第5話 囚われの姫

 王城の主館へつながる扉から離れて、ユヅルは爆裂魔法の短詠唱を始めた。

 半身で片手を突き出し、最後の一節が唇からこぼれて。

 粉塵の紗幕しやまくを破り、衛兵二人が長槍を手に飛び込んできた。

 アニュレは、戸口の陰から襲いかかり難なく制圧。

 二人は、暗い長廊を平然と行く。

 奥から駆けてくる衛兵どもへ、ユヅルは短詠唱を放った。

 廊下に閃光が走り、紫電のしやが彼らを抱く。

 静かな城内、らせん階段を下りて、あっけなく一階の大広間へ。

 アニュレは、すれ違った衛兵と朝の挨拶を交わす。


「こちらですわ」


 小鳥のさえずりを聞きながら、百花の庭園を横目に列柱廊を進む。

 二人は、最後の柱に身を隠して。

 篝火かがりびの残る城門には、犬を供に十人前後の兵士と帯剣の白服が警戒していた。

 そびえる城門の奥、尖塔が見える。


「ユヅルさま、どうしましょう。やっかいな宮廷魔法使いもおりますの」

「ここからは力押しでいく。長い詠唱を始めるから守りを頼む」


 アニュレは短くうなずいて、ユヅルに背を預けた。

 ユヅルは、爆裂魔法の初級の中の詠唱を始める。

 無防備な恐怖の時間が、ゆっくりと流れていく。


「ユヅルさま、気づかれました。はやく——」


 太い犬吠けんばいが駆けてくる。

 ユヅルは、柱の影から飛び出した。

 両手を突き出し、練り上げた爆裂魔法を解き放つ。


 雷轟らいごうの一撃が城門を消した。

 視野をさえぎる黒煙が冷たい風にちぎれて、深くえぐられた岩盤から白煙が昇る。


「いくよ」


 唖然とするアニュレの手を引いて、熱が残る生まれたての縁をなぞり行く。

 早鐘が響き、見渡す限り青草の荒れた野道を駆け抜ける。


 緑にのまれゆく監獄塔、黒の祭服の仄白ほのじろいユヅルを見て、入り口を固める兵士どもは逃げ出した。

 爆裂魔法で鉄扉てつぴを破壊し、監獄塔の中へ。

 狭い廊下で恐慌の突撃に、短詠唱の紫電のしやを次々と放ち、死の舞を踊らせる。


 中央のらせん階段を深く潜り、最後の石段で吐いた息が白く砕けた。

 薄闇にきらめく氷杭が冷気を切り裂き、アニュレはユヅルに抱きついて横っ飛び。


「上が騒がしいと思ったら、ガキかよ」


 長剣をく白服の大男は、床に転がる二人を見下ろした。

 アニュレの澄んだ緑の瞳が、血赤に染まり。

 容赦ない手数の氷杭を、アニュレはユヅルを抱えたまま円い部屋の石壁を蹴って宙返りし、擦過傷を負いながら避けまくる。

 大男は、腰に手をかけた。

 鞘走る剣の光が、鮮烈にきらめく。


「おまえ、魔族だな。生きたまま犬の餌にしてやる」


 ズシリと空気が重くなった。

 大男は輝く長剣を振る。

 生まれたての青白い氷刃が、円い部屋を二つに分けて。

 アニュレはユヅルを抱えたまま、二度三度沈んで飛んでかわすも、宙で逃げ場を失い目をつむる。

 細い腕の中で狙いを定め、ユヅルは練り上げた爆裂魔法の魔弾を撃つ。


 絶速で迫る氷杭を破砕して、紫電の閃光が大男を貫いた。


 肩から床に落ちて、ユヅルは身悶え苦鳴を吐く。

 泣き出しそうな血赤の瞳は両膝をついて、ユヅルに治癒魔法をかけた。

 むくりと体を起こした彼を抱きしめて、


「ついに、ここまできました。ユヅルさまは、わたくしの英雄です」


 ブスブスと煙をくゆらせながら、大男は立ち上がった。


「殺す、殺す、殺す——」


 素早く立ち上がり、アニュレは手負いの巨漢へ一直線に駆ける。

 アニュレの踏み込みより速く、ユヅルは短詠唱の魔弾で白服の頭を撃ち抜いた。

 大男は崩折れ、回し蹴りは空振り。

 眩光げんこうに包まれ、ユヅルは目をしばたく。体の芯がやけに熱い。


「なんだ、これ?」

「見たことがない強い光、余程のレベル上昇ですの」


 強い奴を倒せば相応の経験値が手に入る、ゲームだな——首を巡らせた。何もない部屋、囚われの姫は見あたらない。


「この下か——」


 大男から奪った鍵で、床の鉄板を開く。

 滴る音に混じり、うごめく気配。


 隠し階段を下りて底へ。

 部屋の半分を占める檻の闇から、黒衣の紫瞳しとうが音もなく寄ってくる。

 もどかしげに赤錆びの鍵を差し込み、アニュレは重い扉を力ずくで横滑り。


「殿下……」


 檻の中で手を取り合い、アニュレは嗚咽を漏らした。

 闇に溶ける長い黒髪の少女は、唇を震わせて、


「アニュレ、信じていたぞ」


 ユヅルは、少女から目をそむけた。異形の下半身は巨大蜘蛛腹の多脚。

 ぴたりと、紫瞳しとうがユヅルを捉える。


「そなたは、わらわの英雄じゃ。心の底から礼を言うぞ」


 多脚を折り畳み、異形の姫は深く頭を下げた。


「あ、いや。取引したんだ、アニュレと」

「ーであるか。わらわの名はウィオラ、心に刻むそなたの名を教えてたも」

「ユヅル」

「ーむ、不思議な響きじゃの」


 ユヅルは、淡く笑んだ。


「ウィオラ姫、とりあえず、ここから出よう」

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