第4話 長い夜

 寝椅子で肩を寄せ合い、小さな円卓に手をのばす。

 肉汁に浸した白パンを食べながら、ユヅルは救出計画に耳を傾けた。

 あっという間に山盛りの肉を平らげたアニュレは、たしかに身体能力は異常で接近戦は強い。しかし、弓矢などの遠距離からの攻撃は——。


「うまくいくとは思えない」

「では、ユヅルさま。上策がありまして?」

「森で待機している鳥竜を呼び寄せるのはいいとして、どこに降ろすの?」

「……な、中庭、や、屋根? あ、あ、あー」


 ユヅルは、小さく首を横に振った。頭を抱える彼女のおつむは残念、ということがわかっただけましか。


「降ろすなら、監獄塔の底だな」

「馬鹿にしないでください。鳥竜は馬よりも大きいのですよ。そんな大窓はありません」

「爆裂魔法で屋根を吹き飛ばす。ついでに、階段も壊して鳥竜を誘導する時間稼ぎができる」


 アニュレは、ぽっかりと口を開けた。

 八重歯にして大きくて鋭い、どうみても牙、ということは——ユヅルは、目をそらした。

 アニュレは、ユヅルの手を両手で握る。


「ユヅルさま、さすがですわ。すべてを、あなたにまかせます」

「丸投げにもほどがあるだろ」

「自分でもわかっておりますの。おつむが弱いのは、どうしようもありません」


 潤んだ瞳にみつめられ、ユヅルは吐息をついた。


「まずは、字の読み方を教えてくれ」



 寝台から届くアニュレの静かな寝息を聞きながら、ユヅルは寝椅子で横になった。爆裂魔法を練り上げる異形の文字を頭に叩き込んだものの、やはり詠唱は長すぎる。三分に一回撃てるかどうか、剣や槍に囲まれたら終わる。


「どうにか、短くできないかなー」


 禁書の写本をめくる。初級の中は、指向性の爆裂魔法らしい——初級の下と同句が混ざるも、その並びが違う。

 中級の上まで写本を読み進める。何度も、読み返す。


 学生服の内ポケットに手をつっこみ、手のひらに収まるノートを取り出した。

 眠気は全くない——顔を上げて大窓の向こうは、脈々と連なる銀嶺に切り取られた紫紺しこんの空。

 もうすぐ夜が明ける、太陽が昇る——昇る? 昇る! もしかして、二次元に呪文を展開してみては——この世で最も美しいオイラーの公式から実数と虚数の世界。

 白紙を開き、ミニシャーペンで同心円を描く。

 爆裂魔法の初級の下は、発散する渦巻きという仮定を立てて、句を並べていく。

 爆裂魔法の初級の中は、収束する渦巻きという仮定を立てて、句を並べていく。

 重なって欲しい同句があった——何度か描いて、ぴたりと同句が重なる。

 想像する——渦巻きの形が爆裂魔法の効果を制御、渦巻きの回数が威力を練り上げる。

 つまり——爆裂魔法の形を満たすように語句を並べて省略すればいい。

 いけるぞ、次は初級の上で——。



「ユヅルさま、おはようございます」


 いつもの黒衣に着替えたアニュレは、寝椅子で黒の祭服のユヅルを見下ろし、両手を腰にあてた。


「朝ですの。覚悟はできまして?」


 ノートを閉じて、ユヅルは自信に満ちた顔を持ち上げた。


「僕は君と一緒に監獄塔へ向かう」


 アニュレは、目を細めた。


「どういうことですの?」


 ノートを祭服のポケットに収めて立ち上がり、ユヅルは片手を上に向けた。


 短く呪文を唱えて、暗い天井を紫電がう。


 アニュレは、あんぐりと口をあけたまま。

 禁書の写本と銀貨が詰まる麻袋を肩から斜めがけにして、ユヅルはアニュレの手を取った。


「いくよ」

「は、はい、ユヅルさま」


 足音を忍ばせ、暗いらせん階段を下りていく。


「なぁ、ひとつ聞いていい?」

「はい、好きな食べ物はお肉ですわ」

「牙をみたんだけど。救出が成功して主の呪いを解いたら、僕を殺すの?」


 アニュレは、足を止めた。


「わたくしが、かような恩知らずに見えますか」


 ユヅルは、体ごと振り向いた。

 段差からぴたりと合う目線の、翠眼すいがんが濡れて。


「君や囚われの主の全てを教えてよ。でないと、君の言葉を信じられない」

「もちろんですわ——」


 アニュレは、翠眼すいがんをしならせ唇で笑んだ。

 手を結び、薄闇のらせん階段を下りていく。


 人族に滅ぼされた魔族の生き残りであること、父である魔王にかけられた呪いで、異形の殿下が不憫でならない。わずかな一族を逃すために囚われた殿下を命に代えてもと氷洞での誓いの涙——。


 最後の石段を下りて、ユヅルはぴたりと木扉を見据えた。


「よく、わかった。信じるよ」


 こらえていた涙があふれて、アニュレは背中に抱きついた。

 押し殺した嗚咽に、ユヅルはかける言葉をみつける。


「アニュレは、ひとりでよく頑張った。でも、ここからは僕がいる」

「あああー」


 馬鹿力で抱きしめられて、ユヅルは悲鳴を上げた。


「痛い、痛い、痛いー」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいー」 

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