第58話 暗闇
――――る…………
重い瞼の奥で、誰かが私を呼んでいる。
心地のいい波長の声は体の内側でこだまするが、その主に心当たりはない。
――――……晴…………―――――――
……いや、ある。
どこか懐かしいような、それでいて切ないような――――
誰?
動かない唇を無視して問いかける。
勿論声が答えることはない。
――……晴なら……大丈夫だ……――――
何かを確信するように添えられた言葉。
その不明瞭さに引っかかるものを感じる。
だからあんたは誰なんだって、と口にする間もなく声は消えた。
『……ハル……起きてってば、ハル!!』
深いところにあった意識を引っ張り上げられる感覚を覚える。
はっとして目を開けると、そこは暗闇だった。
「…………ここどこ?」
どうやら眠っていたようだ。
暗くて周りがよく見えないが、人の気配はない。
混乱する脳味噌をかき回し、置かれている状況の把握を試みる。
さっきまで私はギーナの店にいて、四階の部屋で勉強していた。
その間に誰かが店に来た。
それで……?
『やっと起きた……』
「ミヤ? 一体何が――――」
『シーーーーッ』
ミヤの無声音の警告が脳内に響く。
慌てて口を噤み、私は首飾りがあるはずの胸元に手を当てようとした。
ガチャン
――――――は?
湿った木の匂いの床に横向きに倒れていた体。
その四肢は金属製らしき器具によって拘束されているらしい。
パニックに陥りそうになるのを懸命に
『ちょっとミヤ、これどうなってんの!?』
『僕も今気が付いたばっかりだよ。ここがどこかも、どうしてこんなとこにいるのかもさっぱり――』
『私たち、さっきまでギーナさんの店にいたよね? 何があったの?』
こんな場所へは来たこともないし、状況から判断するに誰かの仕業としか考えられない。
ギーナやルノイがこんなことをするとも思えないから、犯人はきっと彼らの不在時を狙って店を訪れたのだろう。
しかし肝心の、意識を手放す直前のことが思い出せないのだ。
これでは不安材料が多すぎる。
いつまた気を失うかも分からないなんて、あまりに無防備すぎてむしろ笑える。
『えーっと確か……あの時、誰かが階段を上がってくる音がしたんだ。ギーナのでもルノイのでもない気がして、しかもこっそり歩いてるみたいだったから、ちょっと気になってさ。咄嗟にペンダントに変身して、ハルのブーツの中に潜り込んだんだ。そしたらいきなりハルが倒れて、僕も……気づいたらここにいた』
『足音か……さすが猫、耳がいいのね。それに警戒して隠れていたなんて。ミヤすごすぎ』
素直に褒めると、ミヤは照れ臭そうに『そうかなぁ』と笑った。
見えないはずなのに、どんな顔をしているのか容易に想像できる。
まあ、見えても猫だけど。
『じゃあ結局、ミヤも犯人を見てないのか』
『そういうことになるね』
これからどうしよう。
誰が何のためにこんなことをしたのかも分からないし、正直打つ手立てがない。
お互いに話す理由がなくなって、どちらからともなく口を閉ざした。
しばらくの沈黙の後、不意にミヤが言った。
『……あのさ、ハル』
『ん? 何?』
『もう変身解いてもいいかな』
『あ、うん。そっか、ブーツの中……』
後ろ手に繋がれている両手をブーツに伸ばすも、自由を奪われた状態でそれができようはずもなく。
仕方がないのでうつ伏せになり、膝を曲げて足をゆさゆさと揺らしてみる。
数秒後、何か固いものが地面に当たる音がしたのを確認して私は動くのをやめた。
『ありがと、出れたよ』
『いやいや。気づかなくてごめんね、窮屈だったでしょ』
『まあね』
否定はしないのか。
「ふあぁぁぁあ……やっと戻れた」
『あはは、お疲れ様。私は声に出さない方がいいよね?』
ミヤの言葉は私にしか聞こえない。
他の人には猫の声に聞こえるとのことなので、もし誰かに聞こえてしまったとしても誤魔化しがきく。
それに耳のいいミヤがそこまで自分の声を気にしていないということは、近くに人がいないということだろう。
……それなら私も喋ってよくないか?
ミヤは私の怪訝な表情には何も言わずに、「そうだね、その方がいいかも」という返事を寄越してもう一度欠伸をした。
さて、どうしたものか。
目が暗さに慣れたおかげで少しは見えるが、この状況を打開するためにはまずこの枷をなんとかしないと話にならない。
けれどもナイフ一つ持ち合わせていない私にできることは限られている。
辺りには箱のようなものが所狭しと並んでいる。
使えそうなものが仮にあったとしてもこれでは探すこともままならない。
完全に手詰まりである。
いっそ誰かが来るのを待つべきか――――――――あ。
『ミヤ、魔法だよ魔法!!』
色々あってすっかり忘れていたが、そういえばミヤはただの猫ではない。
まあ変身の能力を持つ猫が普通なのかどうかは気にしないでおこう。
そんなことより、重要なのはミヤが魔法が使えるということだ。
ここがどこかは未だに分からないが、ひょっとしてギーナの店に帰れるかも知れない。
『魔法で
そう言ってうつ伏せのまま顎で手枷を示す。
埃っぽさも相まって、私の
ミヤはそれが分かっているのかいないのか、大袈裟に驚いてみせた。
「なるほど、その手があったか!! さすがハル!! ちょっと待ってね――――」
すぐに温かな獣の感触が背中に乗っかった。
重さはそこまでないが、変に動かないように注意しているせいか前面の痛みが増したように感じられる。
「むむ、これは……」
「どう? なんとかなりそう??」
「ならなくもなくもないね」
は?
「……いやいや結局どっち!?」
焦りと苛立ちの度合いは右肩上がりだ。
いつ誰が来るかもしれないのに、能天気に黒猫を背中に乗せて戯れているわけにはいかない。
「うーん、そうだなぁ……解除できるにはできるけど……」
「できるけど?」
「ハルの四肢がもげる」
そうあっさりと言ってのけた背後の
魔女の黒猫は幸をもたらす〜異世界では黒髪はSSRなようです〜 雨森葉結 @itiimuna_1167
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