7月編

第13話 文月栞は七夕まつりで本性を晒す。

 今日は七月七日、七夕の日である。

 おみくじ町・末吉高校の独自の行事として、『七夕まつり』というものがある。

 大きな笹と短冊を学校の玄関近くに飾り、末吉高校の生徒はもちろん、他校の生徒や外部の人間も敷地内に入って短冊を書き、笹に吊るすことが出来る、というものである。

 ちなみに笹は毎年末吉高校の男性教員が山まで取りに行くらしい。苦労がうかがい知れる。

 私――文月ふみづきしおりと恋人の中島なかじま猫春ねこはるは今、その笹を二人並んで見上げている。

「大きいですね……」

「先生も、よくこんなの学校まで持って帰れますよね……」

 もちろん取りに行く教員は一人ではないのだろうが、トラックでも用意しないと持って帰れないほど巨大な笹だ。

「とりあえず短冊でも書きますか――」

「おうおう、カップルかあ? 俺達の目の前でいちゃつくなんていい度胸してんなあコラ」

「ん?」

 どうやら他校の男子生徒が笹を見に来たカップルたちにいちゃもんをつけているらしい。三人の学ランを着た強面こわもての男たちに、末吉高校の生徒たちはビビり散らかしている。

 肩で風を切りながら生徒たちを押しのけて笹に近づく男たちは、やがて私たちにも目をつけた。

「おっ、地味なカップルはっけーん」

「みつあみにメガネって古典的すぎるだろ」

「姉ちゃん、一緒に学校回ろうぜ?」

 私のことを何も知らない男たちは私の手首を掴み、

「オラッ、邪魔だメガネ!」

 と、あろうことか猫春を突き飛ばした。猫春が尻餅をつく。

 私の中で、何かがプツンと切れる音がした。

 私は銀縁の伊達メガネを外し、男たちをめつける。

「お? なんだその目は」

 これから起こる出来事を予想する脳みそすらない男たちは、自分たちを睨みつける文学少女をバカにするように笑う。

 ――金的。鳩尾みぞおちあごの下。

 人体にはいくつかの急所がある。

 それらを鍛えることは難しく、ゆえにそこを攻撃すれば、女性でも比較的簡単に相手を沈められる。

 まず一人の股間を蹴る。

「ギャッ!」

 次にその隣の男の鳩尾をえぐるように殴る。

「オエ……ッ」

 最後の男にあまける龍の如く、顎にアッパーを食らわせる。

「グプッ」

 私はまたたく間に三人の男たちを沈めた。

「アタシに喧嘩を売ったのが間違いだったな、ボンクラども」

 地に額をつけた男たちの頭を踏む。

「ま、まさかこの女……!」

 私の顔を見た男は恐怖に顔を歪めながら怯える。

「仏滅中学の鬼女番長スケバン、文月栞……!?」

「アァ? その黒歴史まだ残ってんのかよ。じゃあお前らごとキレイに記憶を消去しなきゃなあ……?」

 私の歪んだ笑顔はまさしく鬼のごとし、だったのだろう。

「ヒィィッ! 助けてぇ!」

「殺されるぅ!」

 三人の強面の男たちは尻尾を巻いて逃げ出した。

 その様子を見ていた末吉高校の生徒たちはざわめく。

「えっ、文月さんって……」

「そんな怖い人だったの……?」

 女子生徒たちがひそひそと話すのが聞こえる。

 ――あああああ、やってしまった。しかも決定的なやつ。

 いくら猫春が突き飛ばされて頭に血が上ったとはいえ、全校生徒の前でその狂犬ぶりをさらしてしまった。

「…………猫春くん、大丈夫ですか?」

 私は何事もなかったように、なるべく優しい声音こわねで猫春に話しかけるが、

「ヒッ、ッ、」

 猫春は尻餅をついた状態のまま、青ざめた顔であとずさりして、なんとかよろけながら立ったかと思うと、逃走してしまった。

「……」

 猫春に、逃げられた。

 私はひそひそと話しながらチラチラ見てくる生徒たちを怒鳴りつける元気もなく、とりあえずひと気のないところに行こうと歩き出す。

 校舎裏までフラフラ歩いて、コンクリートブロックの上に腰を下ろし、体育座りをした。そのまま顔を膝に埋める。

「……は~ぁ、これもうダメなやつだ……」

 全校生徒に本性を見られ、彼氏には逃げられ、もう学園で目立たない空気になるなんて不可能だ。

 なにより猫春の私を見る怯えた顔が一番私の心をえぐった。

 アレはもうダメだ。もう元の関係には戻れない。猫春と本についての話や知識の共有はできなくなる。

 私はひとり静かにしょんぼりと落ち込んでいた。

 そこへ、

「あれ? こんなところでどうしたの、栞ちゃん。中島は?」

 偶然居合わせたかのように、平然とした顔で曽根崎そねざき逢瀬おうせがやってくる。

「……お前、ずっと見てただろ。白々しいんだよ」

「あは、バレてた? 隣、座るね」

 力なく睨みつける私に、曽根崎は無邪気に笑う。コイツ、サイコパスか?

「……アタシ、やっぱり本性を見せたら猫春に受け入れてもらえなかった。猫春にアタシなんて釣り合わなかったんだ」

「それは逆だよ。猫春なんかに栞ちゃんはもったいなかったんだ」

 体育座りする私の横で、自分の部屋でくつろぐようにあぐらをかく曽根崎。普段なら腹立たしく思うのだろうが、今は自然体で自分に接してくれる曽根崎に、ちょっと救われる気持ちだった。

「……曽根崎。曽根崎は、アタシが恐くねえのか?」

「恐くなんかない。俺を助けてくれたあの日から、強くてかっこいい栞ちゃんはずっと俺のヒーローなんだから」

 私の常日頃からの疑問に、曽根崎は即答する。胸がふわっと温かくなると同時に、鼻の奥がツンとした。

「……そこはヒロインって言ってくれよ、せめて」

「あ、そこ、こだわる?」

「アタシだって、一応女だからな」

「知ってる。俺にとって、誰よりも大切な女の子だよ」

「曽根崎……」

 ほだされているのは知っていた。曽根崎は私の心の隙間につけ込んでいるだけだ。

 でも、もうダメだった。私の心は限界だった。こんなクソストーカー野郎でも、落ち込んでいるときに、こんなに優しい言葉をかけられてしまったら。

 涙腺ももうもたなかった。ダムが決壊するように、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「泣いていいよ、栞ちゃん。中島の代わりが務まるかはわからないけど、ずっとこうしてるから」

 曽根崎が優しく抱きしめてくれる。曽根崎のシャツが、私の涙で濡れてもお構いなしだった。

「……ありがと」

 私はしばらく曽根崎の胸で泣いていた。


〈続く〉

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