第29話 文月栞と修学旅行。【三日目・札幌編】
末吉高校の一年生の修学旅行もいよいよ三日目である。
小樽のホテルをチェックアウトし、生徒が全員揃っているのを確認後、私たちは鉄道で札幌まで移動した。
車窓から見る景色はのどかな田園風景から近代的な街へと移り変わっていく。
札幌は今までいた函館や小樽とは規模が違う。さすが県庁所在地、スケールが大きいというか……。
大通公園のどこまでも奥へ続いている光景なんかは絶景である。
札幌は今までの街よりも大きく、正直一日では遊び尽くせない。移動だって大変だ。
そのため、三日目の札幌だけは、生徒たちの自由行動はなく、全員で塊になって決められた観光名所を回ることになる。
観光バスの椅子はフカフカで、連日早朝に起きて元気に活動していた生徒たちの一部は眠ってしまっていた。
ちなみに私もウトウトしていた。何分かは分からないが、意識が沈んでいた気がする。
ふと、目が覚めて隣の座席を見やると、
「…………何してるんですか」
「いや、寝顔が可愛かったから写真をね?」
「消せ」
私は寝起きのドスの利いた声で低く唸る。
「恥ずかしがらなくても可愛かったから大丈夫だよ?」
「お前は自分の寝顔を撮られて不愉快に思わないのか?」
「よく撮られるし褒められるから慣れちゃった」
くっ……「自分がされたくないことを人にするな」と教えたかったのに……。
「ほら、この口がちょっと開いてるとことか、キスしたい唇って感じですごく可愛い、キスしたい」
「やめろ、解説するな。消せっつってんだろ」
曽根崎のあまりにあけすけな解説に、私は自分の顔が赤くなっているのを感じる。
「恥ずかしい? 恥ずかしいの? もう、ほんとに、可愛い」
こいつマジうぜぇ……。殴りてえ……。
というか、いつの間に隣りに座っていたんだろうか。意識が無くなる前は別の生徒が座ってた気がするんだけど。
「あ、隣りにいた男子? 俺と代わってくれって言ったら喜んで行っちゃったよ」
曽根崎の周りはコイツを狙う女子の群れである。男子が座ればちょっとしたハーレム気分を味わえる。それにモブ男子はまんまと釣られたわけだ。
何にしろ、バスは現在移動中だ。走って揺れているバスの中をもう一度席替えなんて危なっかしくて先生方に止められるに違いない。私は諦めて、窓から景色を眺めることにした。窓際の席で本当に良かった。
時計台、赤れんが庁舎、テレビ塔……。
観光バスは学校が決めた無難な観光名所を巡る。
私はひとつひとつ、写真を撮っていった。
おばあちゃんは北海道に来たことはあるのだろうか?
今となっては彼女自身の口から語られることはないだろうが、母なら知っているかもしれない。家に帰ったら聞いてみよう。
しかし、写真を撮ろうとカメラを構えている私の姿を、曽根崎がスマホで撮ろうとするのには参った。何が楽しいんだ。
「
昼食は大通公園で取ることになった。ちょうどイベントの真っ最中らしく、数え切れないほどの屋台が並んでいる。
「お酒やビールの類は買って飲んじゃ駄目よ?」と、今ちゃん先生は本気か冗談か分からない注意をして、末吉高校の生徒たちは思い思いの屋台に並ぶ。
「栞ちゃん、何食べる?」
「ガッツリした肉が食べたい……というか、曽根崎くんは私に構わず、好きなもの食べればいいでしょ」
「栞ちゃんと一緒がいいんだ」
曽根崎の慈悲深い微笑みを見ると、なぜか胸が痛む。いや、もしかしたら胸じゃなくて胃が痛いのかもしれない。
小さい頃助けてしまったせいで、今このザマである。
「栞さん!」
不意に自分を呼ぶ声がして振り返ると、
「猫春くん! なんだか久しぶりな気がしますね」
ホテルで会えるかと思っていたが、私自身が毎晩女子会をしていたために、結局ホテルでは会えず終いだったのだ。
「よかったら僕と一緒に食べませんか」
「いいですよ」
「おっと、俺も混ぜてよ」
私の肩に腕を回しながら、曽根崎が圧をかけてくる。
美しい顔の下に隠れた、嫉妬と独占欲の塊。曽根崎はそういう男である。
とりあえず二人とも私と同じメニューでいいとのことなので、豚串焼きの屋台に並ぶ。
なんでも北海道では豚肉でも串焼きは「焼き鳥」と呼称するそうだ。道外の人間にとっては不思議な話だが、まあ私は肉が食えれば何でもいい。
しかし確かに焼き鳥と同じように塩コショウ味とタレ味の二種類が売られていた。お腹が空いていたのと味比べのためにどっちも買う。
代金を払って焼き鳥を受け取り、三人分のスペースが余っているテーブルに座る。
「うん、北海道の焼き鳥ってどんなもんかと思ってたけど、豚肉でも案外美味いもんだね」
曽根崎は口の端についたタレを舌なめずりするようにペロリと舐め取る。イケメンのその仕草に色気を感じる。
……いや、落ち着け。クールになるんだ。相手はあの曽根崎だぞ。
「こっちの塩コショウも美味しいです」
「あ、ああ、私まだ塩コショウは食べてないから、そっちも食べてみようかな」
私はハッとしてタレが制服に落ちないように気をつけながら夢中で食べているふりをする。
猫春の言葉がなければ曽根崎に見とれているところだった。危ない。曽根崎が私好みの髪型になってからというもの、授業中もこっそり後ろ姿を見てしまう始末である。
「栞ちゃん」
曽根崎が声をかけてきて、「なんだよ」と言う前に顎を掴まれ、曽根崎のほうを向かされる。突然のことに混乱している隙に、曽根崎の顔が近づいて――
私の口の端をペロッと直接舐めてきた。
猫春が唖然とした顔で串を落とすのが視界の端に見えた。
「な、な、なん、」
「いや、タレついてたから」
曽根崎は平然としている。
「普通にティッシュ使えよ!」
「俺ティッシュ持ってないし」
「なら私に直接言え! こんな公衆の面前で何考えてんだ!」
曽根崎が人前でこんな行為に出るとは思っていなかった。完全に予想外だ。
どうせ猫春に見せつけたかったんだろうな。猫春は目を真ん丸に見開き、はわわ、とでも言いそうな真っ赤な顔をしている。可愛い。
イベント会場はそこそこ混み合っていたのでそこまで注目の的になったわけではないが、女の子たちがキャイキャイしているのが見える。……いや、あいつら同じ班のギャル子たちじゃないか。スマホを向けているのが見えたが撮られたんだろうか。一生の恥。
「お前あんま調子乗んなよ」なんて睨んでも、曽根崎は余裕のある表情で笑っている。腹が立つ。
「そ、曽根崎さん、あまり女の子が嫌がることはしないほうが……」
「あ?」
「いえ……」
気弱な猫春が注意をしても曽根崎は威嚇するばかりである。
流石にそれは見過ごせなかったので肘鉄で脇腹を打ち抜いた。
脇腹を押さえて苦しそうに震える曽根崎をよそに、「猫春くん、ごめんなさいね」と謝りながら焼き鳥を食べ進めていく。
猫春にはあまり不愉快な思いをさせたくない。
焼き鳥を食べ終えて容器をゴミ箱に捨て、「それじゃ、私たちもう行きますね」と猫春に声をかけた。
「え、待って栞ちゃん、俺まだ食べてる途中なんだけど――」
「いいから」
曽根崎の腕を引いてその場を去る。
曽根崎は焼き鳥を歩き食いしながら私のあとをついてくる。
「曽根崎くんはさぞかし修学旅行楽しいでしょうね」
「うん、栞ちゃんと一緒にいられて楽しい」
「私は楽しくないです」
そう言って曽根崎のほうを振り返ると、曽根崎は不思議そうな顔でこっちを見ていた。
「猫春くんに迷惑かけるのやめてください。絶交しますよ」
「どうして、そんなこと言うの?」
曽根崎の口は弧を描いていたが、目が全く笑っていない。
「他人が不快な思いをしたら、私も不快感を感じます。それは猫春くんでもそれ以外の人間でも変わらない」
「他人なんかどうでもいいじゃない。君好みの容姿の俺がいれば」
そう言って、黒髪の美少年は微笑む。悔しいくらいに美しくて、それでいてセリフの内容は悪臭を放つほど腐っていた。
――
私は男運というやつがないのかもしれない。
コイツの腐った根性をどう矯正したらいいのか、私は頭を抱えたくなってきた。
「それより、そろそろ集合場所行こうよ。時間もあんまりないし」
焼き鳥を食べ終えたらしい曽根崎が、設置されたゴミ箱にポイと容器と串を捨てる。
そのあとは二人とも無言で集合場所まで歩いて向かった。
曽根崎はなにか考え事でもしているんだろうか、とチラリと見ると、目が合って微笑まれた。
――コイツ、ずっと私のほう見てやがったか。
視線が合った瞬間、私はバッと勢いよく前を向いた。だんだん怖くなってきた。
覚えもないのに助けられたからって勝手に恩義を抱き、「格闘技でも習え」という言葉を真に受けてボクシングを始め、私の好みの髪型に変えてまで私に好かれようとする。なんなんだこれ怖い。
そもそも「いじめられているところを助けられた」というのも私は覚えておらずコイツが勝手に言っているだけなので虚言の可能性もある。だとしたらコイツは頭がおかしい。いやもともとおかしいとは思ってたけど。やばい、寒気がしてきた。
そんなことをつらつらと考えていると、不意に手を握られ、身体がビクリと跳ねる。
「うわ、栞ちゃん手ェ冷たい」
私がビビったことには気づいていないらしく、曽根崎は両手で私の手を包む。
「十一月の北海道だよ? 手袋持ってきてないの?」
「……十一月の北海道がここまで寒いとは想定外だったので」
「俺の貸してあげるからつけときな?」
そう言って、曽根崎はわざわざ自分で私の手に手袋をはめてくれる。
……コイツ、頭はおかしいけど私にはやけに優しいんだよな。
そして、その好意に裏はない。と思う。
私に一途で、いつも私のことを優先して考えてくれて、私には優しい。
これでクソストーカー野郎じゃなかったら優良物件なのになあ、と思わずため息が出そうになる。
「これでよし、と」
手袋をはめ終わった曽根崎は満足そうにつぶやくと、そのまま私の手を握る。
手袋の毛糸越しのぬくもりを感じる。
「……別に手を繋ぐ必要、ないですよね」
「手袋貸してあげたんだから、このくらい役得でしょ?」
手袋貸してなんて頼んでないのに、図々しい。
しかし恩を押し売りされてしまっては反論もできず、そして集合場所はもう目の前であった。
遠くからでも女子たちの嫉妬と羨望の視線が見える。うう……怖いよお……。
元スケバンにだって怖いものはある。女子の陰湿で執拗な嫌がらせは肉体ではなく精神を直接攻撃してくるのだ。
今は生徒会の後ろ盾があると思い込まれてるからまだいじめとかはないけど……。
神楽坂先輩と
やがて集合場所に続々と生徒が集まり、今ちゃん先生が先導して人混みから離れてバスへと移動する。
その間も私と曽根崎は手を繋いだままだった。というか曽根崎が離してくれなかった。
「
札幌のホテルでの女子会は開口一番それだった。
「付き合ってません。つきまとわれてはいますが」
「いーや、付き合ってるね! あんなイチャイチャしといても~こっちが恥ずかしかったよ!」
「あれキスしてたよね? 公衆の面前で?」
「違います違います」
どうやら口の端を舐められたのが遠目からではキスに見えたらしい。
「それにしても逢瀬くん積極的すぎだよ~見てるこっちがドキドキするもん」
「もう付き合っちゃえば?」
女子が誰も味方してくれない……。泣きたい。
「てか、中島をフォローなしに置いてっちゃったのはマズイでしょ。絶対誤解されてるよそれ」
「はっ……!」
しまった……! それについては何も考えてなかった。その場を離れるのに夢中で……。
「どうする? 今から謝りに行く? ついてこっか?」
「いえ……一人で行ってきます……」
私はそう言い残してギャル子の部屋をあとにした。
それにしても、猫春は今どこにいるんだろう。
A組の部屋割はともかく、私が隣のクラスの生徒達の部屋割なんて把握してるわけがなく。
猫春のことだから多分部屋にこもって本でも読んでるだろうし、適当にB組の生徒を捕まえて訊いてみようか――。
と、生徒のいそうなお土産屋さんまで来ると、女子生徒たちの熱視線ならぬ冷視線を感じて、思わずたじろぐ。
「逢瀬くんならいないよ」
「いえ、中島猫春くんを探しに来ました」
「ふーん……」
あっという間に三六〇度、女子たちに囲まれてしまう。逃げ場がない。
「結局アンタ、誰を選ぶわけ」
「それは……」
「生徒会長やその従者まで骨抜きにして五股、ねえ? いいご身分じゃない」
いや、桐生先輩は別に骨抜きになってないと思うが、言える雰囲気じゃない。
「アンタがどっちつかずの態度とってるから五人とも傷つくし、それぞれのファンもやきもきしてるの。この気持ち、どうしてくれるわけ?」
「どう、と言われましても」
生徒会の後ろ盾があると思い込まれてはいるが、今ここには生徒会はいない。そして女子は群れると途端に強気になるのである。
「元スケバンだかなんだか知らないけど、暴力振るうくせに猫かぶっちゃってさあ。あんま調子に乗らないでよね」
「スケバンのことは言うんじゃねえ」
思わずドスの利いた声で低くつぶやくと、女子たちは青ざめてザッと距離を取る。なんだかんだでビビりはするらしい。
「……猫春くんのお部屋、どこにあるかご存じの方は?」
「は、八〇一号室……」
「どうも」
短くお礼を言って、私は足早にその場を去る。
「あー、暴力女って怖いわー」
女子が聞こえよがしに大声で独りごちる。
……すっかり女子に嫌われてしまったな。
無理もない。女子の言うことはもっともだ。私に近づく男たちはみんなモテていて、私ははたから見れば彼らを
そろそろ答えを出さなければならない。しかし、五人の誰も彼もが本気で私と向き合っている。誰かを選べば他の四人はおそらく一生独身を貫くような、そんな覚悟を感じる。正直重い。
だから私も本気で向き合って、考えなければならない。誰を選び、誰を捨てるか。
その前に、まずは猫春の誤解を解かなければ。
私はホテルのエレベーターで八階へと向かうのであった。
〈続く〉
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