物——甘いお菓子、甘いお菓子、とにかく甘いお菓子。


「よぉ、兄ちゃん。また会ったな」


 夕日に溶けるような赤髪の、茶色の瞳で笑む赤い服の少女。


「ルージェ、食い物はやらんぞ」

「えー、いいじゃん。あたしと兄ちゃんの仲だろ」


 さっそく屋台の注文に向かった首根っこをつかまえて、


「ルージェ、馬を操れるか?」

「ーん、できるよ。それ、運ぶのか?」

「ああ、この荷物と僕だ」

「よし、契約成立」



 夕闇の冷たい風を切って、二人を乗せた馬が暗い樹街道を疾駆する。


「兄ちゃん、割り増し料金だかんな」

「わかったから、急いでくれ」


 ユヅルは、夜空を仰いだ。月明かりで濃い巨影が音もなく——。


「あー、ここでいいや」

「何もないじゃん。ちゃんと家まで送ってやんよ」

「止めてくれ」


 強い声に、ルージェは手綱を引いた。

 重い荷物を背負ったユヅルは、ゆっくりと馬から降りる。


「ありがと、ルージェ。また明日」


 手のひらに収まったキラキラに、ルージェは目を見開いた。純銀貨じゃん、あいつ金持ちなのか?

 目を戻すと、いない。

 森のざわめき——あれは——。


 ユヅルは、野原に登った。

 爆裂魔法の短詠唱を夜空に放つ。

 閃光を見つけて、ウィオラは鳥竜を操り、白い花の海に舞い降りた。


「遅いではないか。待ちくたびれたぞ」


 鳥竜の背に上り、ユヅルは異形の姫の巨大な蜘蛛腹にまたがった。彼女の腰に手を回し、


「さあ、戻ろう」


 大地を蹴って花弁を散らし、鳥竜は夜空へ駆け上った。


 ウィオラは肩越しに振り向く。


「そなた、忘れてはおるまいな」

「ああ、買ってきたよ」

「我慢できんのじゃ。はよ、はよ」


 ウィオラの下半身の巨大蜘蛛の多脚が、わしゃわしゃとうごめき。

 肩がけの麻袋から、ユヅルは甘い匂いのラズベリーパイの包みを取り出した。

 とろりとするパイを千切って、ついと差し出された半開きの小さな唇へ。


「ああ、天国の味じゃ」


 餌付けめいた最後の欠片かけら、指まで吸われて、ちょっとだけ変な気分に。


 小さな唇をなめて、ウィオラの紫瞳しとうが血赤に染まる。


「飛ばすのじゃ、しっかりつかまっておれ」


 澄んだ夜空の青い月光を鋭く切り裂いて、二人を乗せた鳥竜は黒い森に溶けて消えた。

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